断腸亭料理日記2017

2017浅草・三社祭

5月21日(日)

日曜日、三社祭、で、ある。

三社祭というのは浅草寺の境内東にある、
浅草神社、別名三社様のお祭。

神社のとしてのお祭の行事はむろん今日だけではなく、
少し前から行われている。

私の住む元浅草は三社様の氏子範囲ではなく、
鳥越神社であるため、経験がなく詳細はわからないが、
三社様の氏子、特に神輿を担ぐ町の方々に関係するのは、
土曜日の各町神輿の連合渡御、そして、日曜日の神社の宮神輿である、
本社神輿の各氏子町内の渡御ということでよいのか。

そして、私が毎年見に行くことにしているのは
この日曜日の本社神輿の各町渡御。

三社様の本社神輿は三基ある。
すなわち、一之宮、二之宮、三之宮、である。

一般には、日曜日の早朝6時の、三基の本社神輿を神社から担ぎ出す
「宮出し」と、同じく神社に帰ってくる「宮入り」が見所という
ことになっている。

「宮入り」はなん回か見ているが、
寝坊の私は「宮出し」は見に行ったことがない。

「宮出し」というのは例年いわく付き。
見たこともないので詳細は書けないのだが、
以前になん年かお祭が中止になったことがあるが
それはこの「宮出し」で神輿に乗る者があったというのが
原因などと聞いている。
(一度ぐらいは私は見て置くべきであろう。反省、である。)

ともあれ。
三社祭は、東京を代表するお祭であり、
よきに付け、あしきに付け、人も集まり、耳目を集める。

個人的な思いではあるが、わるい面というのも含めて、
お祭ではあると考えている。

むろん、無辜の市民に危害が加えられたりするのは論外ではある。
しかし、誤解を恐れずにかくが、
多少荒っぽくなければお祭ではないと思うのである。

祭とは日常を爆発させるハレの日である。
そういうものではなかろうか。
押さえすぎてもおもしろくないし、けが人多数、騒乱状態も
むろんあり得ない。要はバランス、ということか。

第一食は8時頃、先日の[喜多方食堂 麺や玄]。
(台東区元浅草4-7-15)

背脂のしょうゆで、玉ねぎを入れてもらった。

昼前、見に行く前に神輿の渡御順路を確認。

多少遅れることもあるが、時刻が一応定められている。

一番近いのは、二之宮

例年、昼前後、元浅草の東隣の寿にいる。

自転車で出掛ける。
既に日差しも強くなっているのでストローハットを
被っている。

いたいた、寿四丁目か。

こうして警察の人もついている。



角を曲がって。

さて、次、で、ある。

三之宮

三之宮が近そうである。
象潟(きさかた)あたり。
象潟というのは観音裏(言問通りを越えた北側)の料亭街。

浅草通りを越えて、田原町の町の神酒所前。
お昼休みか、お神輿もお休み中。

とても自転車では観音様付近は抜けられない人出なので、
馬道まわりで、観音裏へ。

見番の先に、三之宮の太鼓だけがあった。

その先に、いた。

さて、最後、之宮は?。

この時刻は、南千住にも近い、飛び地といってよい、清川、
浅草町。いわゆる山谷地区で、浅草町というのは旧町名であり
今も町会の名前なのであろう。

千束通りを抜けて、土手通りに出て、吉原大門交差点を右に曲がって、
どんどん行って、かつての日光奥州街道、今は吉野通りといっている通りを越えて
向こう側。
こんなところが、なぜか飛び離れて三社様の氏子になっている。
途中は毎年トラックにお神輿をのせて運んでいる。

細い通り、行列の先頭の馬がいた。

役半纏の鳶頭(かしら)達。

角を曲がって、一之宮も登場。

細い通りで芋を洗うよう。

なぜ、こんな離れたところが、氏子なのか。
ちょっと調べてみると、江戸時代から浅草町といって氏子であったよう。
理由はまだ調べ切れていない。街道沿いで、江戸期にはよくあった
文字通り行政区画としての浅草の飛び地だったのかもしれない。
(お上の都合で移転させられ、同じ町名を名乗る飛び地は
江戸各地あった。)

浅草通りまで戻ってくると、まだ二之宮がいた。

・・・暑かった。

やはり、毎年同じ行事が盛大に、かつきちんと行われるのはなにより。

我が鳥越祭は、6月10日、11日である。

 

 


 

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