断腸亭料理日記2019

須田努著
「三遊亭円朝と民衆世界」その3


引き続き「三遊亭円朝と民衆世界」。

(さらに先生の一つ前の成果「悪党の十九世紀」(青木書店)


 もテキストである。)

まず前提として、幕末から明治0年代というのは、
日本全国、そうとうに治安が悪かったということである。
具体的には、物取り、殺人、放火、、、などなど、
で、ある。

各史料を示されて明らかにされている。
最もひどいのは戊辰戦争直前から最中の慶応期には「世直し一揆」
と呼ばれていたようだが“万人の戦争状態”と表現されるような
状態であった。これは武士たちの討幕戦争とは別に、ということ、
で、ある。

農村部の一揆から研究されているので江戸などの大都市の中は
直接詳細に説明されていないのだが、もはやどこかの地方ということ
はなく東北でも関東でも、九州でも四国でも、例えば長州でも、この
状態であったと考えてよいようである。

ほぼ無政府状態といってよいのか。

そんなにひどかったのか、という感じである。
やはりこれは、一般には知られていないことであろう。

こういった社会状況を背景に、幕末、落語も歌舞伎も作られ
演じられていた、ということである。
また、尊王攘夷運動も和宮降嫁も行われていた。
(比喩的な意味でである。)

一般庶民にとって、とてもよい時代とはいえなかった。
女子供はもちろん、大人の男も、安心して眠ることすら
できなかった時代である。

これが回復していくのは、新政府の統治が落ち着く、
明治の10年以降ということになるようである。

スタートは天保というので1830年頃。
明治10年は1877年。30年から40年ほど間。
19世紀の短からざる期間ということになる。

その間、こんな世相であったというのである。

これは幕末の討幕運動から戊申戦争の為政者側の
権力闘争の時期であったから、ということでは実はない
のである。
(私は、明治維新というのは、民衆による革命ではなく
幕府体制に対する薩長雄藩と朝廷による権力闘争と権力移行と
考える立場を取っている。)

嘉永6年(1853年)のペリー来航を一応のところ、
幕末のスタートと考えるが、これ以前の天保期から
この無政府状態に近い状態が既に始まっているのである。

天保になにがあったのか。

大飢饉である。

この始まりは天保4年(1833年)。
東北地方を中心にした、洪水、冷害から。
米価の高騰とともに、影響は東北にとどまらず、
江戸、大坂なども含め、全国に広がり「1833年からの5年間で
125万2000人(人口)減少」(wiki) という記述もある。
当時の江戸の人口100万を超える人々が餓死などで亡くなったということ
なのである。目を覆うばかりである。

凶作からの全国的な米の高騰、これに伴う一揆、打ち壊し。

最大の騒乱状態は天保7年(1836年)あたりになるようだが、
天保8年には大坂で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎による幕府に対する
反乱、大塩平八郎の乱も起きている。

と、まあ、ここまではある程度歴史の教科書に出ていること。

問題はこの天保期の飢饉からの一揆、打ち壊しがそれ以前の
一揆とは変質していた、ということなのである。

それ以前の百姓一揆というのは、ルールがあったのである。

一揆は様々な時に起きるわけだが、なんらか領主に対し
要求を掲げている。
年貢が高い、負けてほしい。その他領主の政策に対して
それは困るから変えてほしいという要求をもって一揆を
起こす。

この際、農民は鋤や鍬などの農具以外の武器は持たない。
また打ち壊しはするが、放火はしない。領主側も農民を殺めない。
こういう暗黙のルールがあったのである。

一般に当時まで、幕藩領主は仁政を行うもの。
農民は、仁政を望む。
こういうもの、という共同幻想というのか、信頼関係というのか、
そんなものができあがっていたのである。
性善説というのであろうか。

天保の一揆では、長脇差を持つ、刀の抜き身を引っさげる、
放火をする。当然のように物は取るということが行われる
ようになった。

ではどうしてルールが崩壊したのか。

原因は、二つ。
一つは、取り締まり側、幕藩領主の問題。
詳細には研究では分析されていないが、江戸期も200年程度
経っているからか、力自体が弱まり、取り締まり切れなく
なっていたこと。

もう一つは、取り締まられる側。
博徒、無宿の存在(増加?)である。

博徒は、ばくち打ち。(この時代にはまだヤクザという言葉はない。)
無宿というのは、今でいえば住所不定者だが、
江戸期には、人別(にんべつ)帳という戸籍があり
この人別から外されている者を無宿者という。

よく親が子供を勘当(かんどう)するというが、
実際にそういう制度があったのである。
子供が犯罪を犯した場合、親もそれに連座して罰される。
これを避けるために、幕藩領主に届け出て、この人別から
外す手続きを取るのである。これで無宿人になる。

博打打ち、無宿そのものについては須田先生の研究では
どうやって生まれてきたのかなど、扱われていない。
これはまた、他に研究されているものがあり、稿を改めて
書きたいと思う。

天保期の一揆は、当初はそれ以前の一揆同様、
領主に対し要求があり、村の代表、一揆の代表(頭取)はほぼ
イコールで、従来通り刀を含めて武器は持たずに始まる。

ここで、打ち壊しについてご存知のない方もあると思うので
少し説明をする。米の価格が上がって、食えない。
買い占めている、値段を釣り上げていると思われる、
米屋、富裕の商家などを襲い、家を壊し、米を略奪する
というのが打ち壊し。
これは天保以前からあったもの。
富裕の家などはこうされてはたまらないので、先に蔵を開けて
施しをする。これがルールで、一般的であった。

天保期は、当初の一揆、打ち壊しから始まるが、次第にこれに、
無宿、博徒、浪人が加わっていく。
打ち壊しなどをしながらエスカレートし、農民ではなく
無宿、博徒がリーダーになっていく。
そして、押し入った先から刀等を盗み、武装。
壊すだけではなく、酒食を要求する、放火をする。
こうなってくると、当初の一揆の主体であった農民リーダーは
一揆からは話が違うと外れていく。
この時点で当初の幕藩領主に対する要求は最早なくなる。

博徒、無宿などのリーダーは、近くの村から
一揆に参加しないと同様に打ち壊すと脅し、参加を強要する。
集団の規模は大きくなる。
この状態が「悪党」と呼ばれ、従来の一揆と区別していたようである。
また、積極的に参加する農民の若者もあり主体的に動き悪党化していった。
天保以降、これが常態化し、領主への要求もなく最初から略奪目的に
なっていった。

嗚呼。

 

 

 


つづく

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今週はここまで。来週は諸事情によりお休みをいただきます。

 

 

 

 

 

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