断腸亭料理日記2014

團菊祭五月大歌舞伎 その2

5月6日(水)

さて、引き続き、五月の歌舞伎見物。

團菊祭、夜の部。

昨日は、最初の演目、歌舞伎十八番「矢の根」。

二つ目の演目は「極付幡随院長兵衛(きわめつけばんずいんちょうべえ」、

河竹黙阿弥作。初演は明治14年。

黙阿弥先生の作品は、有名な白波ものなどは、むろん江戸の作なのだが、
亡くなったのは明治26年で晩年まで活動はされており、
明治のものも意外に多い。

ちょうど昼の部にかかっている「魚屋宗五郎」も先生の作だが、
これはさらに2年後の16年。

ところで。

皆様は、幡随院長兵衛なる人を知っておられようか。

今はどうなのかよくわからないが、私の高校時代の
日本史の教科書にも名前が出てくるくらいの人であった
ように思う。

市井の人ではあるが、つまり実在の人物である。

歌舞伎では人気のキャラクターといってよろしかろう。

有名なのは「お若ぇのぉ〜。お待ちなせぇ〜」のセリフ。

これだけはどこかで聞いたことがあるという方も
おられるやもしれぬ。

私のそう多くはない歌舞伎見物の中でも、2回ほどは
このセリフの出てくる幕を観たことがある。

「幡随院長兵衛」鈴ヶ森の場。

ただし、これは今日のものとは別の芝居で、
正しくは、鶴屋南北の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」
白井権八なんというキャラクターも出てくるお話。

「極付」ではなく「御存(ごぞんじ)」を頭につけて
「御存幡随長兵衛」などという外題(タイトル)でも
上演されてきた。

で、今回の「極付」の方は完全なノンフィクションでは
むろんなかろうが、史実にできるだけ忠実に描くことを
意図したといってよい、実録もの、ということになる。

池波ファンであれば幡随院長兵衛の若い頃からを
描いた「侠客」という作品があるので
読まれた方もあるかもしれない。






今回の芝居は、池波先生のこの作品に近い。

いや、順番としては逆で、池波先生の「侠客」は
この「極付」を下敷きに書かれているといってよいのであろう。

幡随院長兵衛は通称で本名、塚本伊太郎。

元和8年(1622年)生まれ 、 明暦3年1657年没、
と、いわれているようである。

明暦3年というのは、かの振袖火事、明暦の大火があった年。

江戸が始まって57年。

将軍は家光の子、家綱の頃。

江戸もまだ初期といってよい。

日本史的なキーワードとしては、旗本奴(はたもとやっこ)と町奴(まちやっこ)。

徳川家の家来である旗本達は、それまで槍一本で戦場を駆け回り、
手柄を立ててきたわけだが、平和な世の中となり、
そういった武勇はまったく必要がなくなり、
官僚、あるいは政治家に変わらなければいけなくなった。

だが、これをよしとせず、力が余って
徒党を組み、いわゆるカブイタ風体をし、
まだまだ建設途上であった江戸の街を
闊歩し、町人達に迷惑をかけていた者どもがいた。

これが旗本奴。

一方、当時江戸の街の建設に従事していた作業者などを
組織していた口入屋の親方が、幡随院長兵衛。
長兵衛の一派は、やはり男伊達を売り物にし、不良旗本の
旗本奴に対して、町奴と呼ばれていた。

旗本奴の代表が、刀の柄を白で揃えた、白柄組。
その頭目が三千石の旗本、水野成之、通称、水野十郎左衛門。

三千石といえばいわゆる大身旗本。
本家は福山藩の藩主の水野家で、むろん大名。

こんな身分であるから、江戸市中で暴れても、
誰も手を出せない、と、いうわけである。

さて、ちょいと、今日は余談である。
(たまにはよいであろう。)

この頃といえば、以前『講座』で神田連雀町あたりを
調べていておもしろいことがあったのを思い出した。

江戸初期のこの頃、湯女風呂というのが流行していた。

風呂といってもこの頃なのでまだ蒸し風呂だが、
湯女(ゆな)、文字でご想像ができようか、
垢すり、その他イロイロしてくれるお姐さんのいる、風呂。

神田連雀町の堀丹後守の屋敷前に、紀伊国屋という
湯女風呂があった。

丹後守の屋敷前の風呂なので、丹前風呂と呼ばれていた。
ここの売れっ子湯女に勝山という女がいた。

この勝山は、勝気な女性で、旗本奴の着ていたのを真似た、
派手な縞柄の綿入れを好んで着ていたという。

これが綿入れの着物「丹前」の由来といわれている。

その後、勝山はお上(かみ)の取締りにあい、
吉原(まだ日本橋人形町にあった頃)へ送られたという。
しかし、彼女は吉原でも人気を呼んで、太夫にまでなったという。

先に書いた明暦の大火とともに江戸の街は大きな再開発が行われ、
文字通り生まれ変わるのだが、ここまでは、
まだまだ、人々には、男だけでなく、女性も含め、
戦国の遺風が残っていたのであろう。
勝山という湯女の話はそんなこの頃の時代の空気のようなものを
想像させるられるように思うのである。



つづく。




 


 


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