断腸亭料理日記2009

池之端・おでん・多古久

4月9日(木)夜

今日は、会社の同僚二人と上野で花見。

今年の桜は本当に長く見ることができたが、
さすがに、もう最後、で、あろう。

大江戸線、上野広小路で降りて、
コンビニでビールを買って、黒門口から階段を昇り、
山に上がる。

ずーっと行って、野球場の脇。
野球場の照明で明るいところ。

桜花は、葉も出て、2〜3割は散っているが、
多くの人々が、敷物を広げ、花見をしている。

サラリーマン八割、学生のグループ1〜2割といったところか。
3人で座って、缶ビール開ける。

それぞれ、500ml、一本。
風が吹くと、花びらがはらはらと散り、絵に描いたような、桜吹雪。

さすがに、きれいなもの、で、ある。

と、ド〜っと、花見をしている満座の皆々から期せずして、
歓声と拍手がわく。


一本呑み終わって、移動。
山を降りて、どこか店に入って、呑もう、で、ある。

黒門口の方へ戻り、清水堂の下。
右側、不忍池の方に真っ直ぐ、弁天堂が見える。
ライトアップされ、これもきれいである。

誘われるように、弁天堂の方に向って、石段を降りて、いく。

弁天堂への参道には夜店の屋台がずらっと出ている。
焼き鳥やらの屋台では、テーブルや椅子が置かれ、
ここで呑むこともできる。

ここでもよいか、とも思いながら、弁天堂までくる。
このあたりにも、桜花は多い。

やっぱり散り始めており、不忍池の水面(みなも)は
一面、花筏(はないかだ)で、桜色。

池の中の道を通って、向こうの池之端仲町側にいこう。

この道の両側にも、池に張り出すように
枝を広げた桜並木、で、ある。

こちらは、灯り少ないが、それでも、花見をしている
人々もいる。

池之端側に出て、不忍通りの交差点を渡って
仲町の通りに入る。

すぐに左側、おでんやの多古久

実のところ、私は最初から、ここに来ようと思っていた。

20時過ぎ、といった時刻。
暖簾から覗くと、お客は、カウンターに一組だけ。

珍しい。
いつもなら、すぐに満席になり、
早い時間でなければだめ、なのである。
いや、もうおでんの季節のではない、のか、、。

(実際には、私達が入ってからしばらくすると、
どんどんと客が入り、1時間もすれば、満席。
きっと、皆、花見で外で呑んでいたのであろう。)

ともあれ、三人で入り、座る。
真ん中のおでん鍋の前。
お婆ちゃんの大女将が、店の名前の入った大きな
銅(あか)のおでん鍋の脇に陣取っている。

ビールをもらい、銘々おでんをもらう。

今日の連れは、女性一人と男性一人、だったのだが
私から、先に注文をした。
これは私がこの店を知っており、他の二人は
初めてなので、勝手がわからないと思い、見本を示すような
つもりで、先に声を出したのだが、これを、お婆ちゃんの大女将に
とがめられてしまった。

「あんたねぇ、女の人が一緒だったら、
先に注文させるものよ。」
と、言われたが、その直後に、にっこり。

なるほど、、、。
「は、はぁ、、失礼しました。」

と、連れの女性と、大女将へ。

この大女将はおいくつくらいに、なられるのだろうか。

80歳は越えられていそう、である。
満面の、かわいい笑顔には、なにか、ホッとさせられるものがある。
(普通であれば、間違いなく、私はむっとしていた、であろう。)

この店は、明治37(1904)年の創業、と、いう。

今のご主人で四代目らしい。
と、すると、この大女将は、三代目の女将、なのか、、、?
わからぬが、四〜五〇年(以上?)は、ここでおでんを煮、
お客の相手をしてこられた、のか、、。

三味線の聞こえる、天神下、花街、華やかなりし頃も、
むろんご存じだろう。

そういう時間が積み重なっているかわいらしさ。

いつもカウンターは満席のこの店。
大女将と言葉を交わしたのは今日が初めて、で、ある。

(今度、すいていそうな時に、一人できて、
そんな話をお聞きしてみたい、気もする。)

しかし、この店、百年以上経っている。
千束のお多福は、大正4年。銀座のお多幸でも大正12年。

東京のおでんやの歴史、そのもの、といっても
よいのかもしれない。

前にも少し書いたことがあるが、おでんの歴史は、
おそらく、江戸末から、明治の初期、それまでの
いわゆる味噌田楽から、今の、煮込みのおでん、が、
江戸(東京)で生まれた。
そして、その頃は一軒の店ではなく、屋台。

それが、一度大阪、関西へいき、関東煮(かんとうだき)
として、屋台から、一軒の店としてのおでんや、になった。

そして、明治の末から大正の頃、他の関西割烹料理と共に、
屋台ではない、一軒の料理やとしてのおでんやが、
再度東京に戻ってきた、と、いわれている。
(このため、だと思われるが、先の千束のお多福は、大正初期の創業で、
場所も浅草千束、という遊所、吉原も程近い場所でありながら、
関西風、で、ある。)

この店ができたのが明治37年頃というのは、東京のおでんやが、屋台から、
一軒の店を構えるようになった頃と、と符合する、のか。
(ひょっとすると、この店の創業、と、いうのは、
屋台、だったのかもしれないが。)

ともあれ。


私は、すじ、つみれ、ちくわぶ。

話もはずむが、腹も減っているので、
ばくばく食って、すぐに二皿目。


玉子に焼豆腐と、細長いのは、鶏肉の入った、
がんも。
普通の、がんも、のつもりであったのだが、
こういうのもあるけど、どう?
と、大女将にいわれて、もらってみた。

がんもにつくねが入っている、という感じ、である。
おもしろいし、うまい。

そして、またまた、大女将が、今日は、
こんなのも、作ったので、あがってみます?
と、勧められ、もらった、つくねのおろしかけ。


レモンが添えられ、さっぱりして、うまい。


結局、11時頃まで、呑んでしまった。
二人を、上野駅まで送り、私はぶらぶら歩いて、
元浅草まで、帰宅。

池之端、多古久。
百年以上の歴史を持つ老舗でありながら、
別段、敷居が高いこともなく、ざっかけない、
下町のおでんや、で、今もあり続けている。

やはり、大女将を含め、昔のこのあたりの面影、空気を
残している店、なのかもしれない。




住所:東京都台東区上野2−11−8 長谷川ビル1F
電話:03-3831-5088





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