断腸亭料理日記2008

だんちょうていの出張食い倒れ日記・

京都編

丹波口・島原、、ちゃんこ両国

10月23日(木)昼

さて。

またまた、京都出張。

しかし、今回は残念ながら、日帰り。

朝、6:40東京駅発の、のぞみ。

10時から会議。

そして、午後の仕事は、JR丹波口駅付近。

と、いうことで、昼飯はこのへん、と、考えて、
この丹波口駅界隈でよさそうなところを、少し調べてみた。

JR丹波口、というのは、京都駅から出ている、
山陰線の一つ目の駅。
地図をみると、中央卸売市場がある。

検索をしていると、島原、乙文
という料理やが、見つかった。

知らなかった。
この付近、駅の東側の一画が、かの、島原、で、あったか。

島原、というのは、秀吉の頃にさかのぼる、
京都名代の遊郭。

と、まあ、この程度の知識しか、島原にはないのだが、
ちょっと興味を覚え、いってみようと考えた。
とはいっても、島原をはじめ、この界隈を事前に
詳しく調べる時間もなく、12時少し前に、丹波口駅に着く。

駅のホームからも、大きな市場らしい建物が見える。

携帯から地図を見ながら、島原を目指す。
改札口を出て、右側。
すぐに市場の建物があり、その通(あとで調べると、
千本通、という名前。)に沿って、南へ下がる。

市場が切れたところに、神社があった。
名前に島原、という名前が入っており、このあたりからか、
と、思いつつ、路地を入る。

古そうな町屋もあるのだが、新しい家も見受けられ、
いわれなければ、京都らしいが、普通の住宅地、とも
思われるようなところである。

しかし、この携帯の地図というのは、初めてくる場所では
ほとんど役に立たない。
小さいせいもあるし、スクロールもできない、
拡大縮小も時間がかかる。
前にも、麻布の野田岩を探すのに、苦労した覚えがある。

路地をさらに、右に入る。
ずっといくと、突き当り、高い塀の古い由緒のありそうな、建物。
重要文化財の看板があり、「角屋」としてある。
少し読むと、新撰組?、は〜、なるほど。
このあたり、幕末には、いろいろ話があったの、のか。

ほとんど、このあたりで、方向感覚も
地図との対比もわからなくなる。

角屋に突き当り、左にずっと、いってみる。
旅館、という名前の、古い遊郭風(?)の建物もある、が、
普通の現代の家もあり、やはり、全体としては、
普通の住宅地。

さらに真っ直ぐいくと、お!、
またまた、古そうな、今度は、門。

これは、島原大門。
案内板やらも出ている。

ウイークデーのお昼。
私のような見物人はまったくいない。
先の市場も近いせいか、市場の、荷車も通る。
(あれ、なんというのだろうか、築地などにもある、
大きな荷台があって立って運転する、黄色い自動車。)

なんとなく、ぼんやり見ているのも場違いな感じ。
私とて、のんびり観光をしている時間もない。
とっとと、昼飯を食わねば。

当初、目当てにきた、乙文という料理やは、見つからない。
(実は、この大門をもう少し行ったところであったが。)

この、古くは島原遊郭、であったのだが、今は、
見たところ、普通の住宅地。
時間もないし、この雰囲気で料理やを探すのも、
なんとなく、今一つ、の、においもする。

きた道を戻ってみようか。

先ほどの角屋まで戻り、今度は左折。

この角屋は美術館になっているようである。
むろん、のぞいてみる時間もない。

しばらくいくと、すぐに、島原、らしき町からは出てしまう。

もういいか。
市場の方に戻ろう。
なにか、食いものやは、あるだろう。

先ほどの神社のところまで、戻ってきた。
この隣に、両国、という名前の、ちゃんこやがあった。
(ちゃんこ、だから、両国なのであろうが、
私のような、東京もの、からすると、京都なのに、
両国?と、いう妙な印象が強くなってしまう。)

昼になり、弁当もやっているのか、店前に
少し、人だかりができている。

見たところ、やはり、市場関係の人のよう。

入ってみようか。
ちょっと、こわごわ、戸を開けて、入る。

入ると、店は比較的広い。大衆食堂という趣き。
やはり、市場関係か。
お客も一杯。

すぐに、忙しく立ち働く、元気のいいお姐さんが、
「なん人さんですか?」

と、聞く。

一人!

