断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 8月 その4


さて。

『講座』の8月。
昨日は、寛永寺の徳川家霊廟について書いた。





コースとすれば、寛永寺霊園から、
寛永寺の根本中堂(本堂)へ。

瑠璃殿などともいわれた、今の噴水広場の場所に君臨していた、
江戸の頃の根本中堂と比べれば、いかにも地味なもの。

ただ、ここには、公開はしていないが、
鳥羽伏見の戦いから、江戸に逃げ戻ってきた
15代将軍慶喜が謹慎をしていた書院が残っている。

ここから、国際子ども図書館、
奏楽堂前、因州鳥取池田家黒門、東京国立博物館正門、
輪王寺。

輪王寺の門は、数少ない江戸の頃の
遺構、輪王寺の宮のお住いであった、寛永寺本坊の
黒門。(ただし、これも現在修復中。)

科学博物館、西洋美術館前を通り、
右に曲がって、動物園前。
(例のパンダ郵便ポストがある。
ここに投函すると、パンダの消印が押されるらしい。)

左に入り、カレーそうめんのある、茶店(売店)。
その前を通り、上野東照宮。

と、売店のすぐ隣にあるのが、
雅楽頭系酒井宗家二代の、酒井忠世寄進の大鳥居。

これが、上野東照宮の鳥居、で、ある。

東照宮は、花見の頃、一度書いている。
同行の皆さんにもお伝えしたのだが、
ここでは、参道にある灯篭を是非丹念に見てほしい。

春に書いた、真田伊豆守信之の灯篭も一例なのだが、
それぞれの灯篭に刻まれている、
寄進をした大名の名前を見ていくのは、
とても、おもしろい。

この上野東照宮ができたのは、1651年(慶安4年)
家光の頃。その三代将軍家光によって、作られた。

そひて、刻まれている大名の名前は、まったく、
この当時のもの、なのである。

今まで、私自身もこういうところに
注意を払ったことはなかった。

「陸奥国主、、、あ〜、これは伊達だ」、とか、、。

このあたりの歴史好きな方には、堪らないはずである。
(そういう意味では、ここだけでなく、日光東照宮も、
同様に、灯篭には、そうそうたる大名の名前が
刻まれているはず。これも、私は見てみたことはない。)

手近に見えるのはよいのだが、なん度も書いているが、
今のこの状態、で、ある。

これらは、300年前の歴史を、現代に伝えている
貴重な遺構のはず。

であるのに、境内に屋台店が出れば、彼らの店の
ロープを縛る柱に使われている現代の有様。
まったくもって、悲しいではないか。

もし、不心得な者が、なにか悪さをしようと思えば、
簡単ではないか。
東京都だか、文化庁だか、わからぬが、
そうした事態になってしまったら、
責任は取れるのであろうか。

そうそう。

もう一つ、書いておかねばならない。

五重塔のこと。

この東照宮の参道からも見えるのだが、
今は、塀の向こう側、動物園の敷地内にある。
これも、重要文化財。

家康の重臣、かの、土居利勝寄進という。
これは、江戸期は東照宮の塔であったもの。

明治に入り、神仏分離で寛永寺の所管に。
そして、その後
(動物園が東京市に下賜された時ではなかろうか)
寛永寺から東京市へ。

こんな経緯で、今、動物園の敷地内にある。

前にも書いているが、しつこく書こう。

これもヘンではなかろうか。
いや、誰がなんといおうが、ヘン、で、ある。

上野動物園の正面から入って塔は左に見えるが、
パンダを見にきた人は、五重塔など
目に入らぬであろう。

本来、東照宮のものだったのだから、
動物園の柵の中にあるのは、明らかに違う。
戻すべきである。

さて。

東照宮から、お顔だけの上野大仏。
精養軒で、ちょっと休憩。

精養軒の玄関に立って、右側、小高いところに、上野時の鐘。

前を通って、右手に折れて、坂を下りて、五條天神。
ここは神輿も出る、上野の氏神様。

また、戻って、天海僧正遺髪塚。
(坊さんの、遺髪、というのは?ハテ?)

彰義隊士の墓。

西郷さん銅像。

戻って、清水観音堂裏、秋色桜。

清水観音堂。

これも、もう一つの、江戸の遺構。

その昔、この舞台の上からの、不忍池の眺めは、
素晴らしかった、はず。
直線正面に、池に浮かんだ、弁天堂が見えた。

今は、桜の木に覆われて、
見えない。

もうここまできて、だいぶお疲れの見えている方も
表れはじめている。

また、『早く、とんかつを、食わせろ〜〜〜!』

との声も聞こえてくる。


もう少し、、、、、


だが、長くなった。

来週、もう少しだけ、書かせていただきたい。




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