断腸亭料理日記2019

断腸亭落語案内 その16 志ん生・富久

引き続き、志ん生師「富久」。

「御富、突き止めぇ〜〜〜〜〜〜
「鶴の千、五百番ぁ〜〜〜〜〜〜ん」

ん?、、ぶっ倒れている奴がいる。
「おぅ、、、どうしたんだ、えっ、どうしたんだ!」
「う〜〜〜〜〜〜〜〜」
「どうしたんだ!え?」
「あった、あった、あった、、、、当たった」

腰が抜けたのでまわりの人に、胴上げをされて、掛かりのところまで。
すると、富くじ久蔵に売った人。

「当たったね〜、久さん。
 札をお出し。」

「・・・・・・・。

 札は、、ポー」

「え〜〜?こないだの火事で、焼いた〜〜?
 そりゃあ、だめだ、久さん」

今でもそうだろうが、当たり札がなければ、だめ。

傷心の久蔵、自棄にもなっている。

とぼとぼと、歩いていると、鳶頭(かしら)に出会う。

頭「久蔵じゃねえか?」
久「あー、鳶頭」
頭「どうしたい、ぼんやりして。
 手前(てめえ)今どこにいるんだ。
 え〜?
 客んとこに権八(居候)してるってっ?
 よせやい。いつまで居候してるのは。
 所帯持ったら、家いこいよ。
 渡すもんがあるから。
 こないだの火事じゃ、いなかったじぇねえか。
 お前(めえ)んところの前通ったらな、覗いたら
 あいてやがる。中入ってみたら、損料布団があらあ。
 また、手前困るだろうと思うからな、うちの奴(やっこ)に担がせて
 閉まりをしようと思って、ひょいと後ろを見たら、手前も痩せても
 枯れても芸人だ、いいお宮があったな。もったいねえから俺ぁ
 持ってきた。
 お宮と布団を渡すからな。所帯持ったら飛んでこいよ。」

久「うわぁ〜〜」
久蔵は鳶頭にむしゃぶりつく。
久「大神宮様のお宮がある?」
頭「あるよ。なんだよ!」
久「泥棒!」
頭「なにが、泥棒だ!?
  今、渡してやりゃ、いいんだな。
  じゃ、家いこいよ。どうかしちまいやがって」

頭「ほら、布団だ。持ってけ〜」
久「布団なんて、いらねえや、、お宮だ」
頭「やるよ!。そこにあら。」
久「あーあった」
頭「文句ねえだろ」

久「まだある。この扉、開いて、あればいいが、なかったら、、」

開ける!。

久「あた、あた、あった!」

鳶頭にわけを話して、謝る。

頭「うまくやりゃぁがったなぁ〜〜。
  この暮れぃきて、千両たぁ。」
久「はい。大神宮様のおかげで、方々にお払いができます」

これで下げ。

今は、ほぼ判らないだろう。
志ん生師でも枕で説明をしていた。

暮れになると「大神宮様のお祓い」といって、お札を配りながら
大神宮様=神棚のお祓いにまわっている者があった、と。

“お祓い”に、借金の“払い”をかけている。

江戸期、御師(おし)といっていたのだが、伊勢神宮から宣伝というのか
布教というのか、伊勢参り勧誘のためにお札を配りながら、神棚のお祓い
をしてくれる者があった。大神宮様というのは伊勢神宮のこと。この頃、
神棚には大神宮様を祀るのが一般的であった。これもあり神棚そのものを
大神宮様ともいっていた。(伊勢以外にも御師は、富士、熊野、出雲などで
発達し、伊勢講、富士講など御師によって組織され参拝と旅行を兼ねた
集団=講が数多く江戸にもあった。落語にも「大山参り」というのがある。
これは神奈川県の大山阿夫利神社を信仰するもの。講中で参拝登山をして
江の島、鎌倉をまわって物見遊山かたがた帰ってくる。)

さて「富久」。
円朝作という説もあったようだが、今は否定されているよう。(「落語の
鑑賞201」(延広真治編))黙阿弥作の歌舞伎「地震加藤」(初演明治2年
(1869年市村座)のもじりではないかとのこと。(同)
これは加藤清正が秀吉の勘気(かんき)に触れていた頃、大地震(慶長
伏見地震)が起き、真っ先に駆けつけ、その怒りが解けたというのを芝居に
したもの。と、すると、この噺の成立は明治初期と考えてよいのか。

速記では例の「口演速記明治大正落語集成」(講談社)に入っている。
演者は三代目小さん、明治30年(1897年)のもの。三代目小さんは
安政3年(1857年)〜昭和5年(1930年)。
「らくだ」を東京に移した人として登場していた。

円朝、二代目(禽語楼)小さんの次の、明治第二世代。
「富久」は円朝作どころか、柳派の噺であった可能性もあるか。

読んでみると、大筋は同じだが随分と枝葉、無駄なところがある。
その後の世代で刈り込まれ、文楽(8代目)、志ん生(5代目)に
伝えられたのであろう。

注目の掛ける距離であるが、これは浅草三間町から芝。ただ、芝という
だけで、久保町とは特定されていない。後のことのようである。
だが、長距離なのは、元々であった。

富くじというのは、江戸期寺社奉行管理のもと、寺社の修繕改築など
を名目に行われた。ただ、これも過熱し、過当競争もあったよう。
天保の改革で禁止になり、その後は明治新政府になっても許可はされな
かった。復活は第二次大戦中の戦費調達を目的に行われた勝札というもの
らしいが、これは抽選日前に敗戦になっており負札と揶揄されたとのこと。
本格的には、戦後すぐの昭和20年(1945年)の第一回宝籤まで待たなければ
ならない。 (東京都公文書館 史料解説)

こんなことなので天保以前の文化・文政生まれの者でなければ実体験として
富くじを知らなったわけである。富くじの噺は「富久」以外にも「宿屋の富」
「水屋の富」など複数あるが、天保以降には演れなかった、または文化
文政期に作られたのでなければ、噺としてなかった可能性すらあろう。
また、明治期になって口演されても、もはや富くじそのものを、小さん
(3代目)にしても実体験としては知らない者が演り、富くじの記憶も曖昧に
なっている、はずである。
境内での抽選の場面など、それこそ“見てきたように”語られている。
場面描写として“怪しい”可能性は多分にあることも覚えておきたい。

富くじも宝くじもないのに、富くじの噺は人気で続けられたというのは
注目に値しよう。庶民が一攫千金のささやかな夢を買うもの。志ん生師も
当たったらどうしたい、というところなど、愉しそうに演じていたように
聞こえる。

 

つづく

 

 

 

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