というと、相席で、
と、入口入ってすぐのテーブルを指差し、
「今日の日替わりは、、、」
早口でいうが、ほとんど、聞き取れない。
(落語、居酒屋の小僧の「できますものは、ツユハシラタラコブ・・・」
のようである。)

座りながら、ちょっと、困った顔がわかったのであろう、
メニューを渡してくれるが、
えーい。いいか。

「じゃあ。日替わりで」

座り、落ち着いて、メニューをよく見直してみると、

ちゃんこ、うどん、トンカツ、チキンかつ、ビフカツ、
焼肉、焼き魚、煮魚、鶏から、お造り、牛丼、、、。

これが全部、650円。
ご飯おかわり自由。
(お造り、まであるが、650円の刺身とは、
どんなものが出てくる、のであろうか。)

は〜、なるほど。

これだけ、いろいろなメニューがあるが、
頼んでいるのを聞いていると、ちゃんこ、と
うどん、が、ほとんど。
(だいたい、うどんをおかずに、ご飯を食べるというのも
我々からすると、ヘン、で、ある。
そんなに、でんぷんが食いたいのか?、で、ある。)

見ていると、ちゃんこ、や、うどんは鉄鍋に入って出てきている。
前に座って、一心不乱に、週刊誌を読みながら、
食べている、おとっつぁん、のも、鉄鍋。

それにしても、なにか、不思議なところ、で、ある。
京都、でもこんなところがあるのか、
で、あるし、店も古く、まあ、はっきりいって、
きれいではない。

私の勝手な京都というイメージとのギャップ。
なにか、外国にきているようは、気分にもなる。

言葉も、もちろん、違う。

勘定を払うときに、お客がお姐さんを呼ぶために
「おおきに〜〜」といったりしている。
東京であれば、このタイミングでは、ごちそうさまか、
呼ぶため、で、あれば、すみません、かもしれない。
(「おおきに」は、この次に、「ありがとう」がくる言葉、
で、あろう。意味的には、おおいにありがとう、
ということになるのか。)

聞き取れない言葉もあるし、店のお姐さんは必ず、
うどん、に、「お」を付けて、「おうどん」といっている。
(イントネーションは、“ど”にアクセントがくる。)
お姐さんだけかと思うと、そうでもなく、男性のお客も
いっている人もいるようである。
京都だけのことか、大阪でもそうなのか、、。

などなど。

まあ、かしこまったところでは、
見られない、生の、それも、働く人々の、
京都、といってよいのか。

おもしろい。

つらつら、そんなことを考えていると、日替わりがきた。


よくわからないものである。
なんであろうか、これは。

食べてみると、豚肉スライス肉を揚げたもの、を
もやしなどの野菜とともに、甘酢で炒めてある、
そんな感じであろうか。

ご飯に、味噌汁、白菜のお新香、やはり、正体不明な小鉢。
(小鉢はちょっと酸味のある、なにかの南蛮漬け、のようなのだが、
最後まで、なんだかわからなかった。)

甘酢の豚肉炒め、がまず、味が濃い。
そして、私にとっては、やはり意外なのだが、
味噌汁も、味が濃い。
色は白っぽい。しかし、いわゆる京都の白味噌、にしては、
甘くはない。味噌が、なんなのか、それすらわからない。
味が濃いというのは、塩分も強い、ということでもある。
これはやはり、働く人々の飯、だからで、あろう。

ふーむ。

味が濃いのは、東京人の私には、別段、問題はないのだが、
ますます、ここは京都なのか、なんなのか、
よくわからなくなってくる。
(この感じは、大阪の下町などに、近い、のであろうか?
いや、その前に、市場で働いている、ここにきている人は、
京都の人なのか、という疑問もでてくる。)

ともあれ、食い終わり、席を譲るため、650円を払って、
とっとと、出る。

先ほどの、島原といい、市場の食堂のような、ちゃんこ両国、といい、
どう理解したらよいのか。
島原は、島原で、今見てきた、歩いてきたところは
現代、どういうところ、と、理解すればよいのか。

二つは、まったく別のこと、であるが、
状況が把握できない、というのか、
そういう意味で、外国にきているような、という
感じなのである。
(この二つが、隣り合っているのも、おもしろいかもしれない。
理由があるのだろうか。)

ともあれ。
市場を抜けて、歩いて、午後の仕事場へ、向う。


P.S.

島原、というのは、今、一部異論もあるようだが、
一般に歴史的には、遊郭、と、いわれていると、思われる。

以前に、加藤政洋著『花街・異空間の都市史』
という本のことから、花街、について書いたことがあった。

京都でいえば、先斗町なり、祇園は、花街(かがい)、
という定義で、今でもその形を続けている。

これに対して島原は、江戸の頃はどういうことで、
どういう仕組みであったのか。

そして、今見る限り、むろん現代ではそういう業態のもの
ではないようであるが、実際はどうなのか。
また、遊郭とは区別された、花街というものが定義され、
制度化された明治、大正、昭和と、島原は
どういう変遷をたどってきたのか。
詳しい研究などもきっとあるのであろう。

機会があれば、調べてみようか。



両国
京都府京都市下京区西新屋敷下之町1-1
075-341-6622


地図




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