断腸亭料理日記2022

神田須田町・鳥すきやき・ぼたん その1

4013号

1月15日(土)夜

さて、今日は神田須田町の[ぼたん]、で、ある。
内儀(かみ)さんの希望で、内儀さんが予約していた。

鳥すき、まあ、軍鶏鍋である。

このところ、神田須田町が多いような気もする。

あんこう鍋の[いせ源]、

そばの[まつや]、

同じく[かんだやぶそば]。

そして[ぼたん]。

[いせ源]の隣。

池波レシピ、でもある。
先生がまだ株やの小僧、少年店員であった10代の頃、
株で儲けて、吉原へ通っていたというのだが、
ここで友達と呑んで食べ、それから繰り込む
というようなエピソードを書かれていたと思う。

鳥すき、軍鶏鍋。

まあ、これ自体が池波レシピであろう。

言わずと知れた、鬼平に出てくる、
本所二つ目、軍鶏鍋やの[五鉄]、で、ある。

私も、これを読んでから[軍鶏鍋]については
自分で再現もし、なん度も食べている。

作品の[五鉄]のものは、笹がきの牛蒡を入れている。
ここを含めて外でも食べているが、牛蒡の入るところは
ないかもしれぬ。

軍鶏鍋、鳥すき、同じものだが、今も東京下町には
ここ以外にもまあまあ、の数が残っている。

最も有名なのは、人形町の[玉ひで]であろうか。

マスコミ的には親子丼の店になってしまっているが
むろんのこと軍鶏鍋の店で、宝暦10年(1760年)の
創業で創業者は、幕府御鷹匠に仕え、将軍家の御前で
鶴を切る包丁仕事を受け継ぐ家であったという。

それから、落語「舟徳」にも出てくる
両国の[ぼうず志ゃも]。

あるいは、鴨であるが、薬研堀の[鳥安

なども入れてもいいかもしれない。

他にもまだあるが数えるほどであろう。
だが、例えば、明治の頃であれば、浅草だけでも
かなりの数の鳥鍋、軍鶏鍋やがあった。
おそらく、今のラーメンやくらいの数が盛り場の
浅草にはあった。
先日、菅先生の著作に触れたが、今は影がかなり
薄くなってしまったが、鳥料理、軍鶏鍋は
まぎれもなく、江戸の味であったわけである。

鮨、天ぷら、うなぎ蒲焼は現代でも数多くの店がある
江戸発祥の料理といってよいと思うが、同様に、
あるいはそれ以上、江戸、東京を代表する料理であった
のである。

[ぼたん]であった。

事前に予約し、17時。
寒いので、タクシーで向かう。

[いせ源]の隣。
なぜか、ここの玄関は大きい通り側ではなく、
脇の路地側にある。

ここの建物も神田須田町らしく戦前の建築で、
都選定の歴史的建造物。
凝りに凝った、先日の浅草[今半別館]ほどではないが、
粋な設(しつら)えである。

暖簾を分け、格子を開けて入る。

下足のおじさんに名を言って、あがる。

六畳ほどの座敷へ案内される。

ここは大部屋でドーン、ではないが、
個室ではなく、まあ、複数客が入る、
入れ込みといってよいだろう。

一部屋に二組の差し向かいのお膳。
以前は、もう少し、密であったと思われる。
お膳の脇にピカピカの銅板の貼られた炭火の焜炉。
これでワンセット。

お膳。

部屋のもう一組のお膳。

(結局ここには、最後までお客はなしであった。)

これが焜炉で、鉄鍋。

おわかりになろうか。
神田ぼたん、の名入り。

頼むのは、ビールと二人前。

ビール。

お通し、鶏なのであろう、佃煮のようなもの。

お姐さんが運び、

すぐに鍋の支度をしてくれる。

鶏肉各部位。

白滝。
やっぱり、多少細い。

焼き豆腐。

長ねぎ。
これは太い。

 

ぼたん

 

 

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