断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き7月

その8


7月16日(土)

引き続き、7月の『講座』。

もうあとわずか。




森下交差点から、清澄通りを北上。

と、また堀の跡がある。
右側に、地下鉄森下駅の北側の出口。

江戸の地図を見ていただきたい。
橋は、弥勒寺橋。五間掘、で、ある。

六間掘は小名木川と、竪川を結び、五間掘はさらに六間掘から
別れ、入り掘となり、弥勒寺の南を通り、さらに
南へ折れて、その先は、堀留(行き止まり)。

現代の地図を見ていただくと、弥勒寺は確かにあるが、
江戸の頃からはだいぶ小さくなり、北側。
間違いやすいが南側、五間掘跡に接したところに
別のお寺さんがあったりする。

鬼平ファンであれば、ご存知、弥勒寺門前の
お熊婆さんの茶店は、江戸の地図でいうと、
弥勒寺橋の東詰あたりの角、ではなかったかと、思われる。
(むろん、池波先生創作だが。)
このあたりに、弥勒寺の門前町屋があったようである。

この五間掘跡の北から、墨田区。
本所になる。

清澄通りをさらに北上すると、やっと到着。

上に、首都高、京葉道路が走り、竪川(たてかわ)が下。
橋の今の名前は、二之橋。

ここが本所二つ目。

あの、鬼平に登場する、軍鶏鍋屋五鉄は、
橋の北詰にあったことになってる。

北詰には、そんな解説の書かれた、立札も
立っている。

竪川は、小名木川同様、隅田川から、真っ直ぐに東に掘られ、
できたのも江戸初期の同時期。
やはり、中川につながっている。

竪川というのは、文字通り、縦のことであるが、
なにが縦なのか。

これは、実は、大横川、あるいは横十間川という堀も
本所、深川にはあることを考えると、わかってくる。

大横川は北部は埋められているが、スカイツリーのお膝元、
業平橋から、本所を真っ直ぐ南下し、竪川、小名木川と交差し、
木場あたりまで。
横十間川はさらに東で、柳島から亀戸天神の西、
猿江、と、結んでいた。

東西の堀は縦。
南北の堀は、横。

そう。

北が上の現代の地図と、90度違うのである。

これはなにか。

お城、江戸城に向かって、縦と横、なのである。

江戸城に向かうと、東西は縦で、南北は横、
になる。

それで、竪川と、横川、なのである。

ともあれ。

竪川の川幅は小名木川よりも、少し狭い。

そして、川の上は、首都高で、
空が映らぬ川というのは、まあ、お世辞にも、
眺めがよいとはいえない。
ここにくると、私は暗鬱とした、気持ちになる。
本所二つ目、軍鶏鍋屋五鉄も、ダイナシではないか、と。

日本橋の上も同様だが、やはり、考えるべきではなかろうか。

さっき歩いた、万年橋や、高橋付近の小名木川の
気持ちのよさと、比べて、どうであろう。
私には、生きた川、生きた水辺とはどうしても思えない。

首都高速は、昭和39年の、東京オリンピックを
目指して、整備された。
昭和38年生まれの私などと、同世代。

日本が、東京が、戦後の焼け跡から復興し、
欧米に肩を並べる国になろうと、がばってきた、
跡、と、みることもできる。

それから、私も、今年で49歳となる。

半世紀すぎたのである。

当時の選択とすれば、川の上に、高速道路を通すのは
技術的にも、資金的にも、当然のことであり、
責めることはできなかろう。しかし、もうそろそろ、
やめてもよいのではなかろうか。

都心部の首都高は皆、地下化し、昔の川や堀を復活させてほしい。

特に日本橋は、日本国の道路の起点でもあり、
東京の顔、日本の顔ではないか。
このままにしておいて、よいわけはない。

なん年かかっても、あれだけはなくすべきである、と
私は、言い続ける。
毎度書いているが、東京に生まれた者として、
先祖の助六に、申し訳が立たないと思うのである。


だいぶ、脱線してしまったが、
また、明日。





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