断腸亭料理日記2014

團菊祭五月大歌舞伎 その3

5月6日(水)

※今回「極付幡随院長兵衛」のお話の結末、いわゆるネタバレを

書いてしまうので、これから芝居を初見でご覧になろうという方は、

ご注意ください。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて。

引き続き、連休の歌舞伎見物。
夜の部、「極付幡随院長兵衛」。

昨日は、江戸初期の、旗本奴と町奴の対立など、
物語の背景のようなことを書いた。

この芝居、お話しとすればとても簡単である。

旗本奴と町奴の対立が頂点に至り、旗本奴の頭目、水野十郎左衛門から、
幡随院長兵衛が彼の屋敷に呼び出され、殺されることを承知で一人で出掛け、
案の定殺されてしまう、というもの。

史実とすれば、この後、直接的にはこの件を問われたわけではないが、
水野十郎左衛門は、行跡怠慢で切腹になっている。

芝居では、対立の前段となる、芝居見物の場での、旗本奴の白柄組と
町奴、幡随院長兵衛の子分との小競り合いがあり、これを長兵衛が出て
収める、なという場面があり、次に長兵衛のうちの場で、使者がきて、
長兵衛は子分に止められるが、一人出かけていく。
水野家でのやり取りの場面があり、風呂に入ることをすすめられ
湯殿の場で、水野の槍に突かれ、あえない最期、とまあ、そんなことになる。

実際の作品はもう少し長いようだが、物語の全体像は
ほぼこんなところ。

最初に書いたが、これは明治になってからの黙阿弥翁の作品。
また、史実に近いもの、とも書いた。

最近、黙阿弥先生のことを多少勉強してきてわかったのだが、
明治の初期、歌舞伎には演劇改良運動なるものの嵐が吹き荒れていた
というのである。

明治初期の我が国は、ご存じの通り、文明開化、西欧化を
国を挙げて運動をしていた頃。
我が国も欧米列強に対して、一人前の国であることを
見せる必要があったわけである。

欧州の伝統のある国の演劇には、オペラがあり、これを
見物するのが、上流階級の社交の場である。

鹿鳴館のダンスが思い出されよう。

我が国の場合オペラにあたるのは歌舞伎である、ということになり、
それについては、恥ずかしからぬものに“改良”しなければならない
という運動が起こっていたのである。

元来江戸期には歌舞伎は武家のものではない。

大奥の女中が歌舞伎見物をして捕まった絵島生島事件などあるが
表向きには、芝居見物は、武家にはすすめられるものではなく、
町人の観るものであった。

武家の芸能はというと、能、と、いうことになる。

つまり歌舞伎を上流階級の人間が観られるようにしよう、
また、外国人にみせても、恥ずかしからぬものにしよう、
(なにが恥ずかしからぬのか、よくわからぬが。)
そんなことを考えた者どもがいたのである。

私などが今考えれば、大きなお世話である。

その一つが、時代物であれば、荒唐無稽な絵空事はだめで
史実に忠実に作りなさいという“指導”であったようである。

それで、今回の「極付」のような作品を黙阿弥は書かねばならなかった
ということのようなのである。

先に、お話を書いてしまったが、旗本奴、水野十郎左衛門は
罪のない町人をいじめる悪漢で、正義の味方、町奴の幡随院長兵衛が
立ち向かう。しかし、承知の上のだまし討ち(承知であれば、だまし討ちに
ならないか。)で、潔く討たれる。

かなり単純な作品になっている。
(なので、わかりやすいともいえよう。
江戸期の南北や黙阿弥自身の作品などは、もう誰が誰の
兄弟で、実は○○、のような複雑で筋もこんがらかっているが、
これはそんなことは一切ないのである。)

昨日も引き合いに出したが、池波先生の幡随院長兵衛を描いた
「侠客」を読まれた方はお分かりであろう。

むろん「侠客」にはフィクションは多々あろうが、史実からだけでも
多少考えればそんな単純なお話ではないことは、想像ができる。

なにかというと、水野十郎左衛門のことである。

この人はただの馬鹿者の、暴れ者か!?ということである。

三千石の大身旗本でも、まあ、馬鹿な人はいたのであろうが、
おそらくこの人はそうではなく、ある意味確信犯。

当時の戦国の気風から抜け出ることのできない
いわば時代に取り残された、旗本達を代表して、
幕府に対して、物申したかったのではないか。

しかし、そんな時代ではないこともまた、片方でわかっている。

池波先生などはそういう書き方をしていたと思うが、
暴れて、長兵衛も殺し、幕府から切腹を申し付けられるのを
待ち望んでいた。
つまり、こういう戦国を忘れられない暴れ者は、自分を最後に
終わらせようと考えた。

こういう解釈というのか、見方がこの事件にはやはり
適切なのではないかと思われる。
つまり、水野を少し掘り下げれば、もっと味のある作品に
なると思われる。

明治当時そういう解釈はなく、黙阿弥翁もあえて、
そういう創作をしなかったのかもしれない。

さて。

主役の幡随院長兵衛だが、これが海老蔵。

大親分をそこそこ無難に演じていたのではなかろうか、
と、いうのが私の感想である。

ただ、読売新聞の劇評では、自分のことに精一杯で、
子分への配慮であるとか、度量の大きさのようなもの
を演じ切っていなかった、というようなことが、書かれていた。
また、うちの内儀(かみ)さんの評では、例の市川家の、睨み、
目をギョロつかせるあれ、ばかりが目立ったといっていた。

12代目が亡くなって、一年が経ち、それでも
正直な私の感想は、この人も、変わってきた、と
いうことではある。

タッパもあり、押し出しもあり、鼻筋が通った美形といって
よろしかろうし、また声質、口跡もわるくない。

13代目を誰がなんといおうと、継ぐのであろうし、
それ以外のことはあり得なかろう。

変わってきたとは思うが、次の幕の、菊之助と比べれば、
役者としては随分な差があるのは
否定のできないことと、素人目にも思われる。

精進、精進、精進、で、ある。



つづく。


 


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