断腸亭料理日記2018

断腸亭、京都へ その16


大晦日。いよいよ押し詰まってきた。

結局、今月は、京都行きで終わってしまった。

最後の二条城。
庭を先に見た。

二条城全体で世界遺産。

見学のできる二の丸御殿もむろん、見た。
有名な最後の将軍、慶喜が大政奉還を宣言したのも
二の丸。本丸にも御殿はあるのだが、明治になってから
桂宮邸を移築したもの。

二の丸の唐門。重文。

二の丸車寄せ。

二の丸御殿はほぼすべてが国宝。

江戸幕府関係の城、御殿は、むろん江戸城も現存していないし
間近に見られるのは、ここだけであろう。
やはり貴重なものである。内部はここも撮影禁止なので詳細には触れない。

先に書いたように明治になり天皇の離宮という扱いになって
徳川家の葵の紋を菊に換えていたり、障壁画を一部描き換て
あるところはあるが、その規模と造り、障壁画の威容は
十二分に残されているといってよいのであろう。

家康、秀忠、家光の頃。これから朝廷や天皇はもちろん、
この国を徳川将軍家が率いていくんだという気概のようなものが
ひしひしと伝わってくる。

そして、慶喜がここで大政奉還を発した。
また、既に書いたが、写真好きの慶喜はここの庭のソテツの写真を
撮ったりしている。
その頃には、池の水も枯れていた。
植栽なども荒れていたのであろうか。
そして、どんな思いで慶喜はここに立ったのであろうか。

1603年から1868年まで265年間の江戸時代。
徳川幕府統治時代を奇しくも象徴する場所。

日本史上考えてみると、265年も戦いがなかった時代は
他にはない。
中世末から、近世、近世から近代の助走期。

ともすれば、いまだに江戸時代を旧弊な前時代と考える向きが
あろうかとは思うが、そんなことはない。
明治以降の我が国がアジア各国などが羨むような
発展ができたのは、この265年の平和な時代があり、我が国社会は
学術、思想、経済、文化その他、全国津々浦々まで大いに成長、
成熟できたからと考える。

その江戸幕府の貴重な遺産であるのが二条城であるということを
ここを訪れる人々に考えていただきたいと思うのである。

さて、これで終了。

昼飯は、京都名物、喫茶店の厚焼き玉子サンドイッチを
食べようと考えてきた。
候補は二条城から歩ける上松山町の[マドラグ]という
ところ。
きてみたら、トンデモハップン、15時まで予約で一杯。
なめていた。

そしてもう一軒。寺町通天性前町の[スマート珈琲店]。
バスで市役所前まで移動し、寺町通を南下すると、
こちらも、似たり寄ったり。
やはり観光客が集中しているのか。

よし、こうなったらもう、なんでもよい。
寺町通を南下。なにかあるであろう。
ラーメンや?。

途中から、新京極通。

ん?そばや?。
[更科]とある。

いや、店の表にはそばではなく「名代きしめん」とある。
はは〜、きしめんやさんか。

入ってみる。
観光客も多そうだが、地元の人もあるよう。
よいかもしれぬ。

頼んだのは、かしわのきしめん。

青いねぎ、鶏肉。
この写真、気に入っているのである。

箸袋が漢字のみというのも珍しい。
「新京極御用極製棊子麺處更科本店」。

どう読むのか、新京極はよいだろうが、
御用が付いているのはどういうことであろうか。
浅草寺御用なんという言い方は浅草に名乗る店はある。
新京極はお寺の名前でもないと思われるし。わからない。
極製は、きわめて上等に作ったもの。棊子麺できしめん
と読ませるよう。

食べてみる。
だしは昆布と鰹か、ちょっと甘めの濃厚なもの。
きしめんは柔らかめ。

丼はちょっと小ぶりで柄も古風といってよいのか
よい雰囲気。

うまかった。

ご馳走様です。

勘定をして、出る。

さて、あとは京都駅を目指して帰るだけ。

ちょっと風邪もひき始め。
重い足でガラガラとキャスターを引きずって、河原町。
阪急に乗って一駅、地下鉄に乗り換えて、京都駅。

新幹線に乗って、帰京。

疲れた。

さて。
宮元健次先生の「京都名庭を歩く」

を参考書にした京都庭探訪記、いかがであったろうか。
結局、今月はこれで終わってしまった。

個人的には名残の紅葉に間に合った庭ももちろんよかったし、
よき参考書を得て随分と勉強させていただいた。

この連載の最初に書いたが、この12月末で30数年勤めた
会社を辞めた。また、これからは断腸亭として生きていく
などとも書いた。
だが、実際のところ、長年のサラリーマン生活の疲れを癒すというのか、
しばらくはぶらぶらのんびりしようか、ぐらいに思っている。

この日記自体は、この形で継続はしていこうとは思っている。

55歳をすぎ、平成も終わり、新時代に断腸亭は
なにをするのか。乞御期待?!。

ともあれ。
断腸亭京都庭探訪、お付き合いいただけた皆さま
ありがとうございました。
また、18年のご愛読ありがとうございました。

そして、よいお年をお迎えください。

 

 


二条城


更科本店
京都市中京区新京極通六角下ル西側
075-221-3064

 

 

 

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