断腸亭料理日記2015

人形町・洋食・そよいち

12月15日(火)夜

宝町で仕事終了。

宝町といってピンとこない方もおられるかもしれぬ。
都営浅草線の日本橋と東銀座の間。
八丁堀の西、京橋側である。

このあたりだとどうしようか。
人形町へ行って、洋食でも食おうか。

ビフカツの[キラク]から分かれた[そよいち]がよかろう。

浅草線に乗って二つ目人形町で降りる。

[キラク]は人形町交差点だが[そよいち]はちょっと
説明しずらい場所にある。

甘酒横丁の[玉ひで]側というのか[小春軒]の方に歩き、
左側に入った裏通り。

[キラク]というのは間口一間、カウンターだけのほんの小さな店。
戦後すぐの昭和21年(1946年)に開店しており、長年名物の
お父っつあんが名物のビフカツを揚げていたが亡くなり、代替わり。
これで揉めて、味を受け継いだのが今の[そよいち]の方。

店に着くと6時前でまだすいている。

[キラク]よりも広い店だがこちらも[キラク]同様にカウンターだけ。

先客は手前に小母様二人組、奥に年配のサラリーマン風一人。

カウンターの向こう、中央に仁王立ち。
洋食の料理人の白い上っ張りに白い前掛け。
眼鏡にひっつめ髪を白い三角巾で頭を覆っているおかあさん、
おばさん、お姐さん、おねえさん?どういう言葉が適切であろうか。
年の頃は、私などと同年配か、少し上か。
むろん女性である。

この人がテキパキと店を仕切り[キラク]譲りのビフカツを揚げ、
ポークソテーを焼く。

広くあいているのでカウンターの中央、おねえさんの前に座り
瓶ビールをもらう。(とりあえず、おねえさんにしてみよう。)

メニューを見る。

ここへくるのは二回目であったか、三回目であったか。
以前は気が付かなかったが「ハーフ」というのがある。

これはよいかもしれぬ。
このところちょいと、食べすぎぎみ。
(暮れの宴会と五反田「おにやんま」のせいか。)

ご飯はやめて、ビフカツのハーフと、もう一品、
マカロニサラダぐらいにしてみるか。

おねえさんにいってみると、ビフカツに付きますよ、
とのこと。
なんとなく、そんな予感はしていたのだ。
やはりそうか。

それじゃあ、というので、つまみのようなものが
載っているメニューにあった、椎茸マヨネース焼き
というのを頼む。

私の後には、次々とお客が入ってくる。
たいていは男一人。
年齢は私よりも上であろう。
ネクタイを締めたサラリーマン。

ビールを頼む人、ご飯を一緒に頼む人。
比べれば、ご飯を頼む方が多いかもしれない。

おねえさんの目の前なので、その手際がよく見える。

まだ多少時刻が早いからか、ビフカツ用の肉の
下拵えをしつつ、入ってきた注文にどんどんとかかっていく。
無駄のない動き。

と、見ている間に、

きた。


やはりこのくらいの量でちょうどよい。

椎茸のマヨネース焼きというのも予想通りのもの。

ビフカツはこれだけ薄いが、中は多少の赤みを残している。
それでこの色に揚がっているというのは、
かなりの高温で揚げているのであろう。
気持ちよく、カリッ。

呑み終わり、食べ終わり、お勘定。

このおねえさん、いつも忙しく
仕事に集中しているということもあるのであろう、
基本無口で、お客に愛想がよいという感じではない。
また、わりによく従業員に小言などを
いっていたりもする。

だが、不思議にこの店、なんだか居心地がわるくない、
のである。
このおねえさんの人柄、で、あろうか。
誠実さというのか、真摯さのようなものが
この人から感じられるから、かもしれない。

なにか不思議な魅力。
むろん、店全体にその空気が広がっているわけだが。

そんなところに魅かれている年配の男性が
意外に少なくないのかもしれない。

むろん、ビフカツもうまいのだが。

ご馳走様でした。






そよいち





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