断腸亭料理日記2011

元浅草・砂場〜

そば屋のかつ丼考察

4月26日(火)昼

昼をはさんで、市谷からつくばへの移動。

大江戸線から、新御徒町でTXへ乗り換え。

なのだが、一度降りて、家(元浅草)に寄って、
ちょいと用足し。

昼飯は、蕎麦や、砂場にする。

家がこの位置にあると、ちょいと寄る、というのが
できるので、便利、ではある。

砂場、というのは、春日通りと左衛門橋通りの交差点、
北西角のビルの1階にある。
拙亭に最も近い蕎麦や、ではある。

新御徒町駅の出口からもそう離れてはいない。

砂場、という看板だが、町のそば屋、と、いってよい。

だが、むろん家の至近にあるせいもあるが、
ウイークデーの昼、家にいることがあれば、
まず、昼飯のファーストチョイスは、
この店ではある。

ここへくる最大、唯一の目的は、ミニかつ丼のついた、
ざるのセット、で、ある。

町のそば屋には、かつ丼があり、他の店でも
こうしたセットは、昼にはよく出している。

かつ丼、と、いうのは、うまいもの、で、ある。
そして、私の場合、時に無性に食べたくなるもの、
でもある。

それで、少し前に自分でもかつ丼を作ったりしている。

この時も、書いているが、かつ丼というのは、
なぜだか、東京の町のそば屋のメニューになっている。

これ、まったく、不思議である。

なぜ、蕎麦やのメニューにかつ丼がなったのか。
また、それはいつ頃のことであろうか。

これをちょいと、考えてみたい。

おそらく、戦後のこと、ではなかろうか。

とんかつの発祥が、明治の末から、大正。
洋食やの、カツレツが、主として上野界隈で独立し、
和食スタイルの店になり、とんかつや、となった。

つまり、とんかつは、昭和初期には東京で一般化した、
と、いってよかろう。

そして、もう一つ、おもしろいことがある。
東京のとんかつやの多くには、かつ丼はない。

とんかつや、に、かつ丼がない、ということは、
かつ丼というメニューは、とんかつやで生まれたのではない
と、いうことであろう。

とんかつ、というというメニューがさらに独立し、
玉子とじとなり、丼飯(どんぶりめし)の上に、のった。

同じ、丼飯で玉子とじ、といえば、すぐ思いつくのは
むろん、親子丼。
今、かつ丼同様、親子丼も町のそば屋には、まあ、あるメニュー。
親子とかつ丼を比べてみると、親子の方が、時代的には
古くからあるものであろう。
鶏を甘辛く煮たものは、かの鬼平の軍鶏鍋であるし、
江戸期からあったもので、それを玉子とじにし、
ご飯にのせたものは、この頃、既にあったはずである。
(ちゃんとした考証は一度してみたいが、おそらく
間違いなかろう。)

すると、かつ丼発祥と考えられる、
この昭和初期から、戦争をはさんだこの時期、
そば屋に、親子はあったのか、ということが
疑問にはなる。
しかし、おそらく、あったのであろう。

(前の考察で、現代において親子丼を看板にした店、というのは、
あるが、かつ丼をメインにした業態はない、と書いた。
おそらく、昭和初期当時、親子丼も同様に、それを
看板にする業態はなかったであろう。)

なんだか、かつ丼から、今度は、親子丼がそば屋に
置かれるようになったのはいつか?という考察に
変わりそうである。

本来、東京のそば屋には、親子丼などの
ご飯ものはなかったはず、ではある。

歌舞伎などに出てくるそば屋にはないし、
神田藪、池の端藪など老舗には今も、ない。

時期は特定できないが、おそらく、かつ丼が
町のそば屋で一般化する以前に、町のそば屋では
ご飯ものがあり、親子丼が置かれていた。
そういうことであろう。

もしかすると、これが、大正から昭和初期、
だったのかもしれない。

かつ丼発祥の蕎麦やというと、私はいったことはないが、
早稲田にある「三朝庵」というそば屋らしい。

早稲田は学生街であり、食欲旺盛な学生に対し、
親子丼から、鶏をかつにし、かつ丼が生まれた。

同じようなもので、カレーにカツをのせた、
カツカレーというのも、ある。

これは、銀座の洋食スイスグリルが発祥で、
野球選手の千葉茂さん用に、考えられたというが、これも
戦後のこと。

ということで、町のそば屋にかつ丼があるのは、
親子丼が、戦後、変化したのではないか、
という結論ではある。

だがこれ、やはり、本当の意味では、町のそば屋に
かつ丼がなぜあるのか、の答えにはなっていない。

そば屋に親子丼がいつ、どうやって現れたのか
を考証たくなる。

が、先の、そもそも親子丼はいつ生まれたのか、同様、
これも今日はやめておこう。

そんなことで、元浅草砂場の、ミニかつ丼とざるのセット。


うまいもん、で、ある。







断腸亭料理日記トップ | 2004リスト1 | 2004リスト2 | 2004リスト3 | 2004リスト4 |2004 リスト5 |

2004 リスト6 |2004 リスト7 | 2004 リスト8 | 2004 リスト9 |2004 リスト10 |

2004 リスト11 | 2004 リスト12 |2005 リスト13 |2005 リスト14 | 2005 リスト15

2005 リスト16 | 2005 リスト17 |2005 リスト18 | 2005 リスト19 | 2005 リスト20 |

2005 リスト21 | 2006 1月 | 2006 2月| 2006 3月 | 2006 4月| 2006 5月| 2006 6月

2006 7月 | 2006 8月 | 2006 9月 | 2006 10月 | 2006 11月 | 2006 12月

2007 1月 | 2007 2月 | 2007 3月 | 2007 4月 | 2007 5月 | 2007 6月 | 2007 7月

2007 8月 | 2007 9月 | 2007 10月 | 2007 11月 | 2007 12月 | 2008 1月 | 2008 2月

2008 3月 | 2008 4月 | 2008 5月 | 2008 6月 | 2008 7月 | 2008 8月 | 2008 9月

2008 10月 | 2008 11月 | 2008 12月 | 2009 1月 | 2009 2月 | 2009 3月 | 2009 4月

2009 5月 | 2009 6月 | 2009 7月 | 2009 8月 | 2009 9月 | 2009 10月 | 2009 11月 |

2009 12月 | 2010 1月 | 2010 2月 | 2010 3月 | 2010 4月 | 2010 5月 | 2010 6月 |

2010 7月 | 2010 8月 | 2010 9月 | 2010 10月 | 2010 11月 | 2010 12月 |2011 1月 |

2011 2月 | 2011 3月 | 2011 4月




BACK | NEXT |

(C)DANCHOUTEI 2011