断腸亭料理日記2015

連休・上野東照宮 その1

さて。

再び、連休中(4/29)に戻って上野の山の自転車での散歩。

上野広小路、三橋(みはし)から黒門口へ入る。

天気よく、外国人の観光客も含めて大にぎわい。

木々は新緑。

右は階段。登ればご存知の西郷さん。

自転車なので左。

しばらくゆるい坂。

右の崖の上に清水堂。


清水堂の手前には輪っかになった松、名前は「月の松」。

妙なものだが、↓この再現。


これは広重の江戸名所百景のうち「上野山内月のまつ」。

時代は幕末の安政で、安政江戸地震があった直後に出版されている。
その頃、おそらく本当にここにこんな松があったのであろう。

私が気が付いたのは13年の夏だが12年の12月に植えられたようである。


13年

それからまあ2年くらいなのでそう大きく育ってはいない。

真っ直ぐ行って、左に上野大仏をみて、さらに左の東照宮へ向かう。
東照宮は各地にあるがむろん、初代将軍家康を祀ったもの。

上野の山は江戸期、全山が東叡山寛永寺で幕府の
菩提寺でもあり、京都の比叡山に模して、鎮護国家、
国を護る寺の地位を与えられていたわけである。

幕末の上野戦争で多くの伽藍が焼かれ、関東大震災、そして
第二次大戦でほぼすべてが破壊された。

清水堂もそうだが、東照宮は上野の山にある
数少ない貴重な江戸期、それも初期の遺構の一つ。重要文化財。

重要文化財でありながら長らく放置され
荒れるにまかせられていたといってよい状態であった。
ようやく修復されたわけだが、その後、拝観料を取る中へ入って
観てはいなかった。

時間もあるし、今日は観てみようかと考えてきたのである。

表参道の石の大鳥居の外に自転車をとめて参道を入る。

今のこの形になったのは1651年(慶安4年)で家光の頃。
(慶安4年は家光死去の年でもある。)
参道両脇には当時の大名達が奉納した石の灯篭が並ぶ。

ここも外国人も多い。


金色に輝く唐門と拝殿が見えてくる。


唐門すぐそばの灯篭は石ではなく銅製。
これらは徳川御三家などの高位の大名。

左側の入口から拝観料500円也を払って中へ。

入ったところに不思議な石の彫り物がある。


なにも説明がないのだが、なんに見えるであろうか、これ?。

猫なのか虎なのか、が、犬を押さえつけて
いるのであろうか。むろんなにかの意味があると
思うのだが、、、。

この東照宮は長らく放置されてきたと思われ
あまり研究もされていないのであろうか。

左側に楠の大木がある。
外からではわからなかった。

こちら側にも多くの石灯籠がある。


慶安4年(1651年)のもの。左側の少し小さな文字。

「従四位下行侍従兼河内守源姓酒井氏忠清」と読める。

当時まだ20代でこれより後、家光死去後の幕府老中から大老になり
下馬将軍などといわれ権勢をふるった酒井忠清という譜代大名である。

酒井忠清は後に姫路藩主家となる譜代名門酒井雅樂頭(うたのかみ)本家の四代当主。
(酒井雅樂頭は落語「三味線栗毛」に出てくる。酒井雅樂頭家は、雅樂(うた)様などと
噺の中で呼ばれており、町人からも親しみを持たれていたようである。)

この長い漢字の羅列がこの時の酒井忠清の正しい名前、フルネームである。
どこで切って読むのかわかりずらいかと思う。
そう難しくはないので、試みに説明してみよう。

まず「従四位下」。ジュシイゲ、と読む。

これが位階というが朝廷の定める序列順位。

本来従五位下以上が朝廷の御殿にあがれる、昇殿が許され、
江戸期の大名であれば多くが従五位下なので、忠清は当時通常の大名よりも
上となる。

次の「行」でまた切り、さらに次の「侍従」「兼」「河内守」と切れる。

侍従兼河内守はわかりやすかろう。

侍従と河内守はともに官職でこれを兼務しているということ。

問題は「行」。位階と官職にはそれぞれ相当するものが
決まっているのだが、位階よりも低い官職の場合「行」をつける。

侍従、河内守ともに五位相当なので位階である従四位下よりも
官職の方が低いということである。

その後は「源姓」「酒井氏」「忠清」となる。

これはおわかりになろう。

姓(せい)と氏(うじ)。

つまり源(みなもと)姓で、氏は酒井ということである。

(ただ、この部分は「源朝臣酒井忠清」と書くこともあり
境内の灯篭でもこのように書いている例も多い。
実はこれが本来で、この場合は、源が氏(うじ)で、朝臣が姓(かばね)、
酒井が苗字、忠清が諱(いみな)となる。)

ともあれ、切り方がわかると、この数多く並ぶ灯篭に
記されている名前が読めるようになる。

これらの灯篭は当時のそうそうたる大名が奉納したものである。
江戸初期の1651年、今から364年前の大名達の実物の痕跡。

この灯篭群も希少なもので重要文化財だが、今も、
あまりに無造作に、誰でも普通に読める状態で置かれている。

せっかくである。

皆様もここで親しみのある大名の名を探してみてはいかがであろうか。
三百六十余年前の生(なま)の歴史に触れられる。
(実際にさわってはいけなかろうが。)

そして、今のまま、大切にしていかねば。



つづく





 

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