断腸亭料理日記2016

日本橋・蕎麦・やぶ久

3月17日(木)昼

日本橋で昼。

今日は15時に大阪なので、このまま、
東京駅から新幹線に乗る。

連れがあるが、連れも知っていた
呉服橋の蕎麦や[やぶ久]に行くことに決まった。

永代通りから京橋側に一本入ったところ。



今、呉服橋と書いたが、現在の町名は
日本橋二丁目。
旧町名でいっても元大工町で呉服橋ではないか。

江戸の地図


私が呉服橋と書いたのは、呉服橋のそばなので
なんとなくそう呼んでいるから。

呉服橋はむろん今はなく外濠通りと
永代通りの交差点名に残っているが
その外濠に架かっていた橋の名前である。
江戸の頃は橋の向こう側に江戸城外郭の門、
呉服橋御門があったわけである。

(昔の外濠、呉服橋&呉服橋御門の写真があった。)

そしてその呉服橋の東詰から永代通り沿いに
両側が呉服町。
元大工町というのはその呉服町の隣。

[やぶ久]が面している通りは西側が八重洲で東側が
日本橋でその境になっているが、今は八重洲仲通りという。
この通りは日本橋というよりは、東京駅八重洲口駅前の飲食店街
といった方がよいかもしれない。

このあたり今、日本橋でもあるが八重洲でもある
ということにはなろうか。

あまりご存知の方はやはり多くはないと思うが
この八重洲仲通りを中心とする飲食店街は
東京駅八重洲口前の以前には、花柳界であった。

花柳界の名前は日本橋。

今も残っているようだが[や満登]
なんという料亭はその頃からのもの。

日本橋花柳界は、もう少し詳しく書いていた。

今となっては八重洲で日本橋花柳界というのは
いささか妙に感じられよう。
八重洲という町名になったのは戦後のことで、
以前はこのあたりも広く日本橋であったわけである。

実際のところ八重洲という地名はもともとは
東京駅のはるか向こう側、丸の内のものであった
というのもあまり知られてはいまい。
この経緯もかなり数奇といってよいが、
以前に書いていたのでご興味があればご参照。

ともあれ。

戦前、今の八重洲にあった日本橋花柳界は戦後には
徐々に東京駅八重洲口前にあって、近くに勤めていたり
また、東京に出張にきたサラリーマン達の
オアシスになっていった。

与太話しが長くなってしまった。

[やぶ久]の昼であった。

いつもくるのは夜で、乙な季節のかき揚げを
出しているので、それを天ぬきにしてもらって呑む。

昼入るのは初めてかもしれぬ。

11時半と早い時刻だが既に一階は一杯。

急な階段をよじ登って二階へ。

昼のメニューも充実している。

蕎麦やの昼らしく、小さな丼とそばのセットも
いろいろある。

やっぱり蕎麦やの昼といえば、かつ丼である。
それと、ぶっかけのおろしそばのセットを
もらってみる。


流石に[やぶ久]、お昼も乙。

そばもかつ丼も味はうまいのであるが、
小さな丼も洒落ているではないか。

おろしそばもおろしに加えて、花かつお
もみ海苔などもちょちょっと、のっている。

このセンスが私は好きである。

センスの中身というのは説明がしずらいのだが、
これが江戸前の粋といってよいと思うのである。

粋の反対は、野暮。

飾りすぎるのは、野暮という。

花かつおにしてももみ海苔にしても東京の
蕎麦やではまったくありふれたものであるが
こういう盛り付けをする蕎麦やは東京でも
あまりなかろう。

青味は長ねぎではなく、万能ねぎ、あるいは
わけぎ。これがちょっとポイント。

本来は東京の蕎麦やであれば長ねぎを添えるのが
自然であろうが、ちょっと洒落て見映えを
優先させたのであろう。
(ここには当然、薬味用の白い長ねぎもある。
明らかに緑の多い万能ねぎをあえてのせているのである。)

これが例えば、たまに見かけるが、
水菜になってしまっては、やはり野暮であろう。

薬味用の長ねぎを刻んだものをのせてしまうと、
花かつおと海苔と相まって、あたり前で
洒落た感じにはならない。
浅草などの下町ではこれでもよさそうだが、
ここが日本橋のセンスというところであろう。

ご馳走様でした。
おいしかった。

いろんな意味で、ここのご主人と合っている
ということなのかもしれない。





やぶ久





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