断腸亭料理日記2022

かんだやぶそば〜お供えと文七元結 その2

4008号

引き続き初芝居の後の[かんだやぶそば]なのだが、
ここに毎年飾られている、各藪蕎麦からの
お供え鏡餅のこと。

以前は、別段藪蕎麦に限らず親戚付き合いをする家と
お供えのやり取りをする習慣があったのではないか、
という仮説の検証をしている。

論拠は、落語家六代目三遊亭圓生師の「文七元結」の
録音に、親戚付き合いに「お供え、のやり取りをする」
というセリフがあること。

昨日みたように、この内容は、六代目圓生師以外に
確認できないということ。これ六代目圓生師以前も
以後も。

「文七元結」という噺は、今でも落語家で真打になれば
演ってみたい、演らなくてはならないもの。
名作といってよろしかろう。人気も高い。

だが「お供えのやり取り」は圓生師しか言っていない。
これでは、裏付けのしようがないではないか。
こうなると、もう圓生師を信用するかしなくなってくる。

はてはて。
どうしたらよかろう。

考えられるのはこの部分、圓生師のオリジナル
なのではないか、ということ。
あるいは、誰か他の落語家が入れていたのを
拝借したが、他にはいなかった。
まあ、こんなところであろう。

オリジナルか拝借したかはともかく、まさか
六代目圓生師は、ありもしないことを舞台上で
いうわけはないだろう。このことである。

圓生師の存命の頃であれば、同世代のお客もいた
であろうし、習慣としてやられたことであれば、
テキトウなことを言えば、即座にわかってしまう。
また、爆笑する内容でもないので、嘘をいう理由もない。

実は、圓生師は、こういった以前の習慣、習俗を噺の中で
あえて言うようにしていたのである。
師には、以前のことを伝えたいという意図があったのである。

CD「圓生百席」の「ちきり伊勢屋」

の芸談で、滅んでしまった葬儀中の習慣を
あえて話している、と語っている。
おそらく、お供えもそういうことで間違いなかろう。

六代目三遊亭圓生師は明治33年(1900年)の生まれ、
昭和54年(1979年)に亡くなっている。
私が子供の頃だがまだリアルタイムで憶えている。

明治42年(1909年)頃の入門。8、9歳。
師匠は、当時名人といわれ品川の圓蔵こと、橘家圓蔵
(四代目)(文久3年(1864年)〜大正11年(1922年))。
四代目圓蔵は、圓朝の直弟子ではなく、一人師匠
(四代目圓生)が入り、孫弟子の世代になる。
五代目圓生は六代目の義父。
六代目圓生師は、圓朝からはひ孫弟子。
「圓生」は、三遊派の最大の名前である。

現代でいえば、円楽師が六代目圓朝の直系の孫弟子になる。

志ん生、文楽と並んで昭和の三名人の一人。
かなり頭のいい人であったし、本も多数出している。
志ん生と並んで「百席」など出している通り、持ちねたの
数はもの凄い。(むろん百席以上、どうであろうか、
5〜600話せたのではなかったか。)

こんな圓生師であったので、私は信用するに足る
のではないかと考える。
親戚付き合いに、お供えのやり取りをする、というのにも
先に述べたように客観性、普遍性は十分あるだろう、と。

べっ甲問屋の主人も左官の親方も、親戚付き合いの習慣は
共通認識であったということ。
つまり、特定の上流階級、裕福な商人だけではなく、
職人も親方、棟梁レベルでは共有する、ついでに言えば、
落語家も、寄席に聞きにきている東京の普通の人々も、
共有していた習慣であった。(まあ、ほんとに余裕の
ない家はできなかろうが。)

さらに加えると、実際の血縁だけでなく藪蕎麦のように
暖簾分けなどの、社会的本家分家関係や「文七元結」
に出てくるようないわゆる“義兄弟”でも行うもので
あったということ。

では、藪蕎麦では今でもしているが、一般には
いつ頃まであったのか。
藪蕎麦は商売をしており、お客に披露しているだけで
他にもこの習慣をしている家はあるのかもしれないが。

圓生師の生きていた、落語修行をしていた年代から
考えると、少なくとも明治の頃にはやられていた
習慣であったのであろう。

そして、この習慣少し調べてみたが、東京だけのものでは
なかったかと。あるのかもしれぬが見つからなかった。
皆さんはお聞きになったことがあろうか。

では、この習慣の意味はなんであったろうか。
正月を迎える準備として年の暮れに贈り合う。
社会的関係を確認し合う、お歳暮のようなもの
という認識でよいか。
だが、単なるお歳暮であれば品物はなんでもよいが、
お供え鏡餅であるのにはどういう意味があるのか。
正月儀礼として飾るものは角松、注連飾りなど他にもあるが
鏡餅であったのはなぜか。
餅の持っている意味である。餅を正月、家の様々な場所に
供えるのは、民俗学では年神様への供え物と説明する。
日本人は稲の民であり、その収穫物の象徴である餅を
新しい年の神様に供える。また、餅には米以上の力がある
と理解されてきた。農村同様東京でも。
こういうことでよいか。

つまり、新しい年を迎える準備で最も大切で象徴的なものを
特別な互助関係の象徴として贈り合う。これが親戚の間の
「お供え餅のやり取り」。

こんなところでよいか、と思ったのだが、しかしである。
こう考えてくると、東京だけ、というのも引っかかる。
他地域でもあってもよさそうである。実際あったのかも
しれぬし、また、東京だけなのであれば、なにか、
もう少しわけがあるかもしれぬ。
ともあれ、これは民俗といってよかろうが、
明治の大都市東京で、おもしろいではないか。

今日のところは、ここで私の考察は終了。
東京以外に、なにか糸口があるのかもしれぬ。
課題としよう。

とにもかくにも、以前の習慣=民俗、を今でも続けている
[かんだやぶそば]は貴重な存在であろう。

もどろう。

お酒にかえて。

最後に、せいろ。

藪の本家らしく、いつもの緑色の強いそば。
年の初めに、うまいそば。

今年は、皆様にとってもよい年になりますように。

 


かんだやぶそば

 

 

 

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