断腸亭料理日記2019

須田努著
「三遊亭円朝と民衆世界」その1

表題の須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」(有志舎)という本を読んだ。


この本、ご存知の方は、ほぼいなかろう。

不勉強ながら私も知らなかった。

17年8月の出版。
さほど前ではない。

日本近世から近代史の専門書といってよい。
著者の須田努氏は1959年(昭和34年)生まれ。
私よりも少し上。明治大学情報コミュニケーション学部教授。
博士(文学)。専門は日本近世・近代史、民衆運動史・民衆思想史。
学部は明治でドクターは早稲田(wiki)。

日本史、特に民衆史の立場からの三遊亭円朝の研究書である。
円朝を通して幕末から明治初期の民衆史を明らかにしている
というべきか。

まず、お断り。
私自身、落語家、歌舞伎役者も含めて旧字を使うことにしており、
特に円朝は幕末から明治の落語家で、圓朝としている。しかし、
須田先生は円朝を使われているので、今回はそれに合わせることにする。

普通、落語の研究というと、日本文学あるいは、演芸研究といった
フィールドであるが、歴史学の研究者による研究。
個人史といった見方もできると思うが、円朝自身も大衆と
いってよろしかろうし、落語は当然大衆に向かって演じられる
ものであるし円朝自身と作品を通して、この時代の民衆、大衆を
明らかにするという研究である。

三遊亭円朝という落語家は現代では落語好き、マニアの方
でなければ、ご存知はないと思う。

生きた時代は幕末から明治。今東京で演じられている古典の
江戸落語の噺はまずいつ、誰が作って演じられたかということは、
正確にはわかっていないといってよろしかろう。
そのなかで、年代と作円朝と作者がはっきり分かっているものが多い、
稀有な噺家である。

落語界では落語中興の祖などともいわれている大落語家。
大円朝という言われ方もする。
三遊一門では今でも神様であろう。
私も持っているが、全集も古くからあり版を重ねて出ている。

この研究の私の興味は、江戸末から明治という社会、時代の大転換期
の庶民の有様にある。

いわゆる幕末維新史というのは、それこそ大河ドラマなどでも繰り返し
扱われていて、人気でもありまた、よく知られている。
黒船来航から、尊王攘夷、安政の大獄、桜田門外の変、、、戊辰戦争、
さらには箱館戦争まで。勤王の志士、新選組、その他、皆、
知っている。いや、知っていると、思っている。
しかし、それは政治むき、表の歴史の話。一般庶民はどうであったか。
意外に知られていないと思うのである。

円朝と同時期、江戸から明治に、歌舞伎の作者として生きて
数多くの作品を残した河竹黙阿弥という人がいる。この人自身と作品も
以前から興味が大いにあって、ここにも書いてきた。
彼の作品で、今も人気のかの“知らざぁいって聞かせやしょう”の
「白波五人男」などは幕末、文久2年(1862年)の初演。この年は老中の
安藤信正が襲撃される坂下門外の変、さらに公武合体のための
皇女和宮の婚儀、あるいは生麦事件なども起きている年。
私自身驚いた。こんな頃にも、歌舞伎芝居はまるで関係ないかのように
江戸で新作が掛けられていたのである。

落語、あるいは落語家の歴史的研究という興味もあるが、
先に書いたように江戸末から明治という時代の大転換期の
一般大衆、特に江戸、東京の人々、がなにを考えて、
どんな生活を送っていたのかということ、である。


今、江戸ブームである。(落語ブームでもあるが。)
江戸というと、なにかいい感じ?。

だが明治はそうでもなかろう。
独立を守り、文明開化、富国強兵、列強に追い付け追い越せ。
近代化のために頑張った、明治。
今の我が国の基礎を作った。どれも正解であろう。
だが、明治自体の評価も私自身は、今一つ釈然としていないのが
本当のところである。

ともあれ、この江戸末と明治というのは、むろんシームレスに
つながっているのである。特に、庶民など上がどう変わっても
明日から急に変わらないではないか。
50万人の江戸庶民達がどのように明治維新を迎えたのか、そして
どのように文明開化や富国強兵を受け入れていったのか。
ほとんど語れらていないと思うのである。
今の我が国、そして東京、東京下町、あるいは江戸落語を
考えるうえでも、この江戸の終焉と明治のスタートラインを
はっきりさせないといけないと思っていたのである。
そういう意味で、この須田先生の研究はまさに私の疑問の
大きな部分に光を当てて下さったものといってよい。

この文章では須田先生の論の紹介と私の考えのようなものを
書いてみようと思うのだがまず最初に私自身のバックグラウンドにも
再度触れて、私の立ち位置を明らかにしなければいけなかろう。
なぜこんなことを考えているのか。

落語というのが私のメインフィールドと思っており、
聴くことももちろんするが30代前半、5年ほど今、売れっ子の
立川志らく師に落語を習い、自分でも演じたりはする。

一方、学生時代は筑波大学で日本民俗学を専攻して、
これもまあ、学部レベルではあるが、専門である。

昨年一杯、55歳を機に退社したが、二足の草鞋、
新卒以来サラリーマンを続けてきた。
このサラリーマン生活と断腸亭としての活動は、まったく
無縁ということはあり得ないが、ほぼ関連はない。

落語と同時平行だが30代に入った頃、池波正太郎先生の時代小説に
のめり込み、作品は小説、エッセイも含めすべて読んだ。
ご存知の通り、氏の作品に出てくる食い物はとてもうまそうである。
私自身、子供の頃から料理が好きで、学生時代から就職後も
趣味として食い物を作っていた。

池波先生の食い物を描いたような文章を自分も書いてみたいと
思うようになり、作品に登場する食い物の再現だったり、
先生の行き付けであった食い物や訪問記のようなものを
「断腸亭料理日記」としてインターネットに書き始めた
のである。

書き始めたのは98年。当時はまだブログなどなく、いわゆる
ホームページという体裁。それで今もこのようなページになっている。
一度4年ほどの中断があって、04年再開。
以来、14年程度、週5日、5本を日記体裁で書いてきた。

この「断腸亭料理日記」から、TV、雑誌などの取材、
あるいは3年間ほどだが、カルチャースクールのNHK文化センターさん
からお話をいただき「池波正太郎と街歩き」というタイトルで
月一回の講座をさせていただいたことがあったりもした。
これが10年ほど前。

この時の反省というのが歌舞伎であった。
これ以前は、落語がメインと思っており、歌舞伎は
まったく観たこともなかった。
江戸、東京などというテーマでなんらか発信をする者として
歌舞伎を知らないというのは、まったく、大きな欠落である
ことに遅まきながら気が付いた。それ以来、毎月とはいかないが
観にいくようになり、都度ある程度の勉強もしここにも観劇記の
ようなものを書いてきた。歌舞伎を観にいくようになって
10年ほどであろうか、むろんまだまだトウシロウであると
思っているが、ある程度は自分の言葉で歌舞伎のことを語れる
ようにはなってきたとは思っている。

まあ、こんなところが私、断腸亭錠志のバックグラウンド、
今までのたどってきた道のりであった。

 

 


つづく

 

 

 

 

 

 

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