断腸亭料理日記2011

談志がシンダ。7

〜落語とはなにか?明治以降の落語

談志師匠が亡くなって書き始めた、回文のような、
『談志がシンダ。』もう7回書いてしまった。

21日に亡くなっているので、初七日、もとうにすぎて
ちょうど、10日、なのか。

お別れの会が21日という。

しかし、亡くなったことが発表され、
速報が流れて2〜3日は各局でも、それらしい報道や
過去の特集の再放送が行われていたが、もはや
そんなものもなくなり、たった一週間なのに、
もう既に、私自身も、遥か昔のような気がする。

去る者日々に疎し、なのか。

談志家元、さらに落語というものの
世の中でのポジションはやはりそういうものであることが、
まざまざと、思わされる。

ともあれ。

ここ数日、家元が問いかけた、落語とはなにか、
について、少し私なりに考えてきた。

いや、前から考えていたことを、不完全ではあるが
家元の死を契機に一先ず、書いてみたのではある。

結局、なにが言いたいのかといえば、
落語にはとても成熟した人生観が散りばめられており、
すばらしいものである、ということ。
それは、落語が成立し、形になった江戸後期の江戸人達の間に
あった人生観であろうと考えている。
そんな江戸古典落語は我国が伝統芸能としてはもちろん、
そこに流れる人生観や散りばめられた哲学とともに、
世界に誇るべきものである、と。

で、さらに、この人生観は、おそらく江戸から
続く、東京下町人の人生観にも受け継がれていると
私は、思っている。

本来であれば、個々の噺を分析しそれを以って
論証をしていかなければいけないのだが、
未(いま)だまとまっておらず、いわば、直感的に
思っていることを書かせていただいたわけで、
そのあたりは、今後のこととさせていただきたい。

で、今日は、ついでといっては、なんだが、
さらに直感的に思っていることを続けて書かせていただく。

なにかといえば、こうした落語をはじめ、様々な文化が花開いた
文化文政を中心にした江戸後期以後、明治以降の東京と、
さらにはこの国のこと、である。

まあ、つまり、それだけ成熟した文化を持っていたはずの
江戸人達とその文化は、その後の明治、大正、昭和、戦後、
平成と、150年ほどのあいだにどうなっていったのか、
このことである。

古典を現代に、と、談志師匠はいっていたが、
これを実現させるためにも、考えてみる必要があると
思っている。

もちろん、この150年の間は、東京も日本も、
一様ではなく、なん段階も、様々に変化をしてきた。

しかし、私が最も気になるのは、
明治という時代である。

以前に、明治という時代の評価が、今のようなものでよいのか?
という問題提起をしたことがある。

これは、今月、また始まるが、司馬遼太郎先生の
NHKドラマ『坂の上の雲』や昨年の大河ドラマ『龍馬伝』
などでは、どうも明治維新や明治という時代を肯定的に捉え
ている。(なにもこれらだけでなく、現代、一般論として
そういう見方が普通であろう。)

これに対して、私自身が観た河竹黙阿弥作の歌舞伎
『天衣紛上野初花』や『河竹黙阿弥の明治維新』(渡辺保・新潮社)
やらから、考えたことで、いわんとするところは、
明治の文明開化万歳なのか?ということであった。

また、あるいは、上野の山について書いたことがあった。
ここなどは、とても象徴的な場所である。

江戸期はご存知の通り、江戸幕府の祈願寺、東叡山寛永寺があり、
江戸城に次いで、幕府の権威の象徴であった場所。
これが、明治期、上野戦争があって焼けてしまった、
というのはあるが、寛永寺自身は末社のお堂に押し込められ、
代わりに、全山が文明開化の見本市会場となり、なん度も
博覧会が開かれた。
江戸初期の権現造りの重要文化財である上野東照宮は
荒れ果てるままに放置され、平成も20年以上経ち、
やっと今年になって修復が始められている有様。

明治になり、江戸らしいものは、どんどんと
破壊され、文明開化だけに浮かれていた明治という時代?!。

こうしたものに抵抗をし、江戸の昔を懐かしんだのは、
先の、黙阿弥以外には、断腸亭永井荷風先生なども
その一人であろう。
だがやはり、知識階級としては、こういう人は
少数派であったといえよう。

しかし。

しかし、で、ある。
ことは、そう簡単ではない。

明確にわかる“江戸らしいもの”は、新政府によって
意識的にか、破壊されていったのだが、そうでない、
落語のようなものは、同じような道を取らなかった、
ということ

今回、談志師匠の死、から、落語の文脈で
考え始めて、改めて気がついたのだが、落語、というのは、
明治になっても、滅びることなく、相変わらず、落語のままで、
むしろ、圓朝なんという人が現れて、活性化していた。

これはなんであろうか。

歌舞伎界は、先の黙阿弥先生のように、文明開化と
葛藤をし、戦っていた人もあったわけだが、しかし、
全体とすれば、團菊左時代(明治期の歌舞伎界の人気者は九代目團十郎、
五代目菊五郎、初代左團次三人で、頭を取ってこう呼ばれた)
といって、盛んにお客を集めてもいる。

ある種の二重構造のようなものがあったことは
推測できる。

文明開化とはいえ、普段のお楽しみ、プライベートは、
相変わらず、落語だし、歌舞伎芝居。

知識階級と一般庶民の違いもあろう。
しかし、知識階級の中でも、欧米文化と江戸から続く
庶民文化のある程度の使い分けがあったのか。
(漱石だって、落語は好きであったようではある。)

結局、落語にしてもあまりにも身近なところにあったから
ということであろうか、少しずつ、少しずつ、庶民には
気が付かぬ程度に、段々に衰退し、江戸の終焉から100年かかって
名実ともに、東京の人々の心から消えた、ということであったのか。

(もう少し、細かくいえば、戦後の東京オリンピック、高度経済成長で、
江戸から続く町名がなくなる等々、東京が生まれ変わる、そして、
TVの登場が最終的には、東京らしい文化を塗り潰し、落語が
消滅した、ということではあろう。)




なんとなく、結論が見えてきたような気がする。

この項、もう少しだけ、続けさせていただく。







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