断腸亭料理日記2011

壽 新春大歌舞伎 その1

1月3日(月)

さて。

引き続き、正月。

三日、歌舞伎芝居を観に行く。

一昨年から、正月は着物を着て、観に行っている。
やはり、正月らしくて、よいもの、で、ある。

昨年は、歌舞伎座で
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)、
与話情浮名横櫛(よわなさけうきなよこぐし)
であった。

今年は、歌舞伎座が新築中なので、新橋演舞場。
たいして考えたわけではないのだが、勧進帳があるので、
昼、に、してみた。

例によって、演目と配役を書き出してみる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

寿 新春大歌舞伎

昼の部

一、御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)

   加賀国安宅の関の場

                 武蔵坊弁慶  橋之助

                九郎判官義経  錦之助

                駿河次郎清重  種太郎

                近江三郎民利  巳之助

                山城四郎義就  国 生

                三河五郎兼房  吉之助

                源八兵衛広綱  宗之助

                 常陸坊海尊  桂 三

                 斎藤次祐家  彌十郎

                 富樫左衛門  歌 六

二、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

  三笠山御殿

          漁師鱶七実は金輪五郎今国  團十郎

                   お三輪  福 助

                    橘姫  芝 雀

                 荒巻弥藤次  家 橘

                  宮越玄蕃  市 蔵

                豆腐買おむら  東 蔵

                  蘇我入鹿  左團次

          烏帽子折求女実は藤原淡海  芝 翫

三、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)

                  工藤祐経  吉右衛門

                  曽我五郎  三津五郎

                  大磯の虎  芝 雀

                 近江小藤太  松 江

                  八幡三郎  種太郎

                 化粧坂少将  巳之助

                梶原平次景高  吉之助

                梶原平三景時  由次郎

                 小林朝比奈  歌 昇

                鬼王新左衛門  歌 六

                  曽我十郎  梅 玉

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

雑煮を食って、10時頃、着物を着て、
内儀(かみ)さんとともに、出る。

羽織の上は、やはり、鳶のコート。

築地市場前で降りて、新橋演舞場へ。
11月にも来ているが、
新橋演舞場へ入っていく路地の、
料亭金田中の隣に、木挽町瓣松が店を出して、弁当を
売っていたが、今日は見えない。
正月だからであろうか。


仕方ないので、演舞場正面にある店で調達。
近所のコンビニまで、煙草を買いにいっていたり、
なんだかんだ、バタバタしているうちに開演、10分前。

入り、あわてて“筋書き”を買い、席を探して、座る。

と、ほどなく、幕が開く。

勧進帳。

まあ、見慣れた、安宅関。

たいして、下調べもせずにきてしまったので
筋書き、を、膝に置いて、読みながら、で、ある。

ん?

これは?

あれま。勧進帳は、私も、幸四郎の弁慶で、観たことがある。
これは、その、有名な歌舞伎十八番の『勧進帳』とは、
また、別の勧進帳、らしい。

なんでも、この『御摂勧進帳』は、
初演は1773年(安永2年)。
『勧進帳』の初演の67年も前、らしい。

弁慶は、橋之助。

ただ、おおすじは、むろん、『勧進帳』と同じように
関守に咎められた義経主従。弁慶は勧進帳をソラで読み、
さらに怪しまれると、弁慶は義経を打つ。

ここまでは、同じ、なのであるが、
ここから先が違う。

弁慶だけが残されて捕縛されるのだが、義経らが逃れるのに
時間を稼ぎ、もうよいか、という段になると、
縄を自力で振りほどき、暴れ始め、番卒達の首を素手で
引きちぎる。

弁慶の怪力ぶりをみせる、ということであろうが、
このあたりが、なかなか、グロい、といってもよいだろう。

そして、最後に、その番卒の首を舞台中央の巨大な天水桶に
入れて、その桶の上で、首を2本の金剛杖で、まるで
芋を洗うように、かき回す。

これで、幕。

芋を洗うように、首を洗う、というので、
別名、芋洗い弁慶、と、いうようである。

いわゆる、江戸荒事、で、
派手ではあるが、なんであろうか、
これは。

すごいもんである。

首をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、
挙句の果てに、首を芋洗い。

あまり、演じられないものではあるらしいが、
それでも、最近でも、数年に1回程度は演っているよう。

と、筋書き、の端っこの方におもしろいことが、書いてあった。
なにかというと、この、芋洗い、の場面には、
呪術的な意味がある、というのである。

『植物の芋とは別に、「いも」は疱瘡(いもがさ)の
異名でもある。(中略)語呂合わせだが、江戸の人々は
弁慶の“芋洗い”に御利益を授かる思いであったようだ。』

疱瘡(ほうそう)とは、ご存知のように、天然痘のこと。
種痘というワクチン療法が開発され、日本でも幕末から
行われるようになり、当時は、顔に跡が残り、これがあばた面といったり、
死に至ることもあった感染症であったのだが、
今は、撲滅されている。

ちなみに、芋洗いの、芋は、じゃがいもでも、さつまいもでもなく、
むろん、里芋、で、ある。
お若い方は(?)ご存知ないかもしれぬが、八百屋などで
水を張った樽に里芋を入れ、先の弁慶と同じように、
棒を2本入れ、かき混ぜながら、皮をむいていたものである。
これが、芋洗い、で、ある。
(ついでだが、芋を洗うよう、という慣用句も、ここからきている。)
こんな、芋を洗う、という、八百屋のシーンは、赤塚不二夫先生の
「もーれつア太郎」にも出てきていた。

ともあれ。

この、筋書きの端っこ、を読んで、ちょいと、
思い出したものがある。


のであるが、長くなるので、
今日はこのへんで、つづきは、また明日。








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