断腸亭料理日記2014

世にも不思議な、ソース焼きそば

6月21日(土)夜

さて。

なぜだか今日はソース焼きそばが、食べたくなった。

毎度書いているが、暑くなると食べたくなる。

家の冷蔵庫にマルチャンのものが一つあったはず。
キャベツもある。

ハナマサに寄って豚肉を買えばよかろう。

バラがよいかと思ってきたが、
細切(こまぎ)れが安くなっていたので、細切れに変更。

ソース焼きそばの場合、必ずしも脂が多くなくともよいように思う。
帰宅し、作る。

まあ、作るといっても変わったことをするわけではない。
大方皆様と変わるまい。

キャベツと肉を切る。
これは小さめの方がうまいだろう。

中華の焼きそばであれば、具を食べる要素が大きいが
ソース焼きそばというものは具はあくまでも添え物である。
なくてはならないが、主張しすぎてはいけない。

また、ソース焼きそばの具は、キャベツと豚肉以外にはなかろう。

豚肉がなければ、ハムでもベーコンでも入れるが、できれば豚肉。
野菜も、もやし、という向きもあるかもしれぬがやはりキャベツに
止めを刺すと思う。(むろんなければ、ピーマンでも玉ねぎでも
入れるのだが。)

麺はレンジ加熱1分で、ほぐれやすくしておく。

キャベツと豚肉を炒め火が通ったら塩胡椒の下味をつけて、
ほぐした麺を加える。
少量の水、粉末ソースを加え、全体にソースを行き渡らせて、終了。
皿に盛り付けて青海苔、マヨネーズ、マスタードも少し
飾って、出来上がり。

一般には紅生姜が必ず添えられるが、私は入れない。
(牛丼などでも紅生姜は定番の添え物だが、私はほとんど手を付けない。
別段、食べられないわけではないが、苦手というのか、うまいと思わない。)

世の中で、ソース焼きそばが嫌いな人というのもあまりなかろう。
うまいもんではある。

しかし、よくよく考えると、ソース焼きそばというのは
不思議な食い物ではなかろうか。

そもそも、ソース焼きそばというのはいつからあるのか。

麺は中華の焼きそばに使う、蒸し中華麺。
これはなぜか。(焼うどんというのもあるが、
やはり中華麺の方が一般的だし、うまい。)

なぜソース味になったのか。
もしくは、なぜソース味が一般化したのか。

これから派生するが、そもそも日本のソースというのは
なにものなのか。その歴史と発達の仕方。
日本のソースはおそらく世界中にあるものではなく、
日本独特なものだと思われるが。

ソース焼きそばというのは、お祭りの屋台、夜店、チルドの焼きそば、
カップ焼きそばなどなど、あるいは、焼きそばパン、さらに、昨今の
B級グルメブームで、富士宮だの横手だの、浪江だのいわゆる
ご当地焼きそばがあることが判明している。これはもう国民食と
いってもよいくらいの食い物であるといってよろしかろう。
しかし、上記のように、わかっていないことが驚くほど多いではないか。

ネットでこれ調べていたら、ほぼこの疑問に答えてくれていた
ものがあった。

澁谷裕子「食の源流探訪」なぜかソースで炒める日本の焼きそば

本にまとめらており「ニッポン定番メニュー事始め」



私なども、うな丼、天丼、かつ丼などの丼ものの歴史を調べたことがあったが、
この手の発祥の話は、明確な記録などなく、神話のような、ガセと思われるものも
少なくない。しかし、この澁谷氏はなかなかに、丁寧に文献をあたって調べられており、
信憑性が高そうで、以前から関心をしていたのである。

「定番メニュー」といっているが、庶民の食い物であまりにも当たり前のもの。
だが、一方で取るに足らないものでもあり、いわゆる由緒正しい伝統のある
食文化でもない。こうしたこともあって、日本史学、民俗学等々、認知された
学問の研究対象にはならない、歴史的には日蔭の存在なのである。

ともあれ。

このレポートの中で驚いたのは、ソース焼きそばの発祥が、
今、私の住む、昭和初期の浅草かもしれない、ということ。

ソース焼きそばのことを当時「浅草焼きそば」といっていたという証言が
あるともいう。

これはびっくり。

確かに、浅草には今でも焼きそばだけを売っている店が
銀座線田原町の 駅を出たところと、浅草駅に直結している
地下道と二軒ある。
ちょっと不思議な存在。

当時、昭和初期の状況を澁谷氏は考察されている。
大正の終わりにはソースというものが一般化していた。
(市販と洋食やなどで使われるものとして。)
そして、これはハイカラなものとして人気の調味料であった、と。
まず、これは間違いないであろう。当時ソースは既に市販用に
多くのメーカーから販売されていたこと様々なメーカーの
記録にもある。

そして、状況証拠ではあるが、ある程度裏付けにはなろうことが
二つ。

この頃、東京ではどんどん焼き、大阪では一銭洋食という、
今のもんじゃ焼きやお好み焼きの前身といえるものが
神社の縁日の屋台(おそらく駄菓子屋のようなところでも)で
子供達に人気であった。
これは小麦粉を薄く焼いて、様々な具を入れたり、はさんだり、包んだり、
して食べる。(池波先生は、小学生時代大好きで鳥越神社や
どぶだなのお祖師様の縁日には駆けつけていたと、書かれている。
池波先生が育たれたのは、私の住む町の隣の永住町である。)
これがソースで味をつけていたもの。

また、一方で、これもやはり状況証拠だが、ラーメン(支那そば)や
焼きそばに使う、いわゆる中華麺もこの頃には一般化していた、
ということ。

最初の「浅草焼きそば」の件とこのあたりをもって、
昭和初期にはソース味の焼きそばは(浅草で?)生まれていた
という説を立てられている。
鉄板でどんどん焼きを焼いているところで、一緒に
中華麺を焼いたら、ソース焼きそばができる。
まあ、あり得ないことではない。

だが、なぜ中華麺だったのか、ということには、答えられていない。

日本そばでも、うどんでもよかったはずではないか。

ただ、戦後ではなく、ソース焼きそばは、ソースの普及とともに、
既に戦前にはあった、というのは説得力があるように思う。





 


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