断腸亭料理日記2018

歌舞伎座・
五月大歌舞伎團菊祭 その3

引き続き、團菊祭の「弁天小僧」。

「弁天小僧」の「しらざぁいって〜」の名台詞から
本題の今回の舞台とは離れるが、なぜよいのか、他の黙阿弥作品の
同じような七五調の名台詞をみている。

「三人吉三」の大川端。お嬢吉三の「月も朧に…こいつぁ〜
春から縁起がいいわぇ」は芸術性は高いがストーリー上
若干後味がわるい。

「髪結新三」の永代橋。新三が連れ出した手代を足蹴にしての
雨具尽くしの台詞。これは、同様に後味がわるいし、〇〇尽くしは
現代的にはおもしろみはない。ということでマニアックな見地では
興味の的であるが、一般的な評価はそう高くはないだろう。

さて、もう一つ、いってみよう。

こんなもの。
「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」
(松江邸玄関の場)。

これは、例の「そばや」と同じ芝居だが、芝居全体は「そばや」の直侍が
登場するストーリーと、御数寄屋坊主の河内山宗俊
(こうちやまそうしゅん)が登場するストーリーが並行して進んでいく。
その河内山が松江藩を強請(ゆすり)にかけたが正体がばれて居直った
シーン。ちょっと長いが、これも出してみる。

ええぃ仰々しい、静かにしろ。悪に強きは善にもと、世のたとえにも
いうとおり、親の嘆きが不憫さに、娘の命を助けるため、腹に企みの魂胆を、
練塀小路に隠れのねえ、御数寄屋坊主の宗俊が、頭の丸いを幸いに、
衣でしがお忍が岡、神の御末の一品(いっぽん)親王、宮の使いと偽って
神風よりも御威光の、風を吹かして大胆にも出雲守の上屋敷へ、
仕掛けた仕事のいわく窓、家中一統白壁と、思いのほかに帰りがけ、
とんだところを北村大膳。くされ薬をつけたら知らず、抜きさし
ならならねえ、高頬のほくろ、星をさされて見出されちゃア、そっちで
帰れといおうとも、こっちでこのまま帰られねえ。この玄関の表向き、
俺に騙りの名をつけて、若年寄に差し出すか。但しは騙りを押し隠し、
御使僧役で無難に帰すか、二つに一つの返答を、聞かねえうちは宗俊も、
ただこのままじゃ帰られねえ

まあこれは、啖呵といってよいだろう。小気味よい。
シチュエーションは正体がばれた「弁天小僧」の浜松屋と同じ。
ただ内容は「弁天」は名乗りに対し、こちらは名乗りの言葉もあるが、
開き直ってのさらなる脅しの啖呵の要素が強い。

黙阿弥の名作はまだまだあるが、七五調の名台詞、

これだけ並べるだけでもおもしろい。

並べると、やっぱり「弁天小僧」あるいは「稲生川」がピカ一では
なかろうか。
「三人吉三」の「月も朧に・・」は情趣にあふれよいが。

なぜ「弁天小僧」・「稲生川」がピカ一なのか、で、ある。
答えは名乗りであるから。
浜松屋は弁天小僧菊之助一人の名乗りで、稲生川は五人全員の名乗り。

名乗りというのは、古くからどうも、気持ちがよいのである。

名乗りはいつ頃からあったのか。今、その正確な情報は私は
持ち合わせていない。武士が現れてからであろうか。
一対一の戦いの前に名乗り合う。
平家物語あたりには、既にあるか。
(リアルに行われていたのか、文芸作品に出てくるように
なったのか、吟味は必要であろうが。)

「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くは寄って
目にも見よ。わ〜〜れこそは、、」っというあれ、である。

歌舞伎でも名乗りは黙阿弥以前でもあって、私が思い出すのは
『助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』(「助六」)である。

この五丁町へ脛へ踏ん込む野郎めらは、俺が名を聞いておけ。
まず第一におこりが落ちる。まだよいことがある。大門をずっと
くぐると、俺が名を手のひらへ三べん書いてなめろ。一生女郎に
ふられることがねえ。
見かけは小さな野郎だが、肝が大きい。遠くは八王子の炭焼き婆、
田圃の歯っ欠け爺(じじい)、近くは山谷の古やり手、梅干し婆に
至るまで、茶飲み話の喧嘩沙汰。男伊達の無尽の掛け捨て。
ついに引けを取ったことのねえ男だ。、、、


これから喧嘩をしようというところの名乗りでかつ、
黙阿弥と違って、七五調ではないので随分印象が違う。
また「まだよいことがある。」など、物売りの口上のような
趣もあるのが、おもしろい。

ただやはり、名乗りというのは気持ちがよいのである。
なぜ、名乗りは気持ちがよいのか、という根源的な理由は
別途考察するとして、とにもかくにも名乗りは、我々日本人が
長年に渡って文芸、歌、口承文芸、演劇その他で好んで使ってきた
一つの様式といってよいと思う。

この気持ちのよい名乗りを六つも詰め込んだ「弁天小僧」は
ヒットすべくしてヒットし、不朽の名作として我々が
日本語を使っている限り、語り伝えられていく作品といって
よろしかろう。いや、そうしなければいけない。

他を出して本体を出さないのは、片手落であろう。
もう一度、ちゃんと書き出してみよう。

弁天小僧菊之助の浜松屋。

知らざあ言って聞かせやしょう
浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の
種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き
以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵
百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字
百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に
悪事はのぼる上の宮
岩本院で講中の、枕捜しも度重なり
お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され
それから若衆の美人局
ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの
似ぬ声色でこゆすりたかり
名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ

稲生川。

盗賊団の頭目、日本駄右衛門。今回は海老蔵。

問われて名乗るもおこがましいが生まれは遠州浜松在
十四の頃から親に放れ、身の生業も白浪の
沖を越えたる夜稼ぎの、盗みはすれど非道はせず
人に情けを掛川の、金谷を掛けて宿々で
義賊と噂高札に廻る配符のたらい越し
危ねえその身の境界も、最早四十に人間の
定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねえ
賊徒の首領日本駄右衛門

こういう役、海老蔵は人(にん)に合っている。

弁天小僧菊之助があって、先に出した落語「居残り」にも
出てきた、忠信利平。これは松緑。

続いて次に控えしは月の武蔵の江戸育ち
がきの頃から手癖が悪く、抜け参りからぐれ出して
旅を稼ぎに西国を、まわって首尾も吉野山
まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京
碁打といって寺々や豪家へ押込み盗んだる
金が御嶽の罪料は、蹴抜(けぬけ)の塔の二重三重(ふたえみえ)
重なる悪事に高飛びしあとを隠せし判官のお名前騙りの
忠信利平






つづく







文久2年 (1862年) 江戸市村座 豊国画

日本駄右衛門 三代目関三十郎、赤星十三郎 初代岩井粂三郎、

南郷力丸 四代目中村芝翫、忠信利平 初代河原崎権十郎、

弁天小僧菊之助 十三代目市村羽左衛門





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