断腸亭料理日記2020

浅草雷門通り・そば・尾張屋本店

7月21日(火)第一食

さて。

火曜日。

第一食であるが、そばやに行こうと考えた。

そばやであれば、むろん一杯やる、のが付いてくる。

先日、コロナ以後久しぶりに並木の[藪蕎麦]へ行ったが

今日は[尾張屋]にしようか。

あそこは、やっぱり天ぷら。

大きな海老天、で、ある。

この季節であるが、温かい天ぷらそば、である。

[尾張屋]は、雷門のすぐ向こうに支店もあるが、
やはり本店の方。

[尾張屋]はとにかく大きな海老天。

天そばも看板だが、天丼、天重も負けず劣らず
名代である。

創業は明治3年(1872年)。
浅草寺御用の看板も掛かっている。

また、店内に写真が今も置かれているが、
元祖断腸亭先生、永井荷風先生が足繁く通った店としても
知られている。

ただ、文豪、作家といえば、グルメ、食道楽
というイメージをお持ちの方も多いだろう。
池波先生などは、グルメという言葉よりも
食道楽、食いしん坊という形容が合ってようが。

ただ、荷風先生はむしろ逆。
できるだけ、食べることは考えない。
荷風先生は武士の家に育っているが、江戸期の
武家というのは、食べることに四の五のいうのは、
はしたないことという教えがあったという。
そういう環境もあり、興味がなかったのであろう。

池波先生は、次になにを食べるかを考えることも
愉しんでおられた。
が、荷風先生はむしろできるだけ考えたくない。

戦後、六区のストリップ劇場の楽屋によく
出入りしていたのが有名だが、毎日、本八幡の家から
浅草へ通っていたわけである。
それで、浅草で昼飯を食べなければならない。
なにを食べるか考えるのが面倒なので、行く店を
なん軒か決めており、それもなにを食べるのかも
決めていた。
決めていれば、考えなくともよい。

この[尾張屋]には亡くなる直前まで
きていたようである。

ここでは荷風先生は鶏南蛮。
それも判で押したように同じであったと。
そして、壁側の奥と、座る席も決めていた。
その席に先客がいるとその前に仁王立ちになり、
空くのを待ったという。
たいていの人は、嫌がって立ったであろう。
ここでも、そんな変人っぷりを発揮していた、
荷風先生であったようである。

1時すぎ、自転車で到着。

格子を開けて入ると、時間を外したつもりであったが
意外に埋まっている。
テーブルには、やはり透明の仕切り。

案内された、四人掛けに一人で掛ける。

ちょうど、荷風先生の写真の正面。
向かい合う位置である。

ソフト帽にロイド眼鏡、背広にネクタイ姿。
戦後は、この恰好であったようである。

酒一合を冷やで。

ここもこれで通じる。
常温ですかと、野暮に聞き返されることもない。

それから上天そばも頼んでしまう。

酒とそば味噌がきた。

大関の一合瓶。浅草は意外に大関も多い。
このあたりの老舗そばやはどこもそうだが、蕎麦の実などが
入った黒い甘い味噌。例の江戸甘味噌がベースであろう。

上天そばもきた。

特大の大海老天。

今はこんな大きな天ぷらは見かけない。
だが、明治から戦後しばらくまでであったろう、
東京のそばや、天ぷらやでは、流行り、大きさを競って、
大きいものがあたり前であった。

ここのそばは、白っぽい更科系。

そうそう。
ここは、色々なものを練り込んだ変わりそばが
いつもある。
今は柚子切りのよう。

呑みながら、そばを手繰り、つゆで衣がふやけた
大海老天を頬張る。

呑み終わり、食べ終わり、立って勘定。

ここはなんだか、大海老天専門店に
私はしてしまっているが、変わりそばも
食べに来なければ。

 

 

台東区浅草1-7-1
03-3845-4500

 

 

 

断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5|

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月 |

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月 |

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 | 2009 12月 |

2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 | 2010 7月 |

2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2011 12月 | 2011 1月 | 2011 2月 |

2011 3月 | 2011 4月 | 2011 5月 | 2011 6月 | 2011 7月 | 2011 8月 | 2011 9月 |

2011 10月 | 2011 11月 | 2011 12月 | 2012 1月 | 2012 2月 | 2012 3月 | 2012 4月 |

2012 5月 | 2012 6月 | 2012 7月 | 2012 8月 | 2012 9月 | 2012 10月 | 2012 11月 |

2012 12月 | 2013 1月 | 2013 2月 | 2013 3月 | 2013 4月 | 2013 5月 | 2013 6月 |

2013 7月 | 2013 8月 | 2013 9月 | 2013 10月 | 2013 11月 | 2013 12月 | 2014 1月

2014 2月 | 2014 3月| 2014 4月| 2014 5月| 2014 6月| 2014 7月 | 2014 8月 | 2014 9月 |

2014 10月 | 2014 11月 | 2014 12月 | 2015 1月 |2015 2月 | 2015 3月 | 2015 4月 |

2015 5月 | 2015 6月 | 2015 7月 | 2015 8月 | 2015 9月 | 2015 10月 | 2015 11月 |

2015 12月 | 2016 1月 | 2016 2月 | 2016 3月 | 2016 4月 | 2016 5月 | 2016 6月 |

2016 7月 | 2016 8月 | 2016 9月 | 2016 10月 | 2016 11月 | 2016 12月 | 2017 1月 |

2017 2月 | 2017 3月 | 2017 4月 | 2017 5月 | 2017 6月 | 2017 7月 | 2017 8月 | 2017 9月 |

2017 10月 | 2017 11月 | 2017 12月 | 2018 1月|2018 2月| 2018 3月|2018 4月 |

2018 5月 | 2018 6月| 2018 7月| 2018 8月| 2018 9月| 2018 10月| 2018 11月| 2018 12月|

2019 1月| 2019 2月| 2019 3月 | 2019 4月| 2019 5月 | 2019 6月 | 2019 7月| 2019 8月

2019 9月 | 2019 10月 | 2019 11月 | 2019 12月 | 2020 1月 | 2020 2月 | 2020 3月 |

2020 4月 | 2020 5月 | 2020 6月 | 2020 7月

BACK | NEXT

(C)DANCHOUTEI 2020