断腸亭料理日記2013

唐茄子の安倍川

10月27日(日)

さて。

引き続き、かぼちゃ。

かぼちゃのポタージュを作ってみたが、
もう一つ思い出したものがあった。

表題の“唐茄子の安倍川(とうなすのあべかわ)”で、ある。

唐茄子というのは、かぼちゃのこと。

関西人で知らない人がいたのでびっくりした。
私は、あたりまえに、かぼちゃのことだと思っていた。

北海道生まれのうちの内儀(かみ)さんも知らかったというし、
どのくらいの地域で使われていのでのあろうか。
辞書にも載っているが、江戸弁であろうか。

私の祖父母、今の品川区大井町あたりで明治の生まれ、までは、
普段は、かばちゃとはいっていなかった。もっぱら唐茄子。
婆さんなどは“お”を付けて、おとうなす、といってたっけ。

さて、“唐茄子の安倍川”。

落語好きの方であれば、もしやするとおわかりかもしれぬ。

「唐茄子屋政談」という噺がある。
政談というのは、お奉行様のお裁きの噺のことで、
この噺は内容的には人情噺に入るといってよろしかろう。
これに“唐茄子の安倍川”は出てくる。

今でもいろいろな落語家が演るが、古いところだと、
三代目、三遊亭金馬師が随一であろう。


(youtubeにもあがっているようなのでご興味のある方は
検索してみてください。)

現代の落語家、私のシロウト落語の師匠である志らく師の音も持っているが、
やはり出来とすれば、正直、眼鏡に出っ歯の、三代目金馬師には勝てなかろう。
圓生師も演ったし、志ん生師もわるくないが「唐茄子屋政談」としては
金馬師のものがNo.1だと思われる。

金馬師というと、与太郎ものであるとか、滑稽な噺に強みがあるが
こういう人情系も実際には定評のあるところ。
「藪入(やぶいり)」などもこの人以外には考えられない。
(人情噺には笑いが必要であるという裏付けにもなろうか。)

で、「唐茄子屋政談」という噺に“唐茄子の安倍川”というものが
出てくるのだが、これがどんなものか。
この噺以外、落語に限らず私も聞いたことがなかったのである。

噺をご存知でない方のためにあらすじを書いてみる。

落語では毎度お馴染みの大店の若旦那。
吉原に入り浸り、親に勘当(かんどう)をくらう。

だが、本人はへっちゃら。
「お天道(てんとう)様と米の飯はついてまわらぁ」なんて、
大見得を切って、家を出る。

“女郎の誠と雪駄の裏は 金のあるうち ちゃらちゃらと”。
金がなくなってくると、段々に吉原の花魁にも、友達にも
相手にされなくなり、食うや食わず、神社の縁の下で寝る日々。

もうだめだ、死のう、と決心し、吾妻橋から身を投げようとする。
ここで身投げをとめたのは、たまたま通りかかった、
本所達磨横丁に住む、若旦那の実の叔父さん。

死んだ気になって働け、と、叔父さんに説教をされ、
翌日から、唐茄子を天秤棒で担いで売る唐茄子屋をさせられることに。

季節は真夏。

重いものなど担いだことのない若旦那、ふらふらになって、
雷門あたりを歩いていて、暑いのと重いのとで、小石にけつまずいて
倒れてしまう。

ここに通りかかった近所の男。
わけを聞いて、近所の人々を呼んで、皆に唐茄子を買ってくれるように
頼む。

次々と、町内の皆が買ってくれるが、中で「唐茄子なんて食えるか、
ありゃあ、中風(ちゅうふう)の奴が食うもんだ」といっているのがいる。

こいつに
「おめえだって憶えがあんだろう。俺んとこの二階に居候していた時に、
うちの内儀さんが、『半さん、ご宗旨違いだろうけどねぇ、
唐茄子の安倍川、作ったんだけど、食べる?』と聞くと、手前ぇ二階から
転がりおっこってきやがって、唐茄子の安倍川を37切れも食ったじゃねえか。
嫌いたぁいわせねえ。買ってけ!」
「わかったよ、じゃあ銭を出すから、唐茄子はいらねえ」
「馬鹿野郎、手前ぇ、この人は乞食じゃねえ。重てえから買ってやれ、
って、いってるんだ」
「しょうがねぇなぁ、わかったよ」
「あ、この野郎、いざ買う段になったら、大きいの、選(よ)ってやがる」

