断腸亭料理日記2018

鴻上尚史著「不死身の特攻兵 軍神はなぜ
上官に反抗したか」その5



鴻上尚史著「不死身の特攻兵 
軍神はなぜ上官に反抗したか」、今日が最後になるか。
(講談社現代新書)

長々書いてしまったが、最後のポイント。
「世間」を大切にするメンタルのもとには、
災害が多い国土で、一神教ではなく八百万の神を持つ
多神教の文化であるからという鴻上先生の説である。

昨日、神社のことを書いてみた。

神社に序列があるような、ないような、現代においては
曖昧なのかもしれぬが、戦前であれば天皇の先祖であったという
伊勢神宮の天照大神(アマテラスオオミカミ)を一応のことろ
頂点としてよいのか。これ以外にもお稲荷さん、八幡様
諏訪神社、その他、文字通り八百万、大社といわれるような
大きなものから、庭にあるお稲荷さんの祠まで、文字通り
八百万、我々のまわりを取り巻いている。

そして、私の専門であった民俗学の領域の神になる。

神社というのは、これも曖昧だが一応のことろ
神道、国家神道という宗教思想のもとに整理されているもの
として、それ以外の、もっと身近な民間信仰というものに
入る神様である。(もちろん重なっていものはあるが。)

多くは稲作農業を取り巻いて、一年時期、時期に行事、
神事が行われる。
例えば正月に門松を飾る習慣は今でも一般にあるが、
あれは、もともとは正月に一家の主人が山から若松(松の枝)
を切ってきて年神、山(神)の精気を家に取り込む、
という意味合いがあったものである。

現代においてどのくらいに家庭で行われているのかわからぬが、
人生において生まれてから、成長に合わせ、様々な儀礼が行われていた。
七五三などは分かりやすい例かもしれぬが、例えば、生まれたときの
後産(のちざん、胎盤のこと)をどこに埋めるのか、その時なにをするのか、
それによって、その子がどんなふうに育つのかが決まっている、、、など
地域地域で様々な習俗があった。

これら民俗儀礼、挙げだしたら切りがないのでやめよう。
民俗儀礼、習俗は、現代一般の神社と関係のあるものも
あれば、ないものもある。神道ともまた区別して然るべき
であろうが、仏教でもキリスト教でもない、身近な神の信仰である
ことは間違いなかろう。

この他、トイレの神様ではないが、屋敷神といって、家の
いたるところに神様はいる。竈(かまど)の荒神様(こうじんさま)は
代表的であろう。
その他、山、海、川、池、滝、岩、大木、、。依り代(よりしろ)というが、
神様が降りてくると考えられている自然物である。神の起源としては
こちらが原初的なものであろう。

まあ、八百万であることは間違いなかろう。

宗教学的にいえば、自然崇拝、アニミズムの一つ、
という位置付けがされ、仏教、キリスト教、イスラム教の
ような教典がはっきりしているものとは異なっている。
いわゆる神道は、こういったアニミズム、民間信仰の
神を“もっともらしく”体系化したもの、といってよいので
あろう。

また、いわゆる神仏習合というが、神と仏が合体した
ものも意外に多くある。代表的なものは、修験道。
和歌山の熊野信仰、山形の出羽三山信仰など、いわゆる
山伏の信仰である。山岳信仰に仏教を取り込んだもの。
江戸時代に江戸で大流行したが、富士講、富士信仰もその例である。

さて、次は仏教。
今さら私が書くべきものではないか。
仏教とはなんぞやなど私が書けようはずもない。

身近なことを書こう。
お寺は、お参りもあるが、日本人にとって重要なものはお葬式である。
無宗教と思っている人も、葬式は先祖からの浄土宗なり、浄土真宗なり、
日蓮宗だったり、お寺からお坊さんを呼んで葬式をする人は多かろう。
これは江戸期にキリスト教禁教のため、すべての人々がどこかの
お寺の檀家にされたことが起源であるのは皆さんご存知であろう。
それでどこの家もどこかのお寺の檀家になり、信仰する
宗派が決まっていた(る)わけである。

また、民間信仰に近いものでは、盆踊りなどは好例であろう。
元々は平安期から中世に広まった念仏を唱えながら終夜踊る、
念仏踊りが起源であろう。
また、念仏講などといって、集落ごとに決まった日に
集まって大きな数珠を回しながら念仏を唱える、なんというもの
もある。

お寺とも関係が薄く民間信仰に近いが、神とも違うものも意外に
多くある。

正式な教典がはっきりして組織化されている仏教教団は
なん百年と存在していきたがその周辺に民間信仰の神や神社、と合体し
神仏習合の形を取ったものも数多くあり、これらも含めて
文字通り、八百万と呼んでよいような姿であろう。

明治に入り、神仏分離が政策として進められ習合していたものが
区別されているが、基本、日本人のメンタルといえば、仏様も
神様の一つ、くらいの感覚もあることは間違いない。
観音様や不動様をあたかも一つの神様のように信仰していた
わけである。

もう少し例を引くと、例えば、入谷の鬼子母神。
あそこなどはお寺であることを意識していない人は実のところ多い。
お参りの時に柏手をしている人の多いこと。
江戸の頃、神社やお寺が現世利益の方向へ進んだが、鬼子母神であれば
子育て。浅草の待乳山聖天(これもお寺)であれば、子授け。
薬師様(新井薬師他、もちろんお寺)などは眼病。もう枚挙に暇がない。

さて、最後にキリスト教。
我が国のキリスト教徒の割合は1%(文化庁)程度のよう。
かくいう私も敬虔とは正反対だがカトリック教徒である。
キリスト教はちゃんと洗礼を受けて、というプロセスを踏む
ところが多いので、そうそう誰もが簡単に信者にはならなかろう。
ちょっとハードルがある。

で「世間」を大切にするのが、この多神教文化を
背景にしているという説であった。

ここで一神教なのか、多神教なのか、ということももう少し
考えてみる必要がありそうである。

仏教が一神教なのか、という問題である。
だが専門的な宗教論をしようというわけではない。

「世間」を大切にするから多神教という議論の文脈である。
他の教義を認めないというような意味合いと考えさせてもらおう。
曖昧にしていろいろなものを受け入れる。
これは多神教的といってよいのか。

逆に、他を認めない、過激な宗教は日本にあったのか。
日本の仏教でもご記憶の方は多かろうが、戦国期の門徒。
本願寺の浄土真宗である。
蓮如を頂点に、門徒達が兵士となり、信長、秀吉、家康などと
武力で渡り合っていたではないか。当時の本願寺の本拠地は石山本願寺。
それが滅ぼされて、跡地はなにになったかご存知であろうか。
秀吉の大阪城である。大阪城は本願寺の本拠地の跡に建てられたのである。
あの当時の浄土真宗はある種、宗教戦争のような過激さを持っていた。
あれはなんだったのか。
日本人にも時として、こういう側面はある、のである。
そう考えるしかなかろう。

あれは例外?。先に書いたように日本人とはこうだ!、
などと、軽々にはやはりいえないのである。


う〜ん、終わらなかった。
もう一回、つづける。

 

 

 

 

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