断腸亭料理日記2019

初芝居 国立劇場 その2

引き続き、国立劇場の歌舞伎「姫路城音菊礎石
(ひめじじょうおとにきくそのいしづえ)」。

この芝居、平成3年(1991年)に国立で「袖簿播州廻(そでにっき
ばんしゅうめぐり)」という原作と同じ名前で上演されている。
初演後一度も再演されておらず、この時が初めての再演であった
という。名前は変わっているが、江戸時代の初演から3度目の上演
ということになり、まあ、ほぼ知られていない芝居といってよろしかろう。

マイナーなものを掘り起こすのは、国立ならではのことなのではあろう。

やはり、プログラムを参考に一応型通りに書いてみよう。

その「袖簿播州廻」の初演は安永8年(1779年)大坂角の芝居。
作は並木五瓶(なみきごへい)。
安永というのは田沼時代。江戸中期といったところ。

作者の並木五瓶もあまり知られていない。
現代に残っている作品は石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな。」
の名台詞で有名な「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」くらいのよう。

ただ、文化文政期に活躍した有名な鶴屋南北の師匠筋に当たる人で
この並木五瓶があって初めて南北が生まれたといってよいほど
歌舞伎の作風に影響を与えたといってよいとのこと。
作者として前半生を大坂ですごし、この芝居もその頃のもの。
その後、江戸に下り、江戸歌舞伎界で活躍した。

この芝居の背景、まずは刑部(おさかべ、小坂部とも書く)姫
伝説から書いてみる。

姫路城に伝わっていた、妖怪(?)伝説といってよいのか。
国宝姫路城にそんなものがあったのか。ちょっと私も驚いた。

大天守最上層に夜な夜な、十二単(じゅうにひとえ)に緋(ひ)の
袴を着た鬼女が現れるというもの。

この刑部姫伝説。その由来がさらにおもしろい。
時代はさらにさかのぼり、奈良時代、光仁天皇の皇子に
他戸(おさべ)親王という人がいた。光仁天皇は桓武天皇の
父にあたるが、他戸親王は当時朝廷の権力闘争で敗れ非業の死を遂げ
その後怨霊となったという。
刑部姫というのは、その娘の富姫という。

姫路ではこの伝説、土地の神と関係したさらにおもしろい
ストーリーがあるようなのだが、長くなるのでやめる。

むろん、すべて伝説ではあろうが時代を超えてダイナミックなもの。
芝居のネタとしては絶好である。

この姫路城の刑部姫伝説は、この芝居の後、初代尾上松緑が
文化11年(1814年)「復再松緑刑部話(またぞろしょうろく
おさかべばなし)」という怪談ものを演じ、ここで尾上家との
関係が生まれている。
この刑部姫伝説はさらに明治になり、五代目菊五郎、黙阿弥作で
「闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)」に受け継がれ、
小坂部(刑部)姫は尾上家、音羽屋の家の芸「新古演劇十種」
というものになっている。

五代目菊五郎は、例の直侍「入谷そばや」の菊五郎である。

「新古演劇十種」というのは市川宗家、成田屋の例の
「歌舞伎十八番」に対抗して音羽屋のものとして作ったもの。

さて、この芝居、これだけでは終わらないのがすごいところ。

この刑部姫伝説に、姫路藩主、榊原家のスキャンダルが
加えられているのである。

この事件もあまり知られていないかもしれぬ。

姫路というのはもともとは室町の守護大名赤松氏の地盤であったが、
赤松氏が衰えた後、姫路城は、かの黒田官兵衛の居城となっている。

関ヶ原後、池田輝政が入り、今の姫路城はこの時に整備されたもの。
池田家は三代までで鳥取に移され、その後は譜代大名に代わる。
本多(忠勝系)家、奥平松平家、越前松平家、榊原家、などが
たらい回しのように転々と代わり、二度目の榊原家の頃、
大スキャンダルが起きる。

徳川家康の四天王というと酒井、榊原、井伊、本多。
(酒井忠次、榊原康政、井伊直政、本多忠勝)
江戸期この四家は譜代名門の家として、大老、老中など
幕府重職を務めるのであるが、その榊原家である。

榊原宗家の八代当主で、姫路藩主榊原政岑(まさみね)。
この人が大スキャンダルの主。

政岑は享保17年(1732年)、吉宗の頃、榊原宗家継承。

江戸期、ダメな殿様というのはなん人かいる。

やはり歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に
なっている仙台伊達藩の伊達騒動。
これは三代伊達綱宗が元。吉原の高尾を身請け。
仙台高尾というが、身請け後も心を開かないので
隅田川の三又で吊るし切りにしたという。

一方、姫路の殿様榊原政岑も遊蕩三昧。やっぱりこの人も、
吉原の高尾を千八百両で身請け。
高尾というのは新吉原の三浦屋の店で持っていた名前で
なん人もいる。先の仙台高尾、紺屋の内儀(かみ)さんに
なった紺屋高尾は落語になっており、ご存知であろう。

榊原政岑の高尾は榊原高尾(または越後高尾)だそうな。

まったく、同じようなことをするものである。

将軍が吉宗であったのが致命傷であろう。
吉宗はひっ迫していた幕府及び、武家の財政立て直しのため
倹約令を出し、自らも一汁一菜、木綿の着物を着ていた。

譜代名門の当主が吉原で遊びまわり、あまつさえ大金を投じて
遊女を身請けするとは、なんたることかと、吉宗は姫路にいた政岑を
江戸に呼び出し、隠居、蟄居。家督は長男に継がせたが
幼少のため北国の越後高田藩に転封となった。さすがに譜代名門を
改易にはできなかったのであろう。
(その後の高田藩は幕末まで榊原家が続き、戊申戦争では
新政府軍に恭順、東北を転戦、榊原家は子爵を与えられている。)

さて、さて。
この怨霊、妖怪の刑部姫と、大名家のスキャンダルを
合体させて、お話ができているわけだが、はたして
どんな話になっているのか、興味が出てこられまいか。

不勉強ながら私もこの姫路城の刑部姫伝説にしても
榊原高尾の話は知らなかった。勉強になった。

最後、芝居に戻ろう。
こんなことで、簡単にしているとはいえそれでもお話は複雑。
だが、昨日書いたようにかなりわかりやすく、見やすく作られている。
佳作であろう。
菊之助と松緑が三役で大活躍。特に松緑は儲け役。よろしい。
また、菊之助子息、寺島しのぶ子息の二人同時に舞台に登場する
場面もあり、かわいい。
菊五郎の親方にとっては目の中に入れても痛くない、孫二人である。
大詰めでは舞台中央、親方の脇に菊之助子息の和史君が出ており、
かわいい台詞に表情が緩みっぱなしに見られたのもご愛敬であろう。

よい初芝居であった。

 

 

 

 


仙台高尾
「都幾の百姿」「たか雄 君は今駒かたあたりほとゝきす」
明治18年(1885年)芳年

 

 

 

 

 

 

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