断腸亭料理日記2023

田原町界隈のこと 浅草・そば・尾張屋 その1

4472号

12月19日(火)第一食

かなり寒くなった。

今日の最高気温は、13時25分で10.6℃。
天気はよい。
風はないので、そこまで寒さは感じない。

だが、自転車はもう厚いコートにさらに手袋。

今日はちょいと[尾張屋]で一杯やろうか。

[尾張屋]の創業は万延元年(1860年)。
万延というのは、安政の次、文久の前で
実際には1年もない。まあ、動乱期。

現代の地図。

[尾張屋]は浅草一丁目、雷門通り沿い北側。
この通りは雷門広小路といっていた。

今の浅草一丁目というのは広くて、雷門通りの北、
伝法院通りの南側全部。

今日は、このあたり浅草寺以南、田原町周辺を
振り返ってみたい。

ちなみに、田原町の町は“チョウ”ではなく“マチ”という。
東京は多くの町は“チョウ”というの通例だが珍しい例である。

雷門と浅草本願寺を入れた範囲。

まず、江戸の地図。

田原町というと、最初にうなぎやの[やっこ]のことを書かねば。

この雷門通りの並びに今もある。おそらく東京最古の
現存するうなぎやの一つ。寛政年間(1790年代)創業という。
ちなみに、江戸前の割いて串を打ち、濃口しょうゆで
つけ焼きにするうなぎ蒲焼ができたのは、濃口しょうゆ
が誕生した(享保年間(1700年頃))後といわれており、
[やっこ]創業はその100年弱後ということになる。

この切絵図、若干、不正確なところもありまた、細かい
部分は違って見えるが、大きな町割りは変わっていない。

広小路というくらいで、雷門前の通り、幅が広いのだが、
半分ほどで狭くなっている。

今の国際通りは、この突き当りのT字路から北は
狭くなっている。

[尾張屋]の場所の町名は、切絵図上は田原町三丁目に
なっている。しかし、正確には田原町三丁目は広小路が
狭くなる少し手前までで、[尾張屋]の場所と思われる
ところは、浅草東仲町というのが正しいと思われる。

そして、田原町三丁目の町やのすぐ北まで伝法院の絵に
なっている。これも間違い。伝法院の場所は現代まで
変わっていないのでもっと北で、正しくは町やの手前まで、
北の池(瓢箪池)あたりから浅草寺火避け地という扱いで
あった。

ただこれ、実際にただの空き地であったとは考えずらい。
浅草寺境内で、見世物小屋などあった奥山と続いおり、
状況は奥山に近いものではなかったか。

北へ曲がったところには「蛇骨(じゃこつ)長屋」と
いうのが見える。これは、蛇の骨がこの地から出てきた、
という伝説のような話が元で、つい数年前までここに
あった蛇骨湯という銭湯に名前が残っていた。

さて、通りをはさんだ西側が誓願寺とその門前町や。
落語「唐茄子や政談」にも出てくるが、当時、誓願寺
門前町やは、誓願寺店(せいがんじだな)といい、
かなりの貧乏長屋で通っていたところ。

その南側のブロックが、新堀川、菊屋橋まで浅草本願寺。
新堀川というのは、今の合羽橋道具街の通りでここ、
川だったのである。埋められたのは震災後。

今も浅草本願寺はあるが、ここは“東”本願寺。
このブロックは、全部ではないようだが、ほぼ本願寺の
塔頭など関連施設。築地本願寺も同様だが通称、門跡
(もんぜき)といった。

本願寺はご存知、浄土真宗。門徒(もんと)のお寺。
浄土真宗信者、門徒の人々は熱心で江戸期には折々の
寺行事に、大挙して参集し界隈はごった返したという。
また、浅草本願寺は朝鮮国からの使節、いわゆる朝鮮
通信使一行の江戸滞在時の宿舎になるのが通例(江戸期に
四回)であったようである。

浅草というのは、今もそうだが基本寺町である。しかし、
この本願寺の東側、雷門門前は寺でも武家屋敷でもなく、
まとめて町やであったのも特徴的である。

ちなみに雷門という門そのものは、幕末、慶応元年
(1866年)の火災から戦後、かの松下幸之助氏の
寄進により現在のものが再建されるまで存在しなかった。
つまりこの間、地名だけ雷門といっていたのである。

さて、明治。これは終わり近く、明治40年(1907年)。

既に、この頃には六区の興行街が出来上がっている。
パノラマ館、曲芸、芝居小屋などが主であったが、明治36年
(1903年)には日本最初の映画封切り館、電氣館が
できている。浅草オペラはもう少し先だが、日本一の
エンターテインメント街浅草六区絶頂期の始まりと
いってよいだろう。

今、すしや通りといっている六区からの通りはまだ
延長されていない。また、東西の新仲見世通りもまだない。

今の国際通りはT字路から先、合羽橋通りの少し
北まで道幅は広くなっている。
その西側の誓願寺、本願寺のブロックの寺々は
基本江戸期から変わっていないように見える。

そして、今日はもう一つ、太平洋戦争直前、昭和15年
(1940年)。

ここでようやく、区画は今と同じ。
国際通りもすしや通りも新仲見世も今と同じ。
関東大震災後に整理されたということであろう。

誓願寺は既にないので、震災後に移転。
これに対して、通りなどの区画は整理されているが、
本願寺とその塔頭、支院はそのまま残っているよう。
まあ、今と同じということか。

ちなみに、先ほどから、T字路といっていた、
国際通りと雷門通りの交差点。
昭和9年(1932年)に 仁丹塔ができている。

もうご存知の方も少ないかもしれぬ。今、ファミリー
マートになっている建物。浅草十二階が大震災で倒壊後、
模して浅草のランドマークにと造られた。その後、戦中に
解体、戦後昭和29年(1954年)に再建。昭和61年(1986年)
まで存在していた。私も今も書いてしまうことがあるが、
あそこは、仁丹塔の交差点であったのである。

 

つづく

 

 

 

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