断腸亭料理日記2012

鰹 一本から その1

7月21日(土)

さて。

土曜日。

昼すぎ、ちょいとした買い物があり、
上野のヨドバシまで、自転車で出る。

木曜までは暑かったのだが、また、梅雨の戻り、
のような肌寒い気候になってしまった。
天気も曇り。

長袖のシャツにコットンパンツ。
だが、足元はやっぱり素足に雪駄。

ヨドバシは上野駅の不忍口、通りを渡った向かい側。
買い物をし、せっかくなので、アメ横のいつもの魚やを
のぞいてみる。

すると、鰹!。

一本500円。

安い。

ここで、ここまで安いと、ちょっと不安もある。
確か、今年は四月にここで、700円の、初鰹を
手に入れ、うまい刺身を食べた。

見たところ、わるくはなさそう。

だが、私なぞ、魚を見ただけでは、
よいわるいは、まったくわからない。
よくプロなどは、お腹を押してみる、などというが、
ここで、そんな生意気な真似は、私にはできない。

まあ、買ってみようか。

帰宅。


早速、さばいてみる。

頭を落とし、腹を割き、よく洗って、二枚。

お、、、!?。

ちょっと、身が柔らかい、、、。
包丁を入れると、身が崩れそうになり、
きれいに二枚にならない。

まあ、私の腕なので、知れているが、
四月の鰹は、もう少し、しっかりしていたはず。

一先ず、半身の上半分。
皮を引いて、刺身に切ってみる。


この写真で、お気付きであろうか、白っぽい。

食べてみると、まあ、食べられぬことはないが、
柔らかく、うまみも少ないよう。

鮮度に問題があったかのか?。
白っぽい、と、いうのは、血が抜けてしまった?。

よくわからぬが、イマイチ。

まあ、こういうこともある。

さて。

こうなると、考え物。

まあ、無難なのは、生鰹節(なまり)にして、甘酢がけ。
つまり、酢の物。
これは、四月のものでも作っていた。

ちなみに、これは池波レシピ。
いや、鰹関係の和食メニューは、すべて池波レシピ、と、
いってよいぐらいかもしれぬ。

やはり池波先生は、東京人、鰹はお好きであった。

エッセイなどには刺身も、初鰹、そして秋の戻り鰹を
溶き辛子で食べるのもあったし、鰹飯、味噌汁、そして冷やし汁、、。

そうだ、今日は生鰹節で、冷やし汁も作ろうか。

一先ずは、鰭の脇など、刺身にする時に切り落としたアラ。

これを茹でて、塩もみしたきゅうり、わかめと一緒に
甘酢がけにする。


不思議なもの、で、ある。
生でイマイチでも、こうすると、十分にうまいものになる。

夜の内に、残りの半身と1/4は、蒸して火を通しておく。

冷やし汁は、翌朝。

さて。

冷やし汁、あるいは冷汁(ひやじる)、というのは、
ご存知であろうか。
最近は、随分と知られるメニューになってきているようではある。

私が始めて作ってみたのは7年前か。

池波作品の仕掛人藤枝梅安シリーズに出てくる。
ちょっと、引用。

 久しぶりに藤枝梅安が、富沢町の蕎麦屋〔駒笹〕の二階座敷で、

一人酒をのんでいた。

 膳の上に、蕎麦屋にしてはめずらしいものが出ていた。

 鰹を煮熟(にじゅく)した・・・・・・つまり即製の生鰹節(なまりぶし)を

小ぎれいにむし崩し、これを味噌汁にしたて、さらに井戸で冷やした

〔冷(ひやし汁(じる)〕であった。実は茄子に刻み胡瓜である。

梅安最合傘 仕掛人・藤枝梅安(三) (講談社文庫)


富沢町


富沢町というのは今もある町名で日本橋富沢町。
人形町の北隣。今は繊維関係の問屋さんなどのある
オフィス街といってよいところ。

冷し汁から離れるが、このあたりのことを少し書いてみよう。

歌舞伎がお好きな方なら、『与話情浮名横櫛』
(よわなさけうきなのよこぐし)、『お富与三郎』。

「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさぁ

お富、久しぶりだなぁ」

のセリフで有名な源氏店(げんじだな、ほんとは玄冶店)。
(春日八郎の「死んだはずだよ、お富さん・・」のお富さんなら
知っている人もあるかもしれない。この曲はこの芝居が下敷き。)
玄冶店は現人形町交差点のすぐそば。

また、地図の左の方。堺町、葺屋町というのが見えると思う。
このあたりは幕末近い天保の頃、浅草の猿楽町へ
移動させられるまで、江戸初期から二百年あまり、
江戸三座のうちの二つ、中村座と河原崎座があった。
いわば芝居町であったところ。

もう一つ、落とせないのは、地図に赤線を入れたが、
浅草へ移転するまで、吉原遊郭のあったところ。
浅草の吉原は新吉原、というのに対しこちらは元吉原といった。
もっとも、吉原が移転したのは、かの明暦の大火の直後なので
ここにあったのは、江戸初期から40年程度だけ。

落語ではこのあたり『百川』『天災』なども舞台だが、
詳しくは、昨年9月の『池波正太郎と下町歩き・講座』を。

吉原は早めに移転したが、芝居町でもあり、芸者の前身とみられる
遊芸関係、あるいは、(芝居)茶屋、さらには男娼のいる陰間茶屋、
そして、先の、お富与三郎の場面のような“粋な黒塀”の
妾宅などもあり、色っぽい町であったわけである。

で、まあ、そんな色っぽい町にある蕎麦やの二階で
仕掛人である坊主頭の針医者、藤枝梅安が、仕掛を一つ終えて
一人、冷し汁で冷酒をやっている、という場面。
時季はむろん、鰹の頃で梅雨時。



長くなった。

つづきはまた明日。









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