断腸亭料理日記2010

池波正太郎と下町歩き11月 その8

引続いて『講座』。
昨日は、金春芸者から、明治・大正・昭和と隆盛を極めた、
新橋花柳界のこと。




現代の地図


より大きな地図で 断腸亭の池波正太郎と下町歩き11月 を表示


江戸の地図(銀座南・木挽町方面)


新橋花柳界というのは、そういう意味では
京都の祇園などと比べどうなのか。
おそらく、明治、大正、昭和と、所属芸者数など、
日本最大で最も金も落ちた、花柳界の一つであったのではあろう。

港区ゆかりの人物データベース

上のページをご参照願いたい。
明治終り当時の、栄龍という、花形芸者さんである。

名古屋出身で14歳で芸者のお披露目。
当時、三越が着物の販促のため、今でいう、モデルであり、
イメージキャラクターのようなものに使われた、という。
(エビちゃんやら、モエちゃんのようなものか?。)

アイドルタレントでありながら、お金を出せば、
話もできて、、場合によっては、、、と、いうような、
存在であったのであろう。
(ちなみに、荷風先生の『新橋夜話』



なんぞも、これを機会に読んでみたのだが、お金を払えば、
の件は、当時、明治終り頃の金額で五十円で、一晩、、と、
いうような話も出てくる。)

蛇足だが、東京の鮨やとしては、定番の有名店である
銀座久兵衛は、この金春通りにある。創業は昭和10年のよう。
(この地で創業かどうかは不詳だが。)

ともあれ、そんなこんなの、新橋花柳界。

ということで、再び銀座通りに出てくる。
角にある、資生堂パーラー

資生堂の創業は1872年(明治5年)。
創業当時は薬局。パーラーは1902年(明治35年)。

現在のこの場所でソーダファウンテンをアメリカから取り寄せ、
薬局の一画で開業したのが始まりという。
その後、アイスクリームなども売出し、
同じく商売ものの香水をおまけにつけて、
界隈の芸者衆に人気を呼んだという。
(やはり、資生堂も新橋花柳界と無関係ではない。)

その後1928年(昭和3年)洋食も始め、ミートクロケットは
昭和6年に生まれているという。また、アイスクリームの
持ち帰り用容器は、今見てもお洒落な魔法瓶で、当時は
お金持ちのお嬢様に愛用されたことが、しのばれる。

時代の最先端の町銀座の、飛び切りお洒落で、むろん高価な、
洋食レストランであったのであろう。

ちょうど、池波先生が通い始めたのも、戦前のこの時期から
ということになる。

銀座通り側正面左の入口から入り、名前を告げる。
レストランは4Fと5Fだが、今日は、5F。
皆さんをエレベーターで5Fへご案内。

20名分の席を作ってもらう間、暫時待機。

レストラン内部は落ち着いた明るめ、清潔な内装。
ウエイター、ウエイトレス氏は皆、躾が行き届いている。

メニューは、あらかじめ決めさせていただいた。
池波先生が好きであった、チキンライスと
ミートクロケット。

皿は資生堂の金のロゴ入り。


ビールは小瓶でグラスにすべて注いでくれるのだが、
これがぴったりと注ぎ終り、芸術的。
(と、皆さんの前で、褒めたら、あっと、、、
こぼしてしまった。)
向う側は、福神漬、らっきょうやらの、薬味セット。
昔懐かしい、みかんの缶詰、のようなみかんがなぜか
一緒に付いており、これがまた、うまい。


ミートクロケット。
チキン入りのクリームコロッケ、で、ある。


チキンライスは大きな容器から、テーブルで、
めいめいに取り分けてくれる。


味は、むろん私はなん度か食べているが、
今さらだが、やはり、うまい。

チキンライスとクリームコロッケにこのくらいの
値段をつけるのか、と、若い頃の私であれば、
まったく理解できなかった。

料理は、素材もよいのだろうし、手間のかかり方も、
気の使い方も、駅前や近所の洋食やとは、違う。
あるいは、店内のサーヴィスもむろん違う。

以前から書いているが、今、東京の老舗洋食やの多くが、
過去、花柳界にあった店。
この資生堂パーラーもその例に漏れない。
そうした歴史を含めた価格、と、考えるべきであろう。
ある意味、東京の文化といってもよいもの。

楽しく食事をし『講座』も、お開き。
皆様、お疲れ様でございました。


また、8回に渡り、長々、お付き合いいただいた
読者の皆様にも、感謝の言葉を申し上げる。

また、来月!。



資生堂パーラー銀座本店







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