断腸亭料理日記2014

浅草・並木藪蕎麦、、から、浅草のこと

5月20日(火)夜

今日は群馬の太田の方へ行って、やっぱり東武の特急で
浅草に帰ってきた。

7時すぎ。

昼間は随分と暑かった。
前橋は26℃を越えて、夏日であったようである。

今日は久しぶりに、並木の藪蕎麦へ行こうか。

この土日は浅草は三社祭で大にぎわい。

並木藪の前も通りかかったが、午後の半端な時刻でも
随分と列ができていた。

とてもウイークデーでなければここにはこれない。

あそこで、菊正の樽酒を冷(ひや)でやろうか。

東武の浅草駅を出る。

祭が終わったウイークデーのこんな時刻でも、
観光客らしい人々は少なくない。
季節がよいのであろう。

2011年3月に大震災、スカイツリーの開業が翌12年5月。

震災から3年、スカイツリーの開業から2年。

その間に、自民党の安倍政権に代わって、
多少、我国の景気もよくなったのか。
東北地方も落ち着いてきたのか。

この春から、日本人、特に東北地方かららしい観光客、
あるいは外国人の観光客も、落ち着いて東京観光、
スカイツリー・浅草観光にくるようになったのでは、
なかろうか。

実際に昨年の日本への海外から観光客は震災、リーマンショック前を
既に上回ったようで、前年比では東南アジア、特にベトナム、
タイからの人々が増えているという数字もあるようである。

浅草を歩いていても、そういう実感はある。

そしてさらに、この春以降目立って増えているように
見える。

この土日の三社祭など、海外からの観光客も多くみられたが、
偶然ではなく、祭を狙ってきているのかもしれない。

やっぱりたくさんの人々に浅草に来てもらえるというのは、
いろいろな意味で、よいことではあろう。

そういう人々にとって、例えば、祭の浅草が
どういう風に見えたのか。

興味を持ってもらえたのか。
楽しんでもらえたのか。
聞いてみたいような気がする。

浅草というところは、江戸時代からの盛り場。

特に明治以降、東京一、いや、日本一の興行街として
名を馳せてきたわけである。しかし、戦後、昭和30年代以降であろう、
東京でも、盛り場は西へ南へ移り、訪れる人は減り、
六区興行街の映画館はついにゼロになり、その跡地は今、
再開発が始まっている。

再開発にはどんな青写真ができているのであろうか。
わからぬが、海外からの、あるいは、日本の他地域からの、
あるいは、東京でも普段は浅草にはあまりこない人々、
そして地元浅草の人々にも魅力のある街でなければならなかろう。

それはどんな街なのか。
おそらく、私は浅草らしい街、ではないかと思う。

再開発された日本橋やら、大手町のビルが、どこも似たような
テナント、レストランが入ったところが多く、あまり
魅力は感じられないのだが、浅草はそうはなってほしくないし、
また、おそらくそうはならないような気もしているのである。

浅草というところは、いろいろな意味できれいな街ではない。
歴史的にもそうである。猥雑さというのか、多少のいかがわしさを
持っているのが個性であり魅力であると思っている。

以前にモロッコ、マラケシュのジャマエルフナ広場のようだ
と、書いたことがある。

ジャマエルフナ広場は私も行ったことがある。
蛇使いや軽業師などの大道芸人、様々な食いものの屋台店が
所狭しと並び、毎日、お祭りのような状況が展開されており、
それがユネスコ無形文化遺産でもある。

場外馬券場があり、煮込みやらもつ焼きを出す安普請の
呑みやの通り、、、。
これはこれで、やはり浅草には必要に思えるのである。
また、これら以外にも、西浅草、ビューホテル界隈、千束町、
観音裏、、、まだまだ、浅草は今も、大なり小なり凸凹あるが
いくばくかのいかがわしさはある。

上っ面はきれいだが、薄っぺらな中身のない
どこにもあるような街にだけはなってほしくない。
そうなったら、海外からの人々もおもしろくなかろうと、
思うのである。

並木藪の話しのはずが、浅草の話しになってしまった。

並木の藪蕎麦は、いつであったか数年前に建て替えたのだが
木造で三和土(たたき)と小上がりの座敷のある
以前とまったく同じ造りの店のまま。

こういう店が在る、というのも浅草の強さ、
であろう。変わらないものは、変わらない。

時代によって当然、変わっていくものもあるだろうし、
歴史を背負って変わらないものもある。

私が好きでよく行く、駒形のどぜうや、六区の洋食ヨシカミ
あたりはやっぱり変わってほしくない。

駒形のどぜうやは、まず変わらないだろう。

広い入れ込みの座敷で、長い桜板を並べたあの雰囲気。
あれも、いわば無形文化遺産であると思う。

ヨシカミはどうであろう。活気はあるが、あの、やっぱり、
どこかちょっといかがわしい(?)感じは、
あった方が、らしい、とは思う。

藪と同じ蕎麦やだが、まったく違う、雷門通りの尾張屋
も、店はともかく、大海老天は変えないでほしいし、
元祖断腸亭荷風大先生のお写真も、むろん、
残しておいてほしい。

その他、ひさご通りの、すき焼きの米久、あたりも
捨てがたい。

そうそう。
忘れてはいけない。
勘三郎先生は亡くなってしまったが、
「平成中村座」もまた続けて、観音様の裏、
あるいは山谷堀跡で、芝居は、たいへんだとは思うが、
是非、続けていただきたい。
(勘九郎のお兄ちゃん、お願いします。)

「平成中村座」も浅草らしさの貴重な構成要素の一つである。




並木藪
03-3841-1340
台東区雷門2丁目11−9

 


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