断腸亭料理日記2025

浅草橋三丁目・洋食・一新亭

4777号

5月19日(月)第一食

さて。
洋食が食べたい。

この界隈、下町には洋食やが、もともと多くあった。
浅草だったり、上野だったり、繁華街はもちろん、
そうでもない、拙亭近所、下谷(東上野)、元浅草、
といったあたりにも、パラパラとあった。

一軒なくなり、一軒なくなり、寂しい限り。

なぜ、下町に多くあったのであろうか。

洋食やが繁華街ではないところにもでき始めたのは
いつ頃であったのか。

池波正太郎先生は、浅草聖天町の生まれで、育たれたのは
永住町。これはもちろん、旧町だが、今私の住んでいる
元浅草のうち。先生のエッセイを読んでいると、子供の頃、
近所に洋食やがあって、出前などでもよく食べていた、と。
先生は大正末の生まれなので、時期は昭和初期、戦前という
ことになる。

以前に貴重な史料になる書籍を見つけたので

紹介したことがあった。再掲しよう。

(「大正・昭和初期の浅草芸能」伊藤経一(文芸社)2002年
より断腸亭作成)

今のこの界隈と比べると、以前、例えば、戦前のこのあたり
とは随分と街の様子は違う。
これは、ビルがあるかないか、ということではなく、
いわゆる商店や、飲食店が町内にあるか、ということ。
今のこの界隈は、いわゆる商店はほぼなく、飲食店も
数えるほど。

この当時は、八百や、魚や、炭や、銭湯、酒や、床や、、、。
先生も書かれていたが、町内(この場合ももちろん旧町)
から外へ出ないで、買い物ができたし、また町内への配慮で
外で買い物をするべきものではなかった、と。
ここ、今の、春日通りと左衛門橋通りの小島町交差点、
あたりでは、そばや、鮨や、和菓子や、医院、その上、
[海盛座]という芝居小屋、複数のカフェーまであった。
カフェーとは、今のカフェでも、喫茶店でもなく、
近い業態を捜せば、キャバクラあたりになろうか。
女給といっていた若い女性がサービスする風俗店と
いってよい。
ちょっとした盛り場ともみえるほど。

たまたまこの地図にはないが、洋食やも界隈にあったと考えて
よいと思う。
まあ、大正、昭和初期には、上野、浅草、銀座、日本橋といった
著名な繁華街、また、いわゆる花柳界(芸者さんのいる街)以外
でも洋食やはあたり前の飲食店であった、と。

洋食というのは、明治に日本に入り、東京であれば、当初は
銀座、日本橋などの繁華街、そして先の花柳界などから
でき始め、その後、最先端のメニューから一般化が進み、
大正から昭和初期には、そばやや、鮨やといった飲食店同様
とまではいかなかろうが、東京下町の庶民にはあたり前に
なっていった、と考えられる。

ではなぜ、下町であったのか、といえば、これは数の問題で
あろう。例えば、新宿、渋谷、池袋といったところは、戦前で
あれば、まだ畑も近くにある郊外で、下町ほどには住んで
いる人もそう多くはない。もちろん駅の周りなどには既に
ちょっとした繁華街で飲食店もあり洋食やもあった。新宿
伊勢丹そばの老舗とんかつや[王ろじ]は大正10年の創業
である。
ただ、下町は、もちろん旧幕時代から人の住む街で人口密度は
圧倒的に違っていただろう。

ちなみに、いわゆる山手ではないのは、山手は江戸期は武家
屋敷のみでそもそも町家、商店、飲食店が多くはなく明治
以降も大きなお屋敷が残り、それが踏襲されていた。
例えば、麻布十番など山手の下町などとわけのわからぬ
言い方をされるが、ここなどが山手地域の商店、飲食店の
ある街で、限られていたと思われる。
今言う下町でも、町やばかりではなく、同様の地域はあった。
実のところ元浅草も江戸期には武家屋敷と寺の街で町家は
ごくわずかであった。
だが、下町は明治に入り大きな武家屋敷は分割され、商店や
飲食店、長屋などの職人の住む住宅になっていったという
違いが出ていったわけである。下町からお屋敷がなくなった
のは、明治以降のお屋敷の主、役人、企業家といった新規の
お金と地位のある人々が旧時代からの雑多な繁華街に近い
下町に住みたがらなかったからであろう。

ともあれ、こんな違いで、下町の繁華街でないところでも
洋食やはもともと数が多く、最近まで残っていたという
ことであろう。

長々、下町の洋食やのこと、書いてしまったが、そんなことで、
稲荷町[ベア]の閉店で今は元浅草の拙亭に最も近い洋食やに
なってしまった、鳥越神社そばの[一新亭]、で、ある。

今は、浅草橋三丁目、旧町だと向柳原二丁目。
明治39年(1906)年創業という。
ここも今も、おそらく昔も、繁華街ではない。

不覚にも、気付いて通い始めたのが昨年であった。
今は、そうでもないようだが、取材NGであったよう。
きっと、以前からご主人が写真で有名人なので、そういう
話も多数あったのであろう。
この規模の家族経営であれば、お客が集中されては
困ることは明らかである。
もちろん、前はなん度も通っているので、存在は
知っていたが、中身を知らなければ、入れない佇まい。

昼のみで、14時半まで。出るのが直前になってしまった
ので、自転車を本気でこいで到着。
暖簾は出ている。
入ると、なんのことはないにぎわっている。

あいたところに掛けて、メンチ付きのオムライスを。
今日は、なにかご主人が、お知り合いと外のテーブルで
話し込んでいるよう。
と、いうことは、娘さん調理か。

きた。

まあ、客観的に言えば、びっくりするものではない。

ちょっと大きめのメンチ。
キャベツの千切り、ケチャップ味のスパゲティー。

私の好きな、堅く焼いた玉子焼きのオムライス。
中のケチャップライスは、鶏なのか豚、なのか、
いまだによくわからぬ、が。
まあ、どちらでもよいだろう。

そして、味噌汁。
正しい、下町の洋食、で、あろう。
メンチには、中濃ソース。

これだけ食べると、なかなかのボリューム。

うまかった、うまかった。

ご馳走様でした。


台東区浅草橋3-12-6

 

 

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