断腸亭料理日記2015

フィリピン・ボラカイ島 その4


引き続き、フィリピン・ボラカイ島ダイビング1本目。

うしろ姿でちょっとわかりずらいかもしれぬが、
ハリセンボン。


ふぐの仲間でふくれると針が逆立って棘だらけの
ボールのようになる、あれ。

ご存知、クマノミとイソギンチャク。

この組み合わせはこれからもよく出てくる。

一昨年の石垣島から水中カメラを使って撮るようになったのだが、
まだまだまったくの素人。なかなか魚をいいアングルと大きさで撮れないのである。
(Panasonic Lumix DMC-FT5 に純正のハウジング。)

魚はカメラを構えられると、わかるのか、逃げてしまうのである。

そこへいくと、クマノミという魚はイソギンチャクを住処にしているので
逃げないのである。むろし、向かってくることまである。

また、色の問題。

実際、海に入って見ていると、クマノミはもっと鮮やかな
オレンジ色なのであるが、なかなかうまい色に撮れない。
光量が足りていないのか。プロは強力なフラッシュを使っているのか。

もう一つ。


これはちょっと鮮やかに撮れた。

奥のクマノミはこちらに向かって正面を
向いている。警戒態勢ということなのか。

日本の海にもいて別段珍しくもないが、
派手な姿のミノカサゴと長い棘のウニ。


今回、ガイドが好きなのか、数多く見つけてくれた。
英語で「Lionfish」というそうな。

 

これは、体長10cmほどで、まだ子供のようである。
(ミノカサゴもあまり動かないので撮りやすい。)

この他にも枝サンゴに群れる小魚など、なかなかかわいく
きれいなものを撮っていたつもりなのであるが、どうにも色の加減か
サンゴは撮れていても魚が見えない写真ばかりである。

ということで、このあたりで、1本目終了。

ボートにあがって、1時間ほど休憩。

カメラのバッテリーがこの時点でわずかになり、水面での風景は
撮らなかったのだが、この時、海上はすごいことになっていた。

ここでもやっぱり中国人。

天気もよくなり、バナナボートやら、パラグライダーはどこでもあるが、
船の形などは違うのだが、日本の屋形船のような遊漁船がぞろぞろと
出ている。

どうせほとんど釣れなかろうが、皆で船縁に取り付いて、
釣りをしているのである。

そして、連れた小さな魚を焼いて食べさせる。
(その焼いたものが捨てられ、我々のボートのそばに
流れ着いていたのを見るとチョウチョウウオのようなものであった。)

書き忘れていたが、今日のお客は我々二人だけ。

二人に対して、ガイドさんとボートの船長一人。
まさにプライベートダイビングである。

聞いてみると先週は中国人がなん人かいたという。
人が多かったのは、4〜5月。中国人もゴールデンウイークの頃。

ちなみに海のコンディションは今は雨期で、4〜5月は
よいそうである。(夏は台風シーズンということであろう。)

さて、二本目。

またまたミノカサゴ。


これは大きい。
体長で30cm弱。

 

これならばライオンに見えるか。

チョウチョウウオの仲間だと思うのだが、名前はわからない。


ちなみに、まわりにあるのは、これも実際に肉眼で見えている色は
もう少し鮮やかなのだが、ほとんどがサンゴである。

やはり密度は濃い。

 

ゴンズイ、だと思われる。

こうしていつも群れている。

背びれに毒があるが、触らなければ問題ない。

と、ここで、ついにバッテリーアウト。
撮影は終了。

一本が、1時間ほど。

マンタ、サメ、ウミガメ、ナポレオン、バラクーダなど、いわゆる
大物は見かけなかったが、透明度もよく、びっくりするほどでは
ないが、最初の印象とすれば、なかなかよさそうな海であった。

水面がレジャーランド化していることを考えれば
かなりよいといえるかもしれぬ。

しかし。
もともと、この島はフィリピンでも交通の弁がわるく、
人もあまりこない、それゆえに素朴な人々と、手つかずの自然が
世界一美しい、と言わしめた島であった。
それがここなん年かで観光化が急速に進み、そこへ今、大量の
中国人が流れ込んでいるのか。

まあ、彼らがまだそう多く、ダイビングをしていないのが、
救いなのかもしれぬ。

桟橋まで戻り、車でシャングリラのダイビングセンターまで戻る。

終了は12時。

着替えて、シャワーを浴び、内儀(かみ)さんが
ログブックをガイドに聞きながら書く。

海外のリゾートではそこそこやってくれるところが多いが、
フィリピンというのはどこでもそうだが、ダイビングは至れり尽くせり。
タンクなどの機材の準備、セッティング、後片付け、すべてやってくれる。
(ダイビングの本当のルールはレンタルの機材でも基本は自己責任で
すべて自分でチェックすることになっている。)

特に今回のガイドは若いフィリピン人の女性であったが、
ホスピタリティーというのか、かなり細かく気を使ってくれる
方である。

シャングリラのプールサイドレストランへ降りて、昼飯。


来週につづく。

 

 



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