断腸亭料理日記2011

池波正太郎と下町歩き 9月

その6

9月17日(土)

さて。

9月の『講座』。






小網神社から、再び、旧穀物取引所の
甘酒横丁まで戻ってくる。
(そうである。私は、無意識に、人形町通りの
西側も甘酒横丁と、書いてきたが、本来、甘酒横丁と
いっているのは、人形町通りから清洲橋通り、いや、
浜町掘跡まで、かもしれない。)

そして、魚久の角を左に曲がる。
すると、左側にあるのが、日本橋小学校。

そして、案内板も建っている。
西郷隆盛屋敷跡、で、ある。

上の、江戸の地図をご覧いただきたい。
左側、稲荷堀、と書いたあたり。

細長く、酒井雅楽頭、というのが見つかると思う。
これは姫路藩十五万石酒井雅楽頭の中屋敷。

で、この酒井家中屋敷は明治になり、むろんのこと、
新政府に接収され、明治4年、新政府の役人に招かれた、
西郷隆盛に屋敷として与えられたのである。
この雅楽頭屋敷跡は、そうとうに広く、すべてではないらしいが
それでも、西郷一人の屋敷としては、広大であった。

なんでも、屋敷には書生を十五人ほど住まわせ、
下男を七人雇い、猟犬数頭を飼っていたといわれる。

で、思い付いて、調べてみたのだが、
司馬遼先生の、かの、「翔ぶが如く」には、西郷が
例の、征韓論に敗れ、この小網町の屋敷を出ていく場面が
書かれている。(2巻:退去)より〜

『「きょう限り小網町の家には戻らない」』と言い残して
向島小梅村の寮(越後屋という米屋の寮であったという)に出かけ、
しばらくそこに隠棲をした。
そこに下僕が追いかけてきて屋敷の始末のことを訴えた。
西郷は屋敷を手に入れた価格、250円で売るように指示していたが、
その値段では買い手が驚いて信用しないという。
250円は当時の相場では10坪ほどの値段で、3千坪の屋敷は7,500円になる。
『西郷にすれば自分は商人ではないからその値段では売らないというのである。』

そして、我らが、池波先生にも、『西郷隆盛』は、ある。
池波先生は、西郷の東京での屋敷について、以下のように書かれている。

『日本橋浜町の越前家控屋敷跡に3千坪の土地を買って引き移った。

 むろん旧大名屋敷の遺構があったわけだが、西郷は門長屋の一棟で暮らすことにした。

八畳二間に三畳一間という、もとは足軽か何かの長屋であったのだろう。』


この、『浜町の越前家控屋敷跡』は間違いか。
だが、長屋に住んだ、というのは、いかにも、西郷らしい。

さて。

もう一つ、ここは小学校。
今は、日本橋小学校という名前だが、
元は、東華(とうか)小学校。
小伝馬町の十思小学校と統合され、この名前になっている。

また、最初の東華、だが、これは、江戸の地図に見える、
雅楽頭家のまわりを囲んでいる、稲荷堀(とうかぼり)、
からきている、という。
この稲荷堀の稲荷は、むろん、いなり。

稲荷を音読みして、とうか、である。
お稲荷さんは、小網神社のこと。
そういうことらしい。

さて。

そのまま、まっすぐ。

大通りを渡り、このあたり、昔の芳町。

二本目。

江戸の地図に書き入れたが、
『堺町』と『葺屋町』。

この二つの町名でピンとくる方は、マニアか、
専門家か、あるいは、、?

この人形町が芝居町であったと、なん度も
書いているが、天保期に、浅草へ移転させられるまで、
ここが、江戸初期から、二百年間もの長い間、江戸の芝居町の
一つであった町、なのである。

今は、この路地には、なにも、それらしい案内板などは、
建てられてはいないようである。
さほど大きくないオフィスビルが建っている
なんということもない、街角。

しかし、ここの路地に、かの中村座と河原崎座が、
あったのである。 

そして、もう一つ。
やはり、ワンセットにして語るべきであろうが、
吉原のこと。

むろん、こちらも、浅草千束に移転する前の
元吉原のことである。

元吉原は、上の地図に赤線を入れたが、
この堺町、葺屋町の人形町通りをはさんで
反対側にあったのである。

芝居町と遊郭がセットであり、江戸一番の
歓楽街、いわゆる『悪所』なとといわれる
所以であったのである。

先の、雅楽頭屋敷の左上に、思案橋、というのがあるが、
これは、この悪所に行こうか行くまいか、
“思案”をしたので、思案橋と名付けられた、
なんという話も残っているようである。


と、いったところで、今日はおしまい。

明日は、もう少し、
芝居町と、歌舞伎の話と、吉原のこと。


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『池波正太郎と下町歩き』の後期、募集中です。

是非!

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