と、これが“唐茄子の安倍川”の登場。

この後、若旦那、売り声の稽古をしながら、昔遊んだ、吉原あたりにきて
少ししんみり。(ここ一般には聞かせどころ、なのだが、ちょっとダレル。)
浅草に戻り、誓願寺店という当時名代の貧民窟ともいえる長屋にくる。
弁当を使わせてもらおうと、母子で暮らす長屋の一軒に入る。
食べるものも食べていないのか子供はやせ細り、若旦那の食べようとしている
弁当を食い入るように見つめている。
あまりに可愛そうな母と子。一、二個売れ残っていた唐茄子と持ってきた弁当、
さらに売り上げをすべて置いて帰ってくる。
この金を、因業大家に、ためていた店賃にと、取り上げられ、
悲嘆にくれた、お内儀さんは首をくくる。

叔父さんの家に帰った若旦那はわけを話すが叔父さんは納得してくれない。
その長屋へ二人できてみると、お内儀さんのことを聞かされる。
怒った若旦那は大家のところに怒鳴り込み大騒ぎ。
これがお奉行所へ知れ、お裁きとなり、若旦那にはご褒美が出て
親の勘当も許される。
お内儀さんも奇跡的に命を取り留め、子供とともに叔父さんの家に
引き取られ、めでたしめでたし。

これが「唐茄子屋政談」。

炎天下の暑さ。

それから、食べるもののない、極貧といってよい貧乏。
こういうものが、リアリティーをもって演じられ、また
聴衆も受け取れないと、成立しない噺。
そういう意味で、よい噺だとは思うが現代では、そうとう厳しい。
なんらかの改良が必要なのかもしれない。

この噺、例によって、全体を通してどこが最もおもしろいのか。
やはり、先ほどの“唐茄子の安倍川野郎”のくだりが私は好きである。

さて。

“唐茄子の安倍川”である。

どんなものかというと、安倍川餅の餅を、唐茄子にしたもの、
と、いう。

つまり、茹でた(煮た)かぼちゃに黄粉(きなこ)をかけたもの。

レンジ加熱したかぼちゃに黄粉をかけてみた。


砂糖もかけず、なんの味も付けていない。

が、これ、食べてみると、どうしてどうして、なかなか食える。
うまいといってもよい。余計なものが入っていないのもあってか
見た目は別にして味は上品な和菓子のよう。

私は、子供の頃は、安倍川餅は好きであったし、くず餅だったり、
黄粉をかけるものは好物であった。

改めて感じたが、今出回っているかぼちゃというのは、
随分と、甘い。これは西洋種で、おそらくこの「唐茄子屋政談」が
作られた江戸の末頃は在来種が主で、今の西洋種ほど
甘くはなかったという。

江戸のかぼちゃでは、今の新宿御苑、内藤家下屋敷から栽培が始まった
といわれている内藤南瓜(淀橋南瓜)、今の大崎あたりで作られていたいう、
居留木橋南瓜というのが有名であったそうな。

“唐茄子の安倍川”、食事にしたのか、おやつなのか、わからぬが、
庶民の食べ物であったことは、間違いなかろう。
当時であれば、砂糖なども貴重品であったはずで、おそらく
味の付いた煮付けではなく、茹でたものに黄粉をかけただけの
この状態であったのではなかろうか。

当時の味ではないようだが、今のかぼちゃで、

“唐茄子の安倍川”、一度お試しを。

 




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