断腸亭料理日記2019

断腸亭落語案内 その34 桂文楽・よかちょろ

引き続き、文楽師「よかちょろ」。

〜〜〜〜
 (手拍子)

  (唄)
  はぁ〜〜
  女ながらも まさかの時は は は よかちょろ
  主(ぬし)に代わりてぇ たま襷 よかちょろ すい〜のすい

  きてみて知っちょる 味ぉみて よかちょろ ひげちょろ
  ぱぁっぱっ

  これが、四十五円。」

旦「馬鹿!。飽きれたね。

  おいおい、婆さん。お前そこで笑ってちゃだめですよ。
  倅がよかちょろを四十五円で買やあ、婆、喜んで笑ってやがる。
  お前さんが親なら、私も親です。二十二年前にお前の腹からこういう者が
  出来上がったんです。恥じ入りなさい。畢竟、お前の畑がわるいから
  こういう者が出来上がるんです。」

婆「お父っつあんは幸坊(こうぼう)が道楽をすると、なんぞというと
  あたしの畑、畑と仰るけど、あなたの鍬(くわ)だってよくない、、」
旦「な、なにを馬鹿なことを。」
婆「いいじゃございませんか。なにも孝太郎が他人のお金を使やぁしまいし、
  自分のところお金を自分で喜んで、機嫌よく使ってるの。
  それをあなたがお小言を仰るというのは、、、」
旦「なにを、言ってるんだ。
  倅が、道楽をして、親がほめている奴がありますか。」
婆「ほめやしませんけど、あなたと孝太郎とは年が違います。」
旦「あたり前ですよ。親子で同い年てぇのがありますか。」
婆「そうじゃございませんか。あーただって、二十二の時がございました。
  あなたが二十二、私(あたくし)が十九でご当家にお嫁にまいりました。
  その時に、お父っつあん、三つ違い。
  うふっ、いまだに三つ違い。」
旦「な、なにを、馬鹿なこといってるんだ。」

若旦那、ご勘当になります。
よかちょろという、馬鹿ゝゝしいお笑いでございました。


ここまで。
17分。
略、なしですべて音から起こしてしまった。

「よかちょろ」としては、文楽師以外では、談志家元が演った
という程度であろうか。
あまりこの形では演る人はいなかった。
今ではほぼいないのではなかろうか。

「よかちょろ」というのはそういう意味では珍しい噺である。
この噺は「山崎屋」というちょっと長い噺の冒頭部分を独立させた
ものなのである。
円生師(6代目)によれば上下に分けて演られていた上を改作した
ものという。今の「山崎屋」では上の「よかちょろ」部分は演じない。
(「円生全集」青蛙房)(談志家元が通しで演じている音がある。
また、私は雲助師のものを聞いている。)

ただ「よかちょろ」という形でも明治に既に速記があって、
新しいものではない。
速記は明治40年(1907年)、前に「火炎太鼓」のところで出てきた
初代三遊亭遊三のもの。

この人が「山崎屋」から改作、独立させたという。(「口演速記明治
大正落語集成」)

銭勘定も「山崎屋」は両だが「よかちょろ」は円で、時代設定は
明治といってよい。

文楽師のものは初代遊三のものから構成は変わらないがさらに
整理されている。年代的に、初代遊三師からダイレクトではなく、
間に誰か入っているのであろう。

噺の冒頭に「間にはさまって」とあったように、短い噺なので
文楽師がトリでない場合に演るものの一つであったのであろう。

“よかちょろ”という唄は、一般に明治の俗謡という説明がされる。
特にこの噺が作られた明治40年頃に流行ったという。

これは確認ができていないのだが、数年前の幕末の長州が舞台の
NHK大河「花燃ゆ」で出てきた記憶がある。原曲というのであろうか、
元は、幕末の長州で唄われていたものではないかと思われる。
長州藩が欧米列強に砲撃をした下関戦争後の萩。

「女ながらも まさかの時は は は よかちょろ
主に代わりてぇ たま襷 よかちょろ すい〜のすい」

という部分がある。下関戦争後、藩士達は萩にはおらず、
下関の次に萩が砲撃されるのではないかとのおそれから
台場など防衛施設を、残った女達が出て急遽作ったという。
この時に唄われたと、唄とともに放送されていた、記憶がある。
語尾も〜しちょる、で長州弁のように聞こえる。

この長州の唄が、明治に入り長州出身の新政府の役人らによって
新橋あたりの花柳界に伝わり、お座敷唄として歌詞も変化して
唄われたのであろう。

さて。
この噺、全部書き出してしまったのだが、文字にして伝わった
であろうか。

いわゆる道楽者の若旦那の典型のような噺である。

若旦那、番頭、旦那とそのお内儀さん(お婆さん)の四人の
キャラクターがとてもクリアに表現されている。

特にやはり、若旦那であろう。
この噺に近いもので文楽師も演った「干物箱」などの若旦那も
共通している特有のキャラクターであろう。
この若旦那の表現が嫌味なく、きれいに完成させたのは、文楽師の
功績といってよいのではなかろうか。
金持ちの放蕩息子で、パアパアした頭空っぽ、にも描けるし、
キザで嫌味(ドラえもんのスネ夫のような)にも描けるが、そうでは
ない。

そしてこの噺の肝は本文にも書いたが、ひげ剃りの部分。

「吉原の角海老の三階の角部屋・・・ここに猫がいたりいなかったり。」

“猫がいたりいなかったり”である。

この噺は、ここが聞きたいから、聞くといってよいところである。
まったく傑作。
明治40年の速記を読むとちゃんとこのまま、既に出ている。
文楽師など後の創作ではなく、初代遊三師(またはそれ以前)には
できていた、のである。

このセンス。素晴らしいではないか。
欠伸(あくび)を教える「欠伸指南」にも共通するような、
のんびりとしていて、洒落たおかしみ、豊かな時間が流れている。

この“猫がいたりいなかったり”のよさは談志家元も言っていたし
やはり愉しそうに演じていた。

江戸・東京落語の奇跡といってよいのではなかろうか。
「悪党の記憶」も江戸・東京落語の本質であれば
“猫がいたりいなかったり”も江戸・東京落語の神髄であろう。
後世に伝えていかなければならないものであると思っている。
そんな意味でも「よかちょろ」は「山崎屋」の一部ではなく
「よかちょろ」として演じられて然るべきである。
談志家元亡き後「よかちょろ」単独ではあまり演じられていない
ようだが、是非現役落語家の皆様、ご一考いただけまいか。

 

つづく

 

 

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