断腸亭料理日記2020

御徒町のこと その5

週をまたいでしまったが、御徒町のこと。

明治も10年をすぎている。

10年前の御徒士らの小さい武家屋敷の立ち並ぶ静かな街、
御徒町は、まったく街も人も変わってしまった。
投機対象の貸し家、長屋。
その間にも、どんどん人が入れ替わっている。
地価もあがり、プチバブル状態。
はっきりはしないが、問屋もあったかもしれぬ、物販か、飲食か、
なんらかの市民相手の商売をしている店も多い状態と思われる。

ここに御徒町にとっては、さらに大きな、上野駅開業という
出来事が起きた。
まさにもうイケイケである。

上野停車場の仮開業は明治16年(1883年)当初は上野、大宮間。
停車場ができて上野が東京の北の玄関口になり、人、物の往来が
活発になった。しかし、上野駅前、まだ道が狭く、すぐにかなりの
混雑、大八車の大渋滞を呈した。
そこで、貨物のみ上野停車場から分離し秋葉原まで延伸することに
したのである。

これは、ご存知の方もあるかもしれぬ。秋葉原駅に
接して神田川につながった、船溜まりがあった。
今は、秋葉原公園になっているところ。
貨物はここまで鉄道で運び、あとは神田川の水運を
使って東京市中に運んだのである。

御徒町を縦断して佐久間町河岸まで線路を敷き、上野停車場
仮開業7年後の明治23年(1890年)「秋葉原貨物取扱所」
という名前で貨物駅として開業している。

さあ、この計画が出ると、御徒町はもうご想像の通り。

むろん、反対もあったようである。
予算的にこの時は高架もできなかった。
線路は塀で囲み、踏切は番人付きであったとのこと。
(この部分の出典はウィキ)

明治25年

明治30年

現代

ちょっと横道にそれるが、この貨物線、こんなプチ情報もある。

今は線路が増えているので幅は広くなっているが、秋葉原から
御徒町駅までは、ほぼ今のJR京浜東北・山手線の通って
いるところと同じようなのだが、上野駅寄りのほんの一部分だけ
貨物線はずれているところがあった。

明治25年地図の上野停車場のあたりを見ていただくとお分かりに
なるのだが、この貨物線は上野停車場の東側から出てきている。
つまり、今の上野駅正面口あたりから出ているのである。
ここから丸井を斜めに突っ切って、上野藪蕎麦の角あたりを
かすめ、今の御徒町駅から北へ一つ目のガードあたりで、
今の線路に合体する。こんな路線であったのである。

閑話休題。
この貨物線建設は当然、仲御徒町の建て込んだ区域を
通るので、そこにあたる土地、家屋は立ち退かなければ
いけない。この家々は立ち退き手続きをしているので、
これがちょうどよい史料になっているのである。

対象の家の詳細が分かってなかなかおもしろい。

立ち退き対象の土地は、鉄道用地なので縦に長いのだが、
横は狭い。当時の、南から仲御徒町一丁目から四丁目まで、
全部で登記簿的な表現になるが、66筆。

内訳は、そこに住んでいる「居付地主」は25人。
住んでいない「不在地主」は41人。6割以上。
「不在地主の多くは下谷区内,浅草区,神田区などに
所在していた」。

「居付地主の半数弱,不在地主のほとんどが貸地あるいは
貸家を経営していた。このように,仲御徒町の鉄道建設による
買い上げ用地では土地売買が活発であっただけでなく,
地主による貸地や貸家の経営が展開していたことが指摘
できる」とのこと。

具体的な例を見てみよう。図面付きで示されている。
居付地主の例。明治21年(1888年)時点、
仲御徒町3丁目74番というから、今の御徒町駅の北側、
当然、JR線の敷地でガード下、二木の菓子の東あたりか。
間口8間(14.5m)、奥行き25間(45.5m)の縦長の敷地。
ピッタリ200坪。

この200坪はかなり広いが、前に書いた御徒士の屋敷の広さと
一致するので区画も御徒士時代そのままの可能性は高そうである。

この敷地真ん中に地主の住む二階建ての母屋。建坪100坪弱は
あろうか、そこそこ大きい。母屋よりは少し狭いがゆったり
とした広さの庭にあたるであろうスペースもある。
これだけでも、お屋敷、まではいかないかもしれないが、
自宅としてはかなり立派なものであろう。

図面を見ると、この敷地、表通りに面して、間口3間程度の
平屋の貸家が二棟建っている。
この二軒はなんらか商売をしているかもしれない。

この母屋の人はどんな経歴でこの時なにをしていた人なのか。
お金もあったのであろうが、おそらくそれだけではない。
元武士かもしれぬが、武士に近いそこそこの身分と社会的地位の
あった人。詩歌など文人、あるいは儒学者、能役者、医者、、?。
また、貸家の住人はなにをしていたのか、知りたくなってくる
ではないか。

で、調べてみた。
この論文には実名が書かれている。地主は奥原晴湖という。

すると驚いた。いや、マジで。この方は、ちゃんと名前の
残っている人だったのである。
論文筆者の双木先生はおそらくご存知で、あえて書かれていない
と思われる。歴史地理学の研究は研究対象の特定の人物、個人
にはスポットをあてないもの、なのかもしれぬ。
これが史学や文学などであれば、別かもしれぬが。

しかし、市井の人ではない。歴史的人物なのでここに
書いてもよいだろうと私は判断した。おそらくこの方で
間違いないだろう。私は、存じ上げなかったが。

この人、江戸末から明治に作品を遺した著名日本画家である。
日本美術史上の大先生。それも女性の。晴湖はセイコと読むよう。
むろんこれは画号。ウィキにもちゃんとページがあった。

こんな方が住んでいた。ただの新興の商業地、という認識は
改めるべきか。江戸の静かな街は残っていた?。

絵師というよりはやはり画家という呼び名ががふさわしい。
女流南画家。
最盛期の門人300人、岡倉天心もその一人。すごい人である。

奥原晴湖「芦雁図」明治13年(1880年)(ウィキより)
まさにこの時期。こんな作品。この時43歳。

 


もう少し、つづく

 


参考
日本建築学会大会学術講演梗概集「江戸・下谷御徒組屋敷について」
鈴木賢次 1997

歴史地理学「明治前期東京における土地所有と借地・借家
― 下谷御徒町・仲御徒町を事例として ―」
双木俊介 2014

 

 

 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5|

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |

2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017 1月 |

2017 2月 | 2017 3月 | 2017 4月 | 2017 5月 | 2017 6月 | 2017 7月 | 2017 8月 | 2017 9月 |

2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |

2018 5月 | 2018 6月| 2018 7月| 2018 8月| 2018 9月| 2018 10月| 2018 11月| 2018 12月|

2019 1月| 2019 2月| 2019 3月 | 2019 4月| 2019 5月 | 2019 6月 | 2019 7月| 2019 8月

2019 9月 | 2019 10月 | 2019 11月 | 2019 12月 | 2020 1月 | 2020 2月 | 2020 3月 |

2020 4月 | 2020 5月 | 2020 6月 | 2020 7月 | 2020 8月

BACK | NEXT

(C)DANCHOUTEI 2020