断腸亭料理日記2008

上野・国立博物館・大琳派展

11月16日(日)

さて。日曜日。

なぜであろうか、よくわからぬ。
上野の国立博物館の大琳派展へいってみようと考えた。

この前いった、江戸博(江戸東京博物館)の
浅草展もそうなのだが、都営地下鉄の構内などに貼ってある
ポスターで今、都内の博物館で、なにをやっているのか、
というのは、忙しい毎日ながら、頭に刷り込まれている、
のかもしれない。

一息ついでに、今日は、大琳派展を見にいくことにした。

地下鉄のポスターでは金地の風神雷神図屏風
これを目にしていた、のである。

この絵はほとんどの人が、教科書やら切手やらで
一度は目にしたことがあることであろう。

私も、実のところ、そんなもの、で、ある。

まあ、ちょいと、見にいってみようか、そんなところ。

徒歩。

行く前にラーメンが食いたくなり、御徒町で腹ごしらえ。

御徒町のラーメン屋も最近は随分とうまいところが増えた。
いろいろ考えて、七志

七志は、アメ横から中央通りへ出る路地。


私の好きな、新宿の桂花
にどこか似ているので、たまに、きている。

食い終わり、中央通りへ出て、甘味のみはしの前を通り、
信号を渡って、上野公園の正面入り口、といってよいのか。
昔の、上野寛永寺の正門、黒門口。

幅の広い階段を上がり、西郷さんの銅像を右に見て、
直進。

子規記念という名前の付いた、小さな野球場。

空は曇り。
肌寒いのでウインドブレーカーを着てきた。

上野の森の木々もだいぶ紅葉している。
浅草界隈は家が立て込んでおり、木、というものは少ない。
ほんの近所だが、上野の山の木々の多さには、
普段あまりこないだけに、あらためて気が付かされる。

噴水前の広場に出る。
なにか、消防車や梯子車などが出ている。
防災ピーアール、で、あろうか。

脇を抜けて真っ直ぐに、いくと、
国立博物館の門。

くる前に調べてきたのだが、
今日は、実は大琳派展の最終日。

チケット売り場は人だかり。
列に並び、券売機でチケットを買う。
1500円。

門を入る。
特別展は左奥の平成館、と、いうところ、らしい。

実のところ、国立博物館に入ったのは、、、、?
もしかすると、生まれて初めて、かもしれない。
隣の国立科学博物館へは子供の頃、父親に連れられて、
きたおぼえは、かすかながら、ある。
(だいだいにおいて、国立博物館とは、なにを展示しているのか、
(常設展)すら、知らなかった。
基本的には、博物館とはいえ、美術、なのであった。
国内の縄文時代から、近代までの国宝、重文といわれるようなもの、を
展示しているのであった。)

歩いていくと、平成館らしき、
大きな近代的な建物の前に列が見え
その列につく。

待ち時間、10分、という看板を持った係りの人が
誘導している。

10分もかからず、入る。

エスカレーターで階上の展示室に上がり、、、。
なんとなく、わくわくする。

さて。

一つ一つ、詳細に感想を書いていっても、仕方がないので、
なんとなく、全体のまとめを、書いてみたい。

そもそも、この展示会のコンセプトはなにか、というところである。

大琳派の、琳派とは、俵屋宗達、本阿弥光悦あたりの、
安土桃山から江戸初期の画家芸術家を元祖として、
尾形光琳が大成。酒井抱一などに受け継がれた江戸時代の絵画の一派、
というようなことが、辞書には書かれている。

従って、俵屋宗達、本阿弥光悦、尾形光琳、酒井抱一などの
国宝級の作品が展示されている、ということ。

最も有名なのは、例の、金地に風神と雷神が描かれた
風神雷神図。

そして、この風神雷神図というものを、
俵屋宗達を元祖として、その後、尾形光琳、酒井抱一などが
ほぼ同じ構成で描いていた。
その三人の風神雷神図が揃って、見比べられるように
展示されていた、ということであった。
(知らないで、見に行っていた、というのは
おまぬけ、なのではあるが。)

私は、美術、絵画、というものを批評できる知識も
能力もないので、やめておくとして、
歴史、あるいは、時代を少し書いてみたい。

俵屋宗達、本阿弥光悦は先に書いたように
安土桃山時代から江戸。、
この二人は、同時代で京都を中心に、近いところで
活動をした人物。

信長、秀吉とこの時代、茶の湯、能などは、権力者をはじめ
広く文化として完成されていったのは、皆さんご存じの通り。
千利休をはじめ、当時の富裕商人、大名などとも不可分で
大名で茶人、商人で芸術家というような人も随分あった。
こういう世界で活躍したのが、本阿弥光悦であり、
俵屋宗達。
尾形光琳はちょっと後にずれ、江戸時代初期の京都がやはり
中心的な活躍の場。
文化史的にいうと、元禄文化ということになろう。
顧客は、京都の公家、富商、あるいは大名家。
徳川譜代で大老なども出した、姫路の酒井家の扶持を
もらっていたこともあったようである。

