断腸亭料理日記2025
4770号
引き続き、今月の歌舞伎座、八代目菊五郎襲名披露興行。
口上の前の一幕め、「義経腰越状」五斗三番叟(ごとさんばそう)。
これに、菊五郎が出ていない件、で、あった。
過去のこの日記を捜してみると、私は幸四郎(2018年1月)だったり
芝翫(2016年10月)などの襲名披露興行を観ていた。
このどちらも、口上前の一幕目は、襲名する本人は出演てこない。
幸四郎は高麗屋の、芝翫は成駒屋のそれぞれの家の親方格の名前で
大看板の襲名という共通点がある。
で、どちらも口上の後は、それぞれの十八番といってよい芝居。
襲名披露興行の一幕目は、本人は出演ず、いわば前座的な
位置付け、と、決まっているのかもしれぬ。
この芝居「義経腰越状」は私は初見。
主演は松緑。基本、コメディーで軽い話。そして、三番叟と
付いているが三番叟は踊りの名前で、ノーマルな三番叟は
おめでたいときに舞われるもの。筋も簡単な軽い話で、
おめでたいもの、ということ、なのであろう。
襲名口上前の前座芝居としてはよい、ということなのか。
が、しかし、これ、長い。一幕だが、なんと1時間半弱。
この芝居はいったいなんであろうか。
私は歌舞伎を観る時はいつもイヤホンガイドを聞いているのだが、
コメディーで軽い話といっても、おそらくガイドなしでは、
すべては理解できないかったと思われる。
江戸古典のコメディーというのは、洒落(しゃれ)、かけ言葉、
○○尽くしといった言葉遊び、あるいは仕方話(しかたばな)し、
大げさなジェスチャーを交えて話す、などなどでできている。
今の古典落語よりもさらに現代人にはわかりにくい。
こんなものなので、おもしろいことを演っているのだろう
というのはわかるのだが、やはり言葉の意味がわからないと、
もう一つ、ではあろう。まあ、これだけでなく
すべての歌舞伎が強弱はあるが、言葉の壁はあるのだが。
ただ、コメディーで軽い話だが、菊五郎も出てこない、
多少わからないところもあるものを1時間半演られると、
どうしても、なんでこんな芝居を見せられているのか、
早く菊五郎を出せ、と思ってしまうのである。
では、この芝居はなにか。一応書いておこう。
「義経腰越状」という作品の内の「五斗三番叟」という幕だけを
上演する、いわゆる見取(ど)り狂言。
「義経腰越状」は読んで想像ができようが、鎌倉時代初めの
義経、頼朝のすったもんだ。義経が、詫びに鎌倉にくるが、頼朝は
会わないといって、腰越で止め、義経は頼朝に手紙を書く。
これが腰越状と言われているもの。
お話全体としてはこのあたりことを描いたもの。
初演は宝暦4年(1754年)、大坂豊竹座、人形浄瑠璃として。
宝暦は、田沼時代の一つ前。江戸時代のほぼ真ん中。
江戸文化は前半が京大坂が中心で後半が江戸中心に移り変わる、
といわれるが、ちょうど半分の過渡期。
人形浄瑠璃(文楽)が初演という芝居は歌舞伎には多くある。
有名な「仮名手本忠臣蔵」だったり「義経千本桜」だったり。
音の低いベンベンという音の出る三味線を使った語り、義太夫が
入るので、人形浄瑠璃が元の芝居であることがわかる。
やはり多くは、江戸時代でも前半のもの。人形浄瑠璃も
歌舞伎も東西ともにあったのだが、特に前期の上方が
人形浄瑠璃で後期の江戸で歌舞伎が盛んになっていった、
といってよいのであろう。
そんなことで、過渡期だがこれも大坂で人形浄瑠璃が初演と
いうこと。
私は、この芝居、初見という以上に存在も知らなかった。
まあ、そう有名なものではないと思われる。
また、もっというと、どうも昭和初期には芝居全体を
演じられることは既にほぼなく、今回演じられた部分
「五斗三番叟」のみのよう。
先に書いたように、義経、頼朝の確執の話のはずだが、
