断腸亭料理日記2015

「花燃ゆ」のことから その4

もう既に「花燃ゆ」から話しが飛んでしまっているのだが、
幕末から維新、と考えてくると、どうしても明治というものが
問題になってくるのである。

今も明治のことをわるくいわない、あるいは
いえない雰囲気があるように私には思えるのである。

欧米列強に伍して近代化の道を切り開いた英雄達?!。

確かにアジア、中東なども含めてほぼ唯一、欧米列強の
植民地にならなかった我が国である。
それで今でも、これらの国の人々は我が国に対して
尊敬までいかなかろうが、目標にしていると
語る人は少なからずいると聞く。

独立を保ったことについては、評価すべきであろう。

よくがんばった。

偉かった。

今の我が国があるのも、あなた達のお蔭である、と。

ただどうも明治礼賛一辺倒のように思えてならないのである。

むろんよいことはよいこととして評価して
しかるべきだと思うのだが、今から考えると失政で
あったといえることも含めて、明治の我が国を作った
為政者の仕事、あるいは政治の結果起こったことなどを
ちゃんと評価した方がよいと思うのである。

例えば、昨日書いたような、廃仏毀釈などの
文化の破壊など、よかった、などという人は
おそらくあるまい。
しかし、あまり表だって、いけなかった、犯罪的だった、
までいう人が少ない。
あの当時は仕方なかった、でも他はがんばったじゃないか、なのか。

あるいは。

文化の破壊というようなその時だけに
起こったことだけではなく、昨日指摘したように
「王政復古」から統帥権の独立に結びついたような
その後の国の行く末を左右した明治初期に決めた政策
というのもあるわけである。
それはやはり、そういう評価を明確にすべきであると
思うのである。

そんなことで、かねがね引っ掛かっていることを
一昨日から書いてきたわけである。

今週、結局このテーマで終わってしまうわけであるが、
ここのところの私の課題というのか、ずっと考えている
ことで、そうそう結論が出るような内容でもない。

あまりに長いと、読者の皆様の評判も
よろしくなかろうし、このへんでお仕舞いにするとして、
今日はもう一件だけ、論旨がずれるのだが、おまけ、として
書いてみたい。

なにかというと、家庭、あるいは家族ということ。

今、家庭崩壊、あるいは家族崩壊というようなことが
盛んにいわれている、のか。

今ということもないのか。いつ頃からなのであろうか。

30年くらい前であろうか。我々の世代がティーンエイジ
であった頃。例えば、森田芳光の映画「家族ゲーム」の頃か。
で、あれば1983年、今から32年前。東京ディズニーランドが開園。
私は大学1年19才であったか。
バブルの数年前。

ここでいわれている家庭、家族というのは、父母と子供の
いわゆる核家族のことであろう。

家族崩壊ということは、いうまでもなく、
あるべき家族という像があって、それが崩壊する、
ということである。

我が国の、家族、あるいは、家庭、もう少し別な言葉でいうと、
「家」ということになるのか、の歴史はどんなものであったのか。

まず、核家族というものが生まれたのは、いつか。
戦後という見方もあるが、実は、大正から昭和初期と
考えるのが正解であろう。

東京を中心に、サラリーマン、月給取りが生まれ、
多くは結婚し郊外電車に乗って新宿などから数駅の
ところ、山手といってよろしかろう、一戸建てを買って、
父母と子供のいる家庭ができた。

例えば向田邦子作品に出てくる家族は典型のようである。

作品として作られたのは戦後であるが、
向田氏が育たれた環境が、世田谷の一戸建てで
お父さんはサラリーマンで厳しいが、夫婦仲もよく、
幸せな家庭。

「サザエさん」なんかもそうかもしれない。
あるいは、映画の小津安二郎作品なども
多くテーマにしていたと思われる。

どうもこのあたりが、家族像の原点ではなかろうか。

しかし、で、ある。
先に書いたように、核家族はここから始まっており、
それ以前にはなかったわけである。
従って、むろんこういう家族像なるものも、なかった。

これも明治以後変わったものというものの一つなのであろう。
これは別段、明治政府の責任ではない。
産業が生まれ、会社ができ、月給取りができた。
つまり、近代が生み出したものと、いうことになるのであろう。

なんとなくなのだが、この像に縛られすぎているのでは
ないか、と、最近思うようになったのである。

むろん、この像にあてはまらない家庭というのは
核家族が生まれた頃からたくさんあったのであろう。

しかし、この家族像が生まれる大正以前であれば、
身分によって、あるいは仕事によって、または地域によって、
家族というものの姿はバラバラであったはずである。

武士であれば家族というよりは「家」をどう守るか
がテーマであったろうし、同じ家を守るにしても
お百姓でも違っていたろうし、商家もまたしかり。
江戸の職人であれば、単身も多くこれもまた様々。

つまり、こうあらねばならない、こうでなければ幸せではない
ということは、なかったのではないか、ということ。

個々の人々の幸せ、不幸せということはあったのであろうが、
それは必ずしも家族の幸せだけと結びついていたわけではない
と、思うのである。

それを、前近代ということなのか。

ただ、前にも書いたが、これが多様性ということ
なのではなかろうか。

なんでこんな風に思うようになったのかといえば、
先の、向田作品と、池波作品を比べてみたのである。

作品の時代も舞台も違うが、根本的に家族観のようなものが
違っているのである。
池波先生は大正12年の生まれで向田邦子氏は昭和4年の生まれで
大きくは離れていない。
しかし、池波先生は、東京下町育ちで向田邦子氏のように
山手ではない。また、幼い頃に商店の通い番頭をしてた
お父さんとお母さんは離婚、以後、お母さんの実家で
育ち、小学校を出るとすぐに奉公へ出ている。

かくいう私も祖父母と父母、兄のいる家庭で育ったが
いろいろあって幸せな家庭像に当てはまるような家庭ではなかったし、
成人し今の内儀(かみ)さんと結婚はしたが子供は生まれず
これも先の幸せな家庭像には当てはまらない。
しかし、私はそれを理由に不幸だとは思っていない。

結局、その人がどこに人生の幸せを求めるか、
ということになるわけで、むろんそれは一つではない。
幸せな家族像ができたのは、たかだか百年くらい前のことではないか。

いろいろあってよいし、そちらの方がむしろ日本人の本当の
姿なのではないかと思えてくるのである。




 


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