断腸亭料理日記2016

中原街道と、、

五反田・讃岐うどん・おにやんま

4月7日(木)夜

またまた、帰り道、五反田駅前、讃岐うどんの路麺
[おにやんま]に寄ってしまった。

どうもここは“しまった”という言葉を付けたくなってしまう。

ここの誘惑にはなかなか抗しがたい。

通りかかると、吸い寄せられるように
自販機の前に立ってしまう。

時間の限られているお昼などは、かなりの列になるので
通りかかっても並ぶことはないのだが、外出時、
あるいは外出からオフィスに帰ってきた時など、
半端な時刻だと、やっぱり誘惑にかられる。

雨。

寒がりな私はステンカラーのコートを着てきた。

風もあって比較的雨は強く、寒い。

桜田通りを渡って駅を左に見て大崎寄りのガードまでくる。

このガードの通りの正面向こう側が[おにやんま]。

信号のある横断歩道は右へちょっと行った大崎橋の
手前にあるのだが、それは面倒なので、いつものことだが、
ガードレールを越えて、すきを見て渡ってしまう。

さて。

前回、この[おにやんま]を書いた時に
ちょっと触れたのだが、この通りは、ちょっと古い、と。

江戸の地図。

目黒川に掛かっている橋の名前が、大崎橋ということから
このあたりが広く大崎と呼ばれており、むしろ大崎の
中心のようなところといってよかった、ということも
わかる。

江戸切絵図を見ると、既に大崎橋がある。

この時は、ここまでであったのだが、
この通りにちゃんと名前があったことがわかった。

例えば、この界隈に長くお住まいの方は、
既にご存知であろう。

中原街道、という。

いやはや、知らなかった。
いや、気が付かなかった。

私自身、東京でも北西部で育ち、今は浅草に住んでいる。
結局自分が行ったことはないところは東京でも知らないのである。
いわゆる土地勘がないというやつである。

中原街道といえば、交通情報で、よく聞く名前、
その程度の知識であった。

まったく情けない。

江戸どころでの話でない、鎌倉あたりまでさかのぼれるらしい。
江戸初期に幕府によって東海道が整備されるまでの
東海道でもあったという。

虎の門から平塚市御殿(中原)まで。

江戸期には東海道の脇街道として
盛んに利用されていたという。

そりゃぁ、切絵図にも載っているはずである。

ともあれ。

この中原街道の歴史、もっと調べてみるとおもしろそうなのだが、
長くなるので今日はやめにしておこう。

そんなことで、中原街道、五反田ガード下の
讃岐うどんの路麺[おにやんま]、で、ある。

今日は、自販機でおすすめになっていた、
ちくわ天、鶏天が別皿の、おろし天ぶっかけ、490円


しょうゆをかけてくださいと、いわれたので、
ぶっかけだが、つゆは入っていないものであろう。

どうもまだよくわからぬのだが、前回は
つゆが入ったぶっかけであったと思うのだが、
両方あるのか。

どちらにしても、うまいのは間違いない。

さて。

この店の魅力というのはなんなのか。

うまいこと。
まあ、これは当然のこと。

しかし、うまい讃岐うどんやというのは、
東京でも、まあ、それでも珍しくはない。

安いこと。
これは、その通り、小ぎれいな讃岐うどんやよりも
安いとは思うのだが、いわゆる路麺、
立ち食いそばと比べれば、多少高い。

立ち喰いと関係しているが、
前に、ライブ感、などと書いたが、やぱり魅力は
これ、なのである。

これ座って食べたら、ここまでの魅力にはならない。

調理場の前のカウンターに立って見る。
次から次へと山のような鶏天を揚げ、うどんを茹で、
洗って、どんぶりに入れ、つゆを張って鶏天を載せて出すのを。

お客は列をなし、次々に呼ばれて店の中に入り、
開いているところに立って、今や遅しと待つ。

届くと、待ってましたと、箸を割って、
無言で熱い鶏天をハフハフと食い、
うどんをすする。

休まずすする。

食べ終わるのが、惜しい。

しかし、食べ終わる。

うまかった〜。

ご馳走様でしたぁ〜。



おにやんま
品川区西五反田1-6-3




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