ほぼこの幕は、大きな筋がない。たいしたドラマが
起きない。まったく他愛のないコメディー。
こんな全体の話はどうでもよくて、コメディーの一幕
だけが生き残った芝居というのも珍しいかもしれぬ。
今回、この芝居が上演された真の意味。
イヤホンガイドでも話され、上演記録を見ても理由が
やっとわかった。
これ、二代目尾上松緑の十八番であったようなのである。
昭和28年から56年まで30年弱の間に二代松緑主演で8回、
3〜4年に1回の割で上演されていた。
こんなマイナーな芝居なのに明らかに高頻度で掛けられている
といってよかろう。二代目は、今回主役を演じた当代松緑の
祖父。その後は先代團十郎、亡くなった吉右衛門、当代白鸚に
受け継がれてきたよう。
お家芸、家の芸という言い方があるが、歌舞伎では
名優といわれ人気もあった人の子や孫は、その芸、演目を
継がなければいけないのである。
まあ、菊五郎もそうだが、キャラクターも違い、得手不得手
があるはずである。現代的に考えれば、得意な芝居を
演じればよいはずである。もちろんそれが合理的。
(多様性の時代?)
過去もある程度名優という人は、自ら得意な芝居を見つけ
人気を得てきたはずである。だが、それと同時に、
父や祖父が得意としてきた演目をお客は求める。
まあ、父から子へ受け継ぐ一子相伝の芸であり、門閥
ベースの歌舞伎界ではそれも当然のことではある。
まあ、100点満点なのは両方できる役者なのであろうが。
と、いうことで、当代松緑はこの芝居を演らなければ
いけない理由があったと考えられよう。
当代松緑は四代目になるが、12才になる頃に、先に父を
失い、14才で存命だった名優の祖父も失ってしまった。
以後は、音羽屋、七代目尾上菊五郎、菊五郎劇団が
この人の親代わりになってきたのである。(ただ菊五郎家
とは実際の血縁関係はない。)
まあ、なかなか苦労をされたといってよいだろう。
歌舞伎界というのは力のある大看板の役者の後ろ盾
がなければ、若い役者には血統がよくとも、役すら
付かない、芝居に出演ることすらできない、そういう
世界なのである。
筋書に、松緑のインタビューがあった。
今回の「五斗三番叟」は初めての役(初役)で
「直情型の自分としては“頑張らないことを頑張る”
ひと月になりそうです」と語っている。
私も、国立の歌舞伎をよく観ているので、この人の
演技は定期的に観てきた。
忠臣蔵の五段目、定九郎のような渋くてかっこいい
悪人はよろしかろう。TVによく出演る役者でもないが、
どうしてどうしてこの人、近年の進捗は目覚ましいのでは
ないかと思っている。
この「五斗三番叟」は酒を呑みながら段々酔っぱらって
おかしなことになるという、話なのだが、ちょっと
観ていて阿部サダヲが演じているのか、と思われてきた。
ちょうど顔も似ていると思うのだが、彼が演じそうな、
軽妙でハッチャけたキャラ。だが松緑のニンではない
のであろう。
松緑50歳。確かに、こういう役ができるようになって
くるともっと役者としての幅が広がろう。
ともあれ。
今回の菊五郎襲名披露興行の一幕目に松緑の芝居として
この演目を上演したわけが、やっとわかってきた。
また、音羽屋主催ともいえるこの興業だからこそ、親心
として松緑にこの芝居をさせることもできたのかもしれない。
祖父の当たり役を演ることは歌舞伎界では立派な上演理由
であろう。また音羽屋で松緑の名前は菊五郎に次ぐ大きな
名前であることに異論をはさむ人もいなかろうし、当代の
実力もそこまでの位置に来ている、と。
つづく
五斗兵衛 広貞 嘉永3年(1850年)義経腰越状 大坂
五代目中村歌右衛門
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