しかし、風神雷神もそうだが、もう一つ有名な、
燕子花図(かきつばたず) 。
どちらも金キラの地に、はでな緑や青。
これが、なんといっても、トレードマークであろう。

東照宮や二条城、などに残っているような、
安土桃山からの派手な武士と富商の壮麗な文化、
ということになるのであろう。

ここまでは、私もある程度知っていたこと。

そして、その後の酒井抱一。
これが知らなかった。

この酒井抱一なる人物の、生きていた時代は
光琳などとは重なっていない。
宝暦11年(1761年) 〜文政11年(1829年)。
時代は、江戸中期。
先日、前川のところで、うなぎ蒲焼の発祥のことを書いたが、
気持ち、早いが、ほぼ重なっている時代。
蜀山人大田南畝先生などとも重なる。
(実際に南畝先生は、酒井抱一に狂歌を教えてもいるようである。)

酒井抱一はなに者か。
実は、先に光琳が扶持をもらっていたという
譜代大名、姫路藩酒井家の次男に生まれている。
姫路の酒井家は、代々、雅楽頭(うたのかみ)を名乗っている。
(江戸の庶民にも親しまれていたのかもしれぬ。
酒井雅楽頭は、落語にも出てくる。雅楽(うた)様などと呼ばれ、
「三味線栗毛」という噺。
地味だが渋い味を出している、三遊亭小圓朝という人の音が
残っている。最近では、柳家喬太郎師もやっているよう。
ちょうど、この噺も酒井家の次三男だった部屋住みの若様が
主人公で、次三男が、殿様になる、というもの。)

家が、光琳と縁があったというのもあろう、
大名家の次男という、殿様の芸として、絵を学び始め、
大成した、という人。

もう一つ、酒井抱一についていうと、光琳までの
京都ではなく、江戸で花開かせたということ。

そして、この展示で分かったのは、光琳、抱一などの
遺したものは、こうした、目立つ大きな作品だけでない。
着物の柄などになっている、様々な我々が今でも
見ている江戸風の文様。(光琳模様、というらしい。)
千鳥、という文様がある(かき氷の「氷」の旗に飛んでいる
三角の鳥。)が、あれなどもその類、であるという。

しかし、今回の展示の時代の違う三品(実は、もう一つ、
酒井抱一の弟子の作品もあり四品)のまったく同じモチーフの
作品を並べる、という企画はなかなかおもしろいかった。

西欧の絵画では、色までも寸分たがわぬモチーフを描く、
という習慣はまあ、ないであろう。
これは、作品ではなく、模写、という。

日本では、こういうことが、あり、であったということ。
なぜであろうか。

例えば、職人であれば、彼らは師匠から習い、同じものを
美しく作る、という仕事。

日本の絵師、にはこういう職人としての側面があったから
ということなのか、、、。

いや、それだけではないかもしれない。
これが、日本の文化の特質のような気もする。

抱一は光琳に憧れて、この世界にのめり込んだという
説明も、どこかに書いてあったと思われる。
先達の遺したものを敬慕し、継承して、それをお手本に、
自分の作品を作る、という文化。

詩歌俳諧の世界では、古今、新古今、江戸の芭蕉まで、
先達の遺したものに自分の作品を重ねる、ということ自体が
一つの様式になってもいる。

自分の表現と、先祖が残したものを重ねて、
会話をする、というのが、日本人の代々培ってきた、
精神的文化的特質、なのかもしれない。


さて、残念ながら、この日は、光琳のもう一つの名品、
燕子花図(かきつばたず)の方は既に展示が終わって、見られなかった。
しかし、三人の風神雷神図だけでも、目の当たりにすると、
やはり我々の先祖の遺した文化芸術の質の高さ、
素晴らしさを、素直に実感した。
先日の庶民の表現の浮世絵とはまた違う、
壮麗豪快で、意匠的にも完成された、まさに名品。
屏風であるから、実物で見なければ実感がわかない。

世界に誇るべき遺産であり、また、それらの
作家達が作ったものが、江戸文様として、
今の我々の手の届くものとしても残されてもいるという
ことを知り、うれしさの、ようなものも感じた。

そんなこんな。

帰り。
また、ミュージアムショップで、その江戸文様の
手ぬぐいと、風神雷神図の扇子なんぞを買う。

国立博物館を出ると、いつの間にやら、
そとは、しょぼしょぼと、雨。

噴水広場を抜けて、動物園前を通り、清水寺を上に、
不忍池の弁天堂を下に見て、山を降り、アメ横へ。

国立博物館






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