断腸亭料理日記2012

初芝居 その1

1月4日(水)

さて。

引き続き、正月。

ここなん年か、正月は内儀(かみ)さんと
歌舞伎を観にいっている。

昨年は、新橋演舞場で「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓」
「寿曽我対面」

今年は半蔵門の国立劇場にした。

私のホームグラウンドは落語で、
歌舞伎を観るようになったのは、ここ数年。
それも、正月とあと1、2回いけばいい方で、
依然として歌舞伎ビキナーの域は出ていないであろう。

歌舞伎を観なかったのは、意識的なものではあった。
理由は、昨年亡くなった、談志師匠。

晩年はあまりそういうことは言わなかったと
思われるが、少し前まで、家元は歌舞伎への
芸の上での対抗意識、といったらよいのか、
これにはものすごいものがあった。
おそらくほとんどご自身は観にいったことは
なかったのではなかろうか。

先日の『談志がシンダ』でも少し書いたが、
同じように江戸から続く芸能で、人気もともにあったが、
その地位の違い、で、ある。
例えば、歌舞伎の方は人間国宝がなん人も出ているのに、
落語の方は小さん師がやっと、1995年になっている。

だが、地位はともかく、実際に、落語と歌舞伎は江戸で
隣にあった芸能で、江戸東京の文化を考えるには、
歌舞伎を知らないというのは、まったく片手落ち。
自分自身、そう思うようになり、数年前から、
最初は1回の幕見で観はじめ、そのうちに
段々に入り込んでいったのであった。

さて。

この正月、東京で歌舞伎は新橋演舞場と、浅草で
平成中村座、と、新春浅草歌舞伎の二つ、そして
国立劇場。

平成中村座も観にいきたいのだが、
5月まで演っているので、また次の機会にして、
今回は、国立。

国立に決めたのは、演目が「三人吉三巴白浪
(さんにんきちさともえのしらなみ)」であったから。

歌舞伎素人には、この演目名からして、
仮名をふらなければ、まず読めないであろう。
(まだこれは読みやすい方かもしれぬ。
ついでにいうと、歌舞伎では演目名を、外題(げだい)、
または名題(なだい)という。)

一般には、サンニンキッサ、と呼ぶのが普通であろうか。

作は河竹黙阿弥。
名作。

歌舞伎を知っている人にとっては、
超が付くくらいの有名な演目といってよかろう。

河竹黙阿弥の作品はなん本か観たことがあるのだが、
残念ながら、この「三人吉三」はまだ観たことがなく、
観たかったのである。

歌舞伎芝居を観にいくようになり、
私はどうも、この黙阿弥という人の作が好きに
なってきたのである。

黙阿弥というと、調子のよい七五調のセリフ。

「がきの頃から手癖が悪く 抜け参りからぐれ出して、、」
(白波五人男)。これなんぞは、落語にもよく出てくる。

「月も朧に 白魚の 篝(かがり)も霞む 春の宵(中略)
こいつぁ〜春から 縁起がいいわえ」

これは歌舞伎を知らない人でも、もしかしたら
聞いたことがあるかもしれぬ。

これが、今回の「三人吉三」に出てくるセリフなのである。

やはりこれは生で聞いてみたい。

そして、黙阿弥作品を好きになった理由は
もう一つ。

実際には作品ということもあるが、江戸から
明治にかけて生きた、この人の表現者としての
人生に興味を持ったのである。

江戸の後期、東海道四谷怪談の鶴屋南北の弟子として
狂言作者を始め、その後、幕末にかけて、江戸随一の
作者になる。
そして、現代まで演じられている名作をいくつも
残している。

が、この人、亡くなったのは明治の26年。
江戸と明治の両方を生きていた。

もっとも、黙阿弥に限らない。江戸人が明治の東京で
どんな風に生きていたのか、というのは、以前から
私にとってとても興味のあることであったのである。
このあたり、『河竹黙阿弥の明治維新』(渡辺保・新潮社)
を読んで、そうとうに刺激を受けた。

で、どうなのかというと、黙阿弥先生は、明治に入り、
名作も残しているが、新時代に出てきた演劇評論家と
いうような人に嫌われ、まあ、そうとうに屈折してしまったのである。

ま、ま、前置きは、こんなところ。

朝、10時前に起きて、雑煮を食い、
着物に着替えて、11時すぎ、内儀さんと、出る。

半蔵門までは、大江戸線、新御徒町から乗って、
清澄白河。半蔵門線へ乗り換えて、半蔵門。

街はまだ、半分以上は正月。
本格稼働は明日からであろう。

半蔵門駅から国立までの道は、とても懐かしい。

談志家元の、月一回の「談志ひとり会」に
通っていた頃、で、ある。

もっとも、落語の方は、国立でも歌舞伎をやる大きな劇場の裏の、
小さな演芸場である。(小さいといっても新宿末広亭よりは広いか。)

お濠の見える表側にまわり、正面から入る。
演芸場ではなく、こちらへ入るのは、初めて。



明日につづく。


国立劇場








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