断腸亭料理日記2022

考察〜ラフテー その1

4090号

引き続き、考察。

ヤンバルに牧草地を営む親爺さんから、
沖縄の人々というのは、国を守るために武器を
持って戦うということをしてこなかった歴史を持ち、
これによって、今もそういう発想がないのではないか、
という仮説を考えてみたのである。

江戸初期に武装をして薩摩の侵略に対抗しようとは
考えなかった。当時予算的に余裕がなかったということも
あったようだが、仮に武装をしたところで、到底
かなわないであろうという情報と冷静な判断力を持っていた。
であれば、無駄な血を流すよりも支配を受け入れる
しかなかろう、という判断に至った。
苦渋の選択として非武装、無抵抗を選ばざるを得なかった、
と、いってよかったのか。

翻って、倭国、日本はどうか。
沖縄の人々に比べて好戦的であろうか。
対外戦争の歴史である。

歴史的には、対外戦争はどのくらいあったのか。
江戸以前はそう多くはない。
663年天智天皇の頃、白村江の戦いというのに朝鮮半島に
出兵している。まあ、この時代は、朝鮮半島との関係は
人的にも濃厚で、状況としては多少別かもしれぬ。

そして、奈良から、平安時代。
東北地方の平定というのも、対外戦争といってよいかもしれぬ。
ご存知、征夷大将軍、坂上田村麻呂。
当時、蝦夷(えみし)と呼ばれていた、大和・京都朝廷の
統治を受け入れない人々が北東北におり、この征討である。
大方の東日本、東北日本の人々は、大きな反抗をせずに
ヤマト王権の支配を受け入れ、同化していったが、アテルイ
なんという名前が残っているが、東北地方には最後まで
戦った人々がいた。
東北地方は金が産出するという経済的なバックボーンが
あったからかもしれない。琉球の人々よりも血の気が
多かった?。ともかくも、徹底抗戦派もいたのである。

次は、鎌倉時代の元寇。だが、これは守っただけで
逆襲しようとも考えなかった。守るだけで精一杯で
あったことは明らかである。

そして、安土桃山時代の秀吉の朝鮮出兵。
二度に渡り出兵するが、むろんあえなく撤退。
当時としても、もろ手を挙げて賛成した者は多くなかった
であろう。冷静な判断として日本は朝鮮半島、まして
明国に攻め込むなど、できようはずもなかったことは
明白であったろう。

江戸期は前記の通り、琉球へ侵攻、支配下に置いた。
が、それ以外は、鎖国状態というむしろ内政重視、
和平安定を選んでいる。
これは欧州列強からの植民地化の危機を察知した
結果であり、また、秀吉の朝鮮出兵の反省も
少なからずあたったのではなかろうか。

一方、江戸後期になると海外船の渡来が増え、文化3、4年
(1806、7年)のロシアの北海道、樺太等我が国拠点への
襲撃があった。露寇というが、これも付記する必要はある。

そして、明治以降は、皆さんご存知の通り。
欧州列強は植民地経営を進める帝国主義の時代、
ということもあり日本も真似て、台湾、朝鮮半島、
満州、中国、そして、太平洋戦争で、太平洋各諸島国、
石油を求めて東南アジア等々へ出兵、結果、国を亡ぼす
大惨敗であったわけである。

北海道のアイヌの人々も書き加える必要もあろう。
江戸から明治以降、同化政策という名のもとに人的、
文化的侵略を行っている。

明治以降、かなり好戦的になっているのだが、
2000年ほどの歴史を通すと、国力の把握もある程度適格で
必ずしも戦争大好き、ということもないとはいえる
かもしれぬ。

が、しかし、できるならば取ってしまおう、という
狡猾さ、また、時に調子に乗ってしまう、という
愚かさもある。

他国へ侵攻するというのは、今のロシアのウクライナ侵略を
引き合いにしても、世界各国、各時代、いろいろな理由が
あったが、地政学上の要因は大きかろう。

日本は国土面積がそこそこあり、歴史的には金、銀などの
産出もあり、江戸期などを見てもわかる通り、近世までは
対外交流を細くしても自給自足でそこそこ運営できた。
(ただこれは、近代、石油などエネルギーの時代になると
賄える資源はなく大きな弱点であることが白日の下に
さらされているわけだが。)

一方、琉球沖縄は、元来国土面積が小さく、人口も少なく、
資源もなく、貿易のみ。近世においてもとても日本と
戦う力がない。明〜清との二股外交でなんとか体面を
保つという道を選ぶ以外なかった。

さてさて、こんな背景を考えると、日本人と
沖縄人とでマインドが違うのではないか、という
仮説はあてはまる可能性はありそうではないか。

一方、沖縄の基地問題は直接的には、米軍憎し、と
いうことになるのだが、これはどうであろうか。

仮に、沖縄の基地がすべて自衛隊に代わったら?。

今、日米同盟が結ばれている。
これは、日本人の大方は支持しているといって
よいだろう。いわば安全保障上、運命共同体である。
であれば、ベトナム戦争当時はともかく、今は
米軍は我が国のために駐屯、演習しているという
言い方もできるわけで、沖縄の米軍基地が自衛隊に
置き換わってもよいということになる。

米軍基地が自衛隊に置き換わって沖縄の人々への
配慮が米軍に比べて増し、事故も減り、、、であれば
沖縄の人々の心象も多少変わるのであろうが、
おそらく、根本的にやめてほしい、という気持ちは
変わらないのではなかろうか。

今、尖閣から台湾、中国の問題を抱えているこの地域、
地政学上、沖縄の重要性は高いことは素人目にも
明らかである。

最初に書いたように、この問題の解決策を持っては
いない。ただ、内地日本人と沖縄人のマインドが
根本的に違うかもしれぬことを念頭に置き、配慮を
欠いてはいけないということは間違いなかろう。

さて。
沖縄デーであった。

ハナマサでラフテー用に豚バラ。
それから豚足、と思ったが切れており、ゆでた尻尾。
これは韓国だがチャンジャ。そして泡盛、久米仙。

帰宅。

豚バラ。

ラフテーは沖縄の豚角煮であるが、中華、あるいは
和食とはかなり異なる。

 

つづく

 

 

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