断腸亭料理日記2019

断腸亭落語案内 その30 桂文楽・鰻の幇間

引き続き、文楽師「鰻の幇間」。

多少のカットはあるが、ほぼ全編、書き出してしまった。

いかがであったろうか。
伝わったであろうか。

「鰻の幇間」。成立はよくわからない。
実話がベースという。

速記は未入手、未読であるが、初代柳家小せんのものが残っている。

初代小せんという人は明治16年(1883年)〜大正8年(1919年)。
めくらの小せんという別名があった。

この当時、かなりの名物であった落語家である。

「居残り佐平治」のところでもこの人は出てきた。

「居残り」といえば、この人であったと。

今回、残っている音も含めて聞けるものは聞いてみた。

「鰻の幇間」といえば文楽師しか私には思い浮かばなかったが
意外に多くの人のものが残っているし、存命の人のものも多い。

円生師(6代目)も「百席」に音があった。
この枕で、珍しく噺の解説をしている。
「文楽さんも私のも、他の皆も、初代柳家小せんのものを習って
演っていた」と語っている。

小せんという名前は今もある。当代は五代目。
四代目は右目の下に大きなほくろがある人で私も覚えている。

初代小せんという人は、書いておくべきであろう。

師匠は四代目麗々亭柳橋から三代目小さん。
柳派の親玉で、三代目小さんは明治第二世代。

wikiには出典は明示されていないが「明治43年(1910年)4月真打昇進
したが、それまでの過度の廓通いが祟って脳脊髄梅毒症を患い腰が
抜けたため、人力車で寄席に通い、妻に背負われて楽屋入りし板付きで
高座を務めるようになった。明治44年(1911年)頃には白内障を患って
失明した。」とある。

まあ、有名な話である。

板付きとは、最近だと歌丸師。歩けないでの一度幕を下ろし、
高座に上げて、膝を隠すために講談に使う釈台などを置く場合もあり、
再び幕を揚げ、噺を始める。
初代小せんもこうしていたようである。

亡くなったのは大正8年(1919年)で36歳である。
壮絶であろう。
当時はそうでもなかったのか。芸人らしいというのか。

「居残り佐平治」やら廓噺を得意にし、噺のうまさにも定評があり、
また人気もあったという。梅毒で腰が立たなくなり、早死にした。
晩年は師匠小さん(3代目)の依頼もあり、若い者に浅草三好町の自宅で
よく稽古を付けていた。円生(6代目)が言っていたのはこのことであろう。

浅草三好町というのは、厩橋西詰の南側の一郭。今は蔵前二丁目。

先に書いたように小せん師(初代)の速記は未読なのだが、円生師
(6代目)、志ん生師(5代目)のものを聞いてみると、おそらく
原形に近いのではないかと思えてくる。
ターゲットに出会う前にも二場面くらいある。
また、鰻やの中も、くすぐりはもっと多い。
最後の下げも「今朝俺の買った五円の下駄だ」「お供さんが履いて
帰りました。」にさらに「あいつの履いていた下駄はどうした?」
「新聞紙にくるんで持って帰られました」がつく。

文楽師のものと比べてしまうと、差は歴然としている。
冗長でまるで別の噺のようである。

省いて磨かれている。
山本益弘氏が書かれていたと思うが、文楽師は鮨の数寄屋橋次郎の
小野二郎氏のような食の名人職人になぞらえられる。

「黄金餅」などでも書いたが明治以降、くすぐり(洒落やギャグ)
を加えて膨らまし、一席として仕上がってきたものがあるわけ
だが、文楽師の仕上げ方は、むしろ反対。
どちらが粋でどちらが野暮かといえば、明らかであろう。
スマート。
余計なものを省き、話す速度も速い。

円生師のものなどを聞くと、この噺の一方の本質も見えてくる。
この噺、文楽版では感じないのだが、実は後味がわるいのである。

取り巻こう(たかろう)とした野幇間(のだいこ)が逆にまんまと
騙されて、みやげまで持って逃げられる。

円生版だと、一八(いっぱち)は逃げられたのが判明した時に、
ふざけるな!、俺は知らねえ、と一度居直る。

どっちが取り巻きだかわかっていただろう。
それをわかっていて帰した、オメエんとこ(鰻や)の責任じゃ
ねえのか、と。もしくは、多少の責任はあるだろう、と。

そうなのである。
こういうのにも一理あるであろう。

「生活笑百科」の先生に聞いてみたくなる。
食い逃げである。一八は、自分の食った分を払う。そして残りは、
鰻やと折半。それでも理屈は通りそうではないか。

全部引っかぶらなければいけないのは、芸人の弱いところか。

あからさまにここまで演ると、やっぱり後味が相当わるくなる。

最初に書いたように、これが実話であったのなら、
このように鰻やと喧嘩になったかもしれぬ。
十円取られて、今朝買った下駄まで取られて、裸足で帰れってのかい!?。

まったく、踏んだり蹴ったり。
だが、間抜けな話し。
間抜けで、ちょっと可哀そうな、野幇間の話しでした、、、、チャンチャン。
後味はわるいが、一席としてはこれでも成立している。

磨いたのは、文楽師本人であろうか。
円生、志ん生も小せん師(初代)から直に習ったのであれば、
文楽師自身が取捨選択、くすぐりを選び、下げを含めて省くところは
省いていったということになろう。

お姐さん相手に、クドクドと小言をいうところ。
ほぼ一八の一人語り。実にテンポがよく、心地よい。

野暮(下手)な落語家であれば、お客の笑いを待つ、なんという
間を開けたりもするのだが、文楽師はそんなことはない。
どんどん、自分のペースで喋る。
お客は、逆に文楽師のリズムに合わせて笑うのである。
これが心地よさの本質であろう。
これが文楽師の名人芸の神髄であろう。この噺に限らないが。

これ以外のものでは、故人では志ん朝師、円喬の橘家円蔵師のもの。
存命だと小三治師、権太楼師、小遊三師、一之輔師などがある。
小三治師のものが、文楽版に近いというが聞けていない。
最近のものがあるようなので、聞いてみたい。
立川流は家元が演っていなかったからか、音になっているものはないよう。
それ以外は、円蔵師はもちろん、円生師以外皆ほぼドカジャカ。

一之輔師になると、てにおはもくすぐりもほぼ別物。
ただやはりこの人、センスがよく、上手い。
やはり今となっては、ここまで変えないと残らない噺であろう。

 

つづく

 

 

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