断腸亭料理日記2019

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」
〜断腸亭考察その33

引き続き「黄金餅」。

夜が明けて、金兵衛はすぐに桐ケ谷の焼き場に戻ってくる。

扉をドンドン叩きながら、
「オーイ、焼けたか〜、焼けたか〜」
「焼けたか〜、って、芋ぉ買いにきたんじゃねぇよ〜」

こんな場面もギャグ満載。
ここから、骨上げ、焼き場の骨を拾う場面。

皆さんもお骨を拾って、骨壺に納めた経験はおありになろう。
親族であれば、やらなければいけないので、祖父、祖母、父、
その他なん人かのもので経験している。なん度しても私はダメで
ある。できたらやりたくない。
骨だけになって、その人の人生、その人そのもの、もっというと
人というもの、生き物としての人そのもの。そんなもろもろの
ものと、向き合わざるを得ないというのであろうか。
ヘビーである。

「骨壺あんのか、いるなら売るよ。」
「んなもの、いらねえ」
シロウトじゃできねえよ、といわれるが、
「いいから、俺にやらせろ。
 オメエは、向こうを向いてろ。
 向こうを向かねえと、目の玉つつくよ。
 いいから、向こう向いとけ!。」

 鰺切りを取り出し、骨をガシガシと突く、
「おかしいなぁ〜、ねえなぁ。」

 ガシガシ、ガシガシ

 キラッと、光った。

「おー。
 これだ、これだ。

 これですよ。
 これ。

 ホレ、ホレ、ホレ、、、」
 
 袂(たもと)へ入れる。

「おー、骨、袂に入れて。なにやってんだよ」
「いいんだよ、オメエなんぞには、わかりゃしねぇ、んだよ。
 アバヨ。」
「オー、
 焼き賃、置かねえか」
「焼き賃なんかいいやぃ、泥棒!」
「オメエが泥棒だよ。
 骨が残ってるよ。」
「犬にやっちゃえ」
「犬にやっちゃえたぁ、乱暴じゃぁねぇかなぁ」

この金をもちまして、目黒に餅やを出しましてたいそう繁盛を
いたしました。
江戸の名物「黄金餅」の由来でございました。

ここまで。

この部分「誰いうとなく、この餅を黄金餅といって」
と談志家元は語っていた。
「誰いうとなく」を入れた方が味わいは広がる。

いかがであろうか「黄金餅」。
ある種、落語とすれば、究極であろう。
遺体損壊。

今回、江戸の「悪党の世紀」ということをテーマに考えてきたため
対象からは外しているのだが「らくだ」という噺がある。
「らくだ」は歌舞伎にもなっている。昭和3年(1928年)、
初代吉右衛門初演だそうな。私は観ていないが亡くなった勘三郎が
よく演じていた。

「らくだ」は上方種で江戸落語ではない。それで対象外に
したわけである。遺体を大家やらのところへ持っていき、骨を
バキバキいわせてカンカンノウを踊らせて、香典やら食い物、を
脅し取る。同じ遺体損壊といえる。「悪党の世紀」っぽくもある。
こちらも志ん生(5代目)が得意とし、談志家元も気に入って
演じていたと思われる。もちろん単純に比較はできないが例として
頭に置いておきたい。

「黄金餅」。先に書いたように金兵衛の気持ちは人情としては
わからなくはない、と私は思う。
西念には親族もなく、黙っていれば誰にもわからない。

だが「黄金餅」、冷静公平に考えると、ここまでいくと“業の肯定”
どころではない。遺体損壊と遺体から金を窃取し、犯罪といって
よいだろう。勧善懲悪とは正反対。

「黄金餅」には後があるという。
毎度引かせていただいている「落語の鑑賞201」(延広真治編)では
後半というのは「馬場雅夫『落語大学院』によると(中略)
三代目柳亭燕枝が、十代目金原亭馬生(志ん生(6代目)の長男、筆者)
に伝えたという。つまり餅屋は繁栄する。これも西念のおかけだと
金兵衛は供養を思い立ったが、その金を息子が盗み女につぎ込んで
家が滅ぶというもの。」
「落語大学院」は入手できたのでこの部分確認はできた。

続けて「品川の円蔵(前に述べた「品川心中」が絶品といわれた円蔵
(4代目)、円生師(6代目)の師匠(筆者))も演りましたが、
柳派の人情噺風のものなんですねえ」(「落語大学院」馬場雅夫)と
馬生師(10代目)の言葉として紹介している。

三遊派の円蔵(4代目)も演り、円朝全集に入っているにも関わらず
柳派の噺であるともいう。(どういう経緯なのであろうか。)

ともあれ。「黄金餅」には勧善懲悪の後半がある、というのは
考慮すべきことではあろう。
ただ、演じられなくなっている。これは作品としてエンター
テインメント性がなかった、つまりおもしろくなかったからという
理解でよさそう。

後半を馬生師(10代目)が知っているというのは、馬生師(10代目)
は前半の「黄金餅」を演らなかったのかもしれぬが、演れたはず。
また品川の円蔵もおそらくできた。
父の志ん生(6代目)が演るのであれば、むろん馬生(10代目)もできた
であろうが、品川の円蔵も「黄金餅」を演ったかもしれぬというのも
憶えておこう。

志ん生(6代目)以前であればやはり演る人はなん人かあった。
そうでなければ、円朝の頃から志ん生の形にまで演出の変化は
考えられない。

この噺の骨格ができたのは「悪党の世紀」で成立は幕末とする。
そして、練り上げられたのは、明治大正、昭和の戦前まで、
ということでよろしかろう。

「黄金餅」の陰惨な光景はまごうことなき「悪党の世紀」と
いってよいであろう。金に気が残り、餅にくるんで飲み込む
姿、その骨から金を取る壮絶な姿。特に後者、金兵衛の姿
である。
当時であっても仏教的倫理観に照らせば受け入れられるもの
ではないはず。しかし、この場合死者への冒涜ではあるが、誰かに
迷惑のかかるものではなく、金兵衛の行動は人情としてわかる、と
いうのもまた、人情というものである。(そういう演出ともいえる。)
それがこの噺の絶妙な立ち位置ということになろう。
ギリギリのところで人間を描いているということには間違いがないと
思うのである。

そして、また、この陰惨な物語が、笑いというテクニックによって
その後の寄席で練り上げられ生き残ってきたということ。

これはなにを意味するのであろうか。

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

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