断腸亭料理日記2014

河竹黙阿弥の周辺 その2

さて。

今日は、昨日の続き。

黙阿弥のことを書こうと思ったら
自分のことを書いてしまった。

黙阿弥のことを書かなければいけない。

私が観た「三人吉三」にしても
先月の「浮名横櫛」にしても
盗人だったり、悪人を描き、揚げ句の果てには
兄妹の近親相姦。

これはどういうことなのであろうか。

むろん黙阿弥作品は、こんなものばかりではないが、
やはり、特徴的であろう。

まず、泥棒や悪人ばかりを描くということ。
やはり、作風としてはそうは多くなかろう。

前に、池波先生の「鬼平犯科帳」のことを引き合いに出したが
鬼平は取り締まる側から描いてはいるが、盗人側を実に丹念に
描いており、ある意味では泥棒のシリーズといってもよかろう。

ただし、黙阿弥先生同様、罪を憎んで人を憎まず、という性善説的な
アプローチをしており、「三人吉三」のように最後は悪人全員が
浄化されていくというのと共通していると思われる。

やはり、特徴的である。

一方、黙阿弥について書かれている文章を読んでいたら、
黙阿弥(または黙阿弥作品を)近代・現代の視点で分析しては
だめだ、という説があった。

なぜなら黙阿弥は江戸人で、欧米風の近・現代的な視点で作っていないから。
(少なくとも、江戸期には。)

つまり純文学の作品論をするように、作家はこの作品でなにを書きたかったのか
というような分析である。

なるほどそれも一理あるような気もする。

また、当時も今もだが、歌舞伎芝居は、商業演劇で
お客が入らねば成り立たないという大前提を忘れてはいけない
ということである。

特に黙阿弥は、座付作者といって芝居小屋専属で雇われている
作者で、座元(芝居小屋の経営者)やら、座頭(ざがしら、その
芝居小屋に雇われている役者の親方。)の求めに応じて
書く、というスタンスは一貫していた、という。

つまり、売れるからこういものを書いていた、
ともいえるわけである。

むろん、流行り、というのもあろう。

黙阿弥の一時代前の大作者といえば、
「東海道四谷怪談」の鶴屋南北である。

この人の売りは墓場だったり、死体だったり、
いわゆる文字通り怪奇であり怪談。
(ここには書いていないが、2月に観た「心謎解色糸(こころのなぞ
とけたいろいと)も南北作で、墓場と死体である。)

やはり、怪談は、センセーショナルな、
お客をびっくりさせるもの、で、あろう。

黙阿弥の作品に兄妹の近親相姦がなん例かあるといっても
必ずしも世相だから、近親相姦が一般に流行していたから、
ということではなく、その方がショッキングで
お客には受けるからそうした、と考えるべき
なのではないかと思われる。

黙阿弥の時代には、南北の時代に輪をかけて、
センセーショナルにしなければならなかったであろう。

その手法の一つが、盗人や悪人を主人公にしたり、
兄と妹ができてしまったり、ということだったのでは
ないかと思うのである。

(蛇足で、余談にもなるが、落語や川柳などでもそうだが、
江戸は、いわゆる男女の性が近代、現代以上に、おおらかで
あったと、考えてよいと思われる。
「包丁」だの「紙入れ」「風呂敷」だの間男(まおとこ)の噺も
随分ある。また「居候 亭主の留守にしそうろう」といった具合である。
つまり、間男くらいは、むしろあたりまえで、兄妹で、、、
くらいではないと、センセーショナルにはならなかった
ということもあったのかもしれない。)

で、問題は、やはりその描き方なのである。

黙阿弥作品の場合、なん度も書いているように、
悪人や盗人も、罪を憎んで人を憎まずの、性善説で、描いている、
ということ。

立川談志家元が「落語とは人間の業の肯定である」といったが
ズバリ、こういう思想なのではなかろうか。

昨日も書いたように、江戸落語もこの江戸後期から幕末の
この時代に生まれている。

これが、この頃の江戸人に共通する哲学であったのではなかろうか。

生い立ちやら、なにやらで、人はグレルもんだよね。
でも、一歩間違えば、皆、同じだよね、というような
感覚。

誰でもいい暮らしをしたい、お金が欲しい、
女遊びをしたい、、。
人間の煩悩というのか、やはり業なのか。

人というものはそういうものである。
それでいいじゃないか。
それでどうなるかも、皆わかってるよね、といった感覚。

仏教的な悟りとも違う、諦めている、ともいえるのかもしれぬが、
ある種、肩の力は抜けている。

これは西洋哲学でいうところの、実存、的な生き方、
人生哲学といってもよいのではないかと思うのである。

150年、200年、基本的には平和な戦いのない
世の中が続き、お大尽(だいじん)も現れ、湯水の如く
金を使い、でも三代目で使い尽し、、、。

そんなことをしているうちに、江戸人というのは
こういう人生観に行き着いたのではなかろうか。

貧乏人もお大尽もみんなおんなじ。

人の一生、どうせ大差はない。
働いて、呑んで食って、寝て、ネテ、でしょ。

それじゃ、生きたいように生きようよ。
人に迷惑をかけなければいいじゃないか、と。

そんな風に思うのである。





 


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