断腸亭料理日記2009

新橋烏森・鮨処・しみづ その1

2月14日(土)夜

さて。
鮨、で、ある。

今日は、着物を着て、内儀(かみ)さんとともに
新橋の鮨や、しみづ、へ。
(しみず、ではなく、しみづ、のようである。)

私は、東京の有名鮨やの最新事情、というのをよく知らない。
また、知ってみたいとも、たいして思わなかった。
さらに、知っていたから、偉い、とも思わない。

東京に鮨やがなん軒あるのだろうか。
そして、老舗、新進気鋭の話題の店、いろいろある、
のであろう。
あるいは、どこそこの店の親方は、どこで修業して、
その先代の技を忠実に受け継いでいるのは、どこの店で、、、。
師匠筋、弟子筋、、なにか、いろいろ、ある。

知っていて、損をすることではないし、
それなりに、おもしろいこと、ではあろうが、
実際に、それらの店を回って、食べて、比べて、、。

むろん、金と暇、の問題は、あるのだが、
そこに本質は、ない、と、思うのである。

あるのは、東京で気持ちよく、うまい鮨が食いたい。
この一点に尽きる。

まずは、そういった前提に立つべきであろう、ということを
最初に私自身への戒めとして書いておきたい。


妙な書き出しに、なってしまったが、
新橋の鮨や、しみづ、というのは、
知っている人は、みんな知っている、
そういうところ、らしい。
これを知ったのは、昨年であったろうか。

昨年、京都祇園の鮨や、まつもと、というところへいった。

東京から遠く離れた、京都祇園で
うまい江戸前鮨を握る、若いご主人。
安くはないが、気持のよい店、で、あった。

そのご主人が修業をされたのが、この新橋の、しみづ、と、いう。


さて、ここから、私のわかる範囲での、系列話、に、なる。
(むろん、各店すべてに私はいったことがあるわけではない。)

このしみづの親方は、新橋鶴八、という鮨やで修業された。

新橋鶴八の師匠筋のあたるのは、神田鶴八。

神田鶴八の先代は『神田鶴八鮨ばなし』(新潮文庫)

という本を出されている師岡幸夫さんという方。
さらに、この師岡さんは、柳橋の美家古鮨で修業をされた。
いわば、祇園のまつもと、新橋のしみづ、鶴八は
美家古鮨系統、ということになるのであろう。

柳橋の美家古鮨の系統で私が知っているのは
天神下の一心

同じ名前だが、浅草の弁天山美家古寿司と、
柳橋の美家古鮨がどういう関係にあるのかは私は知らない。
(推測だが、「弁天山」は創業が慶応年間、「柳橋」は屋台で始めたのが
文化年間、ということなので、柳橋の方が古かろう。)
(ちなみに、私は弁天山にはいったことがあるが、
柳橋にはいったことはない。)

今日の、新橋しみづ、の背景を、今、知っている範囲で
ざっと書くと、こんなことになるようである。
(くどいようだが、全部行ってたわけではないので、定かではない。)

とても簡単にいってしまうと、この系統は、今、
“江戸前の古い仕事を継承しているところ”、と、
いうことになると思われる。

しかし、こうしたことは、はっきりいうと、
きりがない、というのが、本音、ではある。

また一方で、冷蔵設備が完備されている現代において、
この系統の代名詞である“江戸前の古い仕事を継承している”
ことの意義は、と、いう議論も、ある。

あるいは、東京にはこの系統以外にも
“江戸前の仕事を継承している”と、いわれているところは
他にも多くの老舗があり、そのまた系統がある。

公平を期すのであれば、それらを全部調べ、
なおかつ、現在、行って、食べなければならなくなる。

例えば、京橋与志乃の系統、すきやばし次郎、浅草松波、銀座水谷、、。

あるいは、また、、銀座久兵衛は?。

と、まあ、かくの如し、である。
(他にもあるのかもしれぬし、新進気鋭の店は
どうなのか、というのもある。)

いくら金と暇があっても、むろん手銭で、
全部回ることは、簡単なことではない。
また、もう一つ重要なことは、それぞれの店は、
一度や二度いっただけではだめ。通わなければ、
よさなどはとてもわかるものではない、ということもある。

