断腸亭料理日記2023

初芝居 歌舞伎座新開場十周年 壽 初春大歌舞伎 
第三部 十六夜清心 その2

4250号

引き続き、歌舞伎座の初芝居三部。

例によってあらすじを書くのはやめよう。
ご興味あれば、こちらを。(wiki

通し狂言といっているが、初演時の脚本を原作とすると、
そこそこカットされていてかなりお話が飛んでいる印象。

ただ、三幕五場、三時間弱で、飽きずに観られるのは
このくらいかもしれない。

お話が飛んでいるので、逆にそれがおもしろいことに
なっているかもしれない。恋愛から心中、その後の悪党化。

この芝居は戦後もなん度も上演されていると書いたが、
その時、その時の二枚目の立役(男役)と、立女形
(たておやま、女形のトップ)が演じるものとして
定着しているとのこと。

例えば、一つ前が菊五郎と時蔵、その前が仁左衛門と玉三郎。

そして、今回が松本幸四郎と中村七之助。
やはり世代交代の時期である。

芝居を観終わって素直な感想を書くと、十分に
たのしめた。おもしろかった。

ただ、この芝居、あまり歌舞伎、特に黙阿弥作品を
観たことのない方にはやはりハードルが高いかもしれない。

心中はまだよいとして、その後の泥棒、強請(ゆすり)をする
悪党に落ちてしまうことが唐突であろう。

この原作である「小袖曾我薊色縫」のあと、黙阿弥は
二年後に「三人吉左」、四年後に「白浪五人男」と
泥棒を扱ったいわゆる白波物を次々と書いている。
どれも現代まで人気の名作であるが、その習作、プロトタイプ
という印象もあるかもしれない。

善人→悪人→死・浄化という人格の変化が、このあたりの
黙阿弥白波作品に流れている。
(今回の芝居では死・浄化にあたる本来の大詰(結末)が
存在するのだがカットされている。)

ここが、黙阿弥白波作品群の本質であろう。

あまり語られていないが、前回書いたように、このあたり幕末の
世相をまずしっかりと把握するべきと考える。
少し横道にそれるようだが、大切なことと思うので少しまとめて
書いておきたい。

イヤホンガイドでも、悪人化は幕末だから、時代の終わりだから、
などと乱暴な説明をしている。

近世日本史研究者の責任は否定できまい。
どうも幕末といえば、幕府と薩長土肥、勤王の志士の
倒幕活動、京での戦いから、戊辰戦争と政治にばかり
目がいき、当時の名もない民衆の生活がどうであったかを
あまりにもみてこなかった。
政治は必要だがむろんのこと、政治ばかりが歴史ではない。
民衆あっての歴史であり、上から下まで我々の過去をしっかりと
知らねば歴史研究としては、足らなかろう。
政治とは不可分であろうが、同時進行する民衆レイヤーが
ちゃんと存在し、そこに歌舞伎があったのである。

そう。
これを知らなければ、この時代民衆の中で生まれた
黙阿弥らの歌舞伎も、同じ時代に生まれた落語も本当には
理解できないのである。

まあ、それで私は日本近世民衆史須田努先生の
三遊亭円朝と民衆世界」などの江戸末から明治初めの
民衆史研究に行き当たり大きく腑に落ちたのである。

黙阿弥作品にしても落語にしても、きれいごとでは
すまされない、かなりエグイものがある。
普通の善人が、なにかをきっかけに一転、悪人になる。
博打(ばくち)はあたり前、「黄金餅」「らくだ」は死体損壊。
圓朝作品では強盗殺人も多い。また、徹底して貧乏を描く。

落語も歌舞伎も創作されたエンターテインメントなので
ある程度デフォルメされているとは思うが、極貧、博打、
強請、強盗、殺人等々が今我々が思う以上に身近にあった
のである。
背景は、冷害、飢饉から米価の高騰(物価高)、ここから一揆、
打ち壊しが発生。これが天保中頃(1830年代終わり)大政奉還まで
まだ30年ほどある。そしてこれらが多発、エスカレート。
もう手に負えない。これが悪党の世紀である。(ただ幕末だから、
ではない。むしろ、幕末は結果であろう。)

前回、無政府状態と書いた。江戸期でもこれより前であれば
罪を犯せば公権力に捕まり、処罰を受けることは保証され
人々に浸透していたことであった。
が、この時代は幕府などの通常の治安維持機能は結果として
弱体化、犯罪を犯しても、様々な形で逃げてしまえるように
なっていたのである。
また、モラルの低下。死体損壊など、むろん従前からの仏教的な
倫理観では否定されるべきものだが、そうしたものも
民衆全員ではもちろんないが、あたり前に無視する者どもも
一定数出現していた、のである。
ヤクザという言葉はまだこの時代には生まれておらず、
博打打ちだが、頭目は博打打ちの親分。歌舞伎でいえば、
「髪結新三」の弥太五郎源七などがこれ。ヤクザ、今言う、
反社会的暴力集団の源流もこの時代になろう。

ともあれ、これだけの限界状況の社会から生まれた
黙阿弥歌舞伎、落語などの作品群は、より深く人間を
描いているのである。人間の真実を。
エグイが、これが人間の本当の姿でしょ、と。

さて、幕間。
酒は呑めないが、歌舞伎座は席での飲食は可。
黙食推奨。

京都大徳寺の[さいき家]というところのさば寿司。

こんな感じ。

さばが肉厚。
一本分であろうが、なかなかの量。
棒鮨などともいうと思うが、さばの押し寿司というのは
うまいもんである。

ともあれ。
この芝居、よかったのだが、全般を通して特によかったのは、
やはり七之助であろう。どっしりとびくともしない。
また、花道の七三(しちさん)で止まって身体をひねり流し目の
七之助。ぞくっとするほどの色気であった。

数年前から立女形の玉三郎が七之助を特訓中とも聞く。
目覚ましい進捗ではなかろうか。
玉三郎の芸の道は苦しく、厳しかろうが、たのしみである。

一方、もう一人の主役、幸四郎。
七之助に比べるともう一つという印象はぬぐえない。
特に、大詰めの強請の場面。
なんであろうか、泥棒コントを観ているよう。
コミカルで軽さが目立つ。七之助のマジな芝居とも違和感があった。
この役、仁左衛門に習ったという。線の太い二枚目の仁左衛門だから
これでよかったのではなかろうか。比べると、幸四郎は真面目
だがどうしても線が細い。この演出、今の幸四郎の人(ニン)には
合っていないのでは、なかろうか。

 


三代豊国 安政6年(1859年) 江戸市村座 小袖曽我薊色縫
二八蕎麦屋 六代坂東又太郎、鬼薊清吉、四代市川小團次
八重垣紋三 九代市川團十郎

初演時のもの。

 

 

 

 

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