断腸亭料理日記2015

「花燃ゆ」のことから その3

一昨日から「花燃ゆ」のことから、幕末、維新、そして明治
のことを考えている。

趣旨とすれば、幕末から維新はよいとして、
明治という時代がどうも納得がいかない、ということ。

昨日、鏡獅子という歌舞伎のことを書いた。
能ならば高尚だというのか、能から「石橋」という演目を借りてきて、
言葉は悪いがでっちあげの芝居を作ったりしている、と書いた。
(作られてからそれでももう百年以上たっているので、
今となってはもはや借り物ではなく、歌舞伎のもの
ということはできるのかもしれぬが。)

それも、役者や黙阿弥やらの作者が自主的にやったこと
ならばまだしも、明治政府の息のかかった、御用演劇家のような
者が作っているのがまた胡散臭い。

現代から考えると鹿鳴館以外にもミョウチクリンなことを
随分としているのである。

さて。

明治になってした、我が国の文化、あるいは文化財に対する
大きな犯罪一つは、やはり「廃仏毀釈」であろう。

慶応4年というから幕府瓦解後すぐのことである。
新政府は「神仏分離令」というものを出した。

神仏習合などというが、我が国ではかなり古くから
仏教のお寺と神社というのは、境界が曖昧なところが
生まれて随分と長いこと、定着をしていたのである。

例えば、仏教の仏様を日本の神様と同じものとして
信仰するというもの。

牛頭天王(ごずてんのう)という、もとは仏教の仏様を
日本のスサノウノミコトであるとして信仰していたのである。

これは京都の八坂神社。祇園さん、などというが、
もともとはこの牛頭天王を祀っていた。

牛頭天王が釈迦の生誕地、祇園精舎の守護神であったので、
祇園社と呼ばれていたわけだが、明治の神仏分離令によって、
スサノウノミコトを祭神にし直して、
八坂神社とされたわけである。

あるいは、神宮寺、神護寺などという名前のお寺が
全国に少なからずあった(今でもあるが)。
こういうところは、神社とお寺が同じところにあって
一体の運営をしていたのである。

私の住む浅草にある、ご存知浅草寺と浅草神社(三社様)も
これに近いかもしれない。

ご存知かどうかわからぬが、観音様と三社様は
並んで隣り合って今でも建っている。
つまり、境内は一応塀はあるがほぼ一体。

浅草寺は観音様で、三社様の方は、その昔
この観音様を隅田川から網で引き揚げたという
漁師の兄弟を祀っている。

浅草寺の起源は古く、奈良時代以前にまでさかのぼれるようだが、
神社と寺が一体であったのはやはり相当古くからのことなのだと
思われる。

日本人というのは、まあ、こういういい加減というのか、
神様も仏様も、同じようなものと解釈してしまうという
性質がやはりあるのであろう。

八百万(やおよろず)の神などというが、生活のいたるところに
神様を見出すのは、我々日本人の信仰の原点ではある。
むずかしいことはいわず、仏様も八百万の神に含まれてしまう。
融通無碍(ゆうずうむげ)なのである。

では明治新政府はなぜ「神仏分離」なんという
ことをしたのか。

これは天皇を頂点とする国にするんだというので、
「王政復古」「祭政一致」を目指すことを掲げ、いわゆる
神道というのを国の宗教にすることにしたわけである。

幕末の尊王攘夷なんというのも、実は考え方としては
同じところから出ており、江戸期に盛んになった、国学
という思想から始まっている。

水戸藩などは国学が盛んで、尊皇攘夷思想の
権化のようなところがあったのである。
こういう思想がある種の理念となって、倒幕に向かい、
その後の明治新政府に受け継がれていった、ということであろう。

従って日本人、それも普通のむずかしいことを考えない?民衆の
本質というのか、本性というのか、とは、違うところで
決まっていき、国の政策として行われたといってよいのであろう。

この「神仏分離令」から仏様やお寺をぶっ壊す、
廃仏毀釈運動というものが起こり、日本中の寺院が
少なからず壊され、貴重な文化財が壊された。

また、壊されないまでも、お寺は顧みられなくなり、
仏像など価値ある仏教文化財が海外へ二束三文で
流失してもいる。

まったく、馬鹿なことをしたものである。

国家的な犯罪だと思われまいか。

前に、書いてはいるが、入谷に朝顔市で有名な
「鬼子母神」というのがある。

あれは仏立山真源寺というれっきとした、お寺である。

しかし「鬼子母神」は安産、子育てにご利益がある。

こうなってくると、やっぱり限りなく神社に近い。

それで、お寺であるが、今もお参りをする時に
パチ、パチと手を叩く女性などをよく見かける。

おかしな姿なのだが、
そういうものなのである。

これでいいのである。

さらに、これは単なる文化財に対する被害で終わらなかった
といってよいのであろう。

結局「王政復古」なんていうのは最初から政治的には
嘘っぱちで天皇機関説なんというのがあるが、
利用しようとしたただけ。

だがこれはご存知の通り、その後、悪用もされた。

つまり、統帥権の独立、我々は天皇陛下の軍隊だから
政府のいうことなんか聞かないよ!なんということを軍部が
いい始め、その挙句、第二次大戦で国土は焦土と化したのでは
なかったのか。

またまた、断わっておくが、私は天皇制を
否定しているものでもないし、現日本国憲法下の
象徴天皇を支持している。

明治の頃も、英国その他、国王を元首とする国のように、
いわゆる普通の立憲君主制でよかったはずである。


もう少し、つづく。




 


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