そして、最初の結論、
「知っていて、損をすることではないが、
そこに本質はなく、あるのは、
東京で気持ちよく、うまい鮨が食いたい。
この一点に尽きる。」に、いきあたる。

最近、私は、鮨やで、魚の産地を聞かぬことにした。

なん度か書いているが、それは本質ではなく、
口に入れた時にうまいかどうか。これに尽きる。
どこで獲れたのかはその後の問題。
(結局、産地、ねたの質、そして肝心な職人の腕。
これらが相まって、出来上がるのが江戸前のにぎり鮨、
ということである。)
むしろ、産地を云々することで生まれる様々な弊害の方が
今は大きくなっている。

そして、産地などを云々するのと同様に、店の系統などを
訳知り顔に四の五のいうことは、よほど気を付けなければならない。
一歩間違うと同じように本当にうまい鮨を、見失いかねない、
と、思うのである。

“伝統の江戸前の仕事”至上主義というのであろうか、
冷蔵設備がなかった頃に出来上がった技はそれはそれで、
文化財として大切なものではある。しかし、これだけ、鮨がグローバルに
食べられている現代に、昔の江戸前の技、だけが鮨のすべてではない。
これもまた事実であろう。

仙台の立ち喰い鮨で食う、どんこの肝のせ、だって、そうとうにうまい、
わけだし、それだって、かの地の職人の技、ではある。
玉子は、江戸前の薄焼きだけしか認めない、というのは、いかにも
料簡が狭いと思われまいか。

毎度書いているが、冷蔵設備が整ってからの方が時間が短い。
現代はまだ、発展途上のにぎり鮨と、考えるのが妥当だと思う。

大切なのは、やはり、そういった昔の技も全部ひっくるめて、
現代において、虚心坦懐、東京で食う、うまい鮨とはなにか、
と、いうことなのではなかろうか。

しかし、しかし。

しかし、、、ではある。

そうはいうものの、白状をすれば、
いっているうちのいくばくかは、
負け惜しみであることも、承知している。
この本質は本質として、外してはいけないとは思うが、
知りたい、行ってみたい、と、思うのもまた、一方で人情ではある。

他には、池波先生の行きつけであった、
かの新富寿司にもいってみたいし、などなど。

私もまだまだ、四十五歳。
いくこと自体を目的としたくはないが、機会と余裕があれば、
たまにはそんなところもいってみて、
ジジイになった頃には、相応の、口を利いてみる、
というのもよいのかもしれない、などと思ったりもする、
のでは、ある。

前置きのような、考察のようなものが
そうとうに、長くなってしまった。

しかし、私のスタンス、考え方の表明とともに、
私が考える江戸前鮨として、
大切なことだと思われるので、あえて、書いた。

そんなこんなで、新橋烏森・鮨処しみづ。

場所は、新橋駅の烏森口。
SLの前の路地を入ったところにある、烏森神社の
すぐ近くの、裏路地、に、ある。

昼にTELを入れると、18時45分から、20時15分までと、
細かく時間を指定された。

着物を着、雪駄を履いて、内儀さんと、出る。
稲荷町から、銀座線。
4月下旬などといっていたが、春のような
暖かさ、で、ある。
羽織を着て、襟巻もいらない。

新橋で降りて、烏森側に出る。
前もって、地図で調べてきたのだが、
迷ってしまった。

烏森のSLから見ると、左側の路地。
これを入って、すぐ右側、さらに細い路地。
ちょうど、烏森神社の参道になっている。
これを入り、さらに左。
しばらくいって、右側。
まわりは、小料理屋や、居酒屋などが
長屋のように、ごちゃっと、あるところ。

あったぞ、鮨処しみづ、の看板。
店は、まわり同様、間口一間ほどの小さな構(かまえ)。
今日の暖かさで、表の格子が開いている。

・・・。


****************

と、このあたりで、店にたどり着かず、
以前に、お叱りをこうむったこともあるが、やはり、
あまりに長いの、こそ、ご迷惑であると考え、

つづきは、明日。





TEL:03-3591-5763
住所:東京都港区新橋2丁目